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言語化しすぎた世界から抜け出そう。

こんにちは、いしてぃーです。

普段は愛知県のどこかの高校で非常勤講師として数学を教えています。

自己紹介は、あゆみさんが描いてくださったこちらのシートをご覧ください。

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この度、2年間参加している「前田デザイン室」の企画「ぬけだ荘」に参加することにしました。

というのも、3月から3ヶ月に及んだ臨時休校の間に自分自身を振り返る時間ができ、「このままだとずっとこのままだ…」と思ったからで。

ぼくが抜け出したいこと。それは

「言語化しすぎた世界から抜け出す」

こと。

ぼくはコルクラボというオンラインコミュニティにも参加していて、イベントの中で「自由と他由」「夢中と必死」の話が出てきました(Twitterに感想が上がっている話なので書きます)。

ここでの定義は以下のとおり。

「自由」は「自分に理由がある」
「他由」は「他人に理由がある」

そして「自由」な事柄には「夢中」になれるが、「他由」な事柄だと「必死」になるというお話を聞きました。

例えばチームで優勝を目指しているときは「自分たちが目指したい」から「夢中」だけど、一度その目標を達成したら、負けられなくなるから「相手を考えなければならない」、つまり「必死」になる。
ぼくは好きで始めたこと、つまり「自由」な考えで始めたことを、必要以上に他人を考えてしまう「他由」な考えで捉えるようになっていたと感じました。

ぼくは「かりやマーブルタウン」という小学生のイベントを地元で企画運営しています。最初は「これすげえ面白そうじゃん!」と他の地域のにボランティアで参加して、それで「刈谷でやったら面白そう」だから始めました。

一度開催できたことで、ある意味での「必死さ」が生まれるのは致し方ないことだと考えています。ただ、それ以上に他の人への「見栄え」をよくしようとしている自分がいることに気づきました。

もっともらしい理由だったり、当たり障りのない言葉を探しては、誰かに「綺麗に」見せたい。就職面接でもなく、公に知らせることでもないのに自然とそうしてしまうのは、正直言って辛かったです。やりたくて始めたのに、どうしていちいち言わないといかんのだろう、と。

それで少し振り返ったときに、高校時代の話を思い出しました。クラス対抗の球技大会で最下位候補だった自分たちが決勝まで残ったことです。

あのとき、ぼくは「最下位候補が優勝候補破ったら面白くね?」という個人的な感情で試合に臨んでました。それが行動につながって周りを巻き込んで準優勝までいけた。特に勝ったからどうとか、「面白くね?」以上の意味なんて考えていなかった。でも、後になってぼくにとっても、他の人にとっても思い出になった出来事だったと気づかされました。

ぼくがやることは、「自分の中での意味を一言で見出し、行動するだけ」。もっともらしい理由なんて後でいいし、意味も誰かがその人の中で勝手につけてくれる。取り繕う必要なんてない。そもそも他人の受け取り方なんて、自分はコントロールできないもんね。

今年度で、言葉で取り繕って、見栄えをよくしようとする自分から抜け出します。


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