笑顔とあいさつの魔法の効力を知った話

 「人には笑顔で接しなさい。」「あいさつは元気よくしなさい。」と幼少期から色々な大人に言われてきた。子供時代にそうした方がいい理由がわからなかったので、大人に理由を聞いたことがあった。愛想がいい方がみんなと仲良くやっていけるからだという回答が返ってきた。あいさつしなくても笑顔じゃなくてもお友達はちゃんといるし大人だって優しいけれどなあと思い、全然納得しなかった事を覚えている。

 あいさつをしないと大人に怒られるから、と理由で人を見たらあいさつするという習慣がついた。
 笑顔の方は、大人の中にも「面白くない時には笑わなくていいんだ」派がいたため身につかなかった。笑顔で人に接する大人も全体のうち半分くらいしかいなかったしいいかと思ったので。


 現在社会人2年目である。1年間社会人をやってきて、大人としてうまくやっていく(人に違和感を与えないとか、不快な気持ちにさせないとか)には笑顔とあいさつが不可欠だという事を学んだ。

 入社1週間くらいしてから女性の先輩に呼び出されて「あいさつがちゃんとできていないからちゃんとして。」と言われたことがあるのが学んだきっかけだ。私は会う人全員に挨拶をしていたので戸惑った。もしかしたらあいさつの声が聞こえていなかった人がいたのかな?と怖くなった。それから、少し大きめの声で挨拶するようになった。
 あいさつを少し大きめの声でするようになってから、また同じ先輩に呼び出された。今度は、あなたからは感情が見えないので怖い、私を嫌っているのか、と言われた。オフィスにいる時に喜怒哀楽が激しく刺激されることなどなかったので、私は一定の感情で仕事をこなし続けていたのだが、それに何の問題があるのか疑問に感じた。他の人だって同じように淡々と働いていたし。
 また、職場の人に対して好きとか嫌いとかの感情を覚えるまで関わっていなかったので、嫌っているのか?と問われるのも驚きだった。しかし言われたからには改善しなくてはと思い、周りの人から書類を受け取る際にはありがたいです嬉しいですとつけることにした。

 そういう問題じゃなかった、と気づいたのは件の先輩がうつ病で休職してからだった。課長曰く、「彼女(件の先輩)は、毎日無理して愛想よく振舞っていたことに疲れてしまったみたいで。うちの会社って根暗の人が多いから、彼女がいくら頑張って愛想をよくしてもみんな心を開かなくて、それが嫌だったみたい。」とのことだった。(本題とは関係ないが、課長には守秘義務とかないのか?ペラペラ内情を話してしまって大丈夫なのか心配だ。)
 件の先輩はアパレル業界出身で、そこでは愛想よく振舞うことが当たり前だったらしい。笑顔を向けられると自然に笑顔になれるものだ。明るくいることが好きな先輩は、そこではきっといい雰囲気で仕事できていたのではないかと思う。
 根暗企業(課長談)に飛び込んで愛想よく振舞うのは孤軍奮闘って感じだったのだろう、病んでしまったのもわかる気がする。
先輩が私に言いたかったのは、わたしには笑顔と愛想の良さが足りていないということだったのだ、と気づいた。


 そこから、私は先輩の遺志を(死んでいませんが)継ぐことにした。愛想よく過ごしてやろうじゃないかと。
 まずやってみたのは、朝の挨拶の声を高めに設定してみることだった。私の声は声楽家のごとく太いので、高めに設定するとよく通る。朝オフィスのドアを開けて大きく高い声で挨拶すると、自席で生きる屍のようになっている社員たちを振り返らせることに成功した。先輩、やってやりましたよ。
 また、話しかける際のお疲れ様ですなどの声かけを、スピード速めにスパッと言うようにしてみた。侍が相手を刀で一気に切りつけるのをイメージした。今までめんどくさそうに会話を始めた社員たちが驚いた表情で振り返ってくれるようになった。
 また、問い合わせなどに対応をしてもらった際には、3つ感情を添えてからフィニッシュにするようにした。「わあ早い!すごいですね!ありがとうございます!!!」や「こういうことなんですね知らなかった!勉強になります!ありがとうございます!!!!」など。
 そういったことを繰り返すうちにいつしか「元気な人」の称号をもらえるほどになった。

 私は切り替えが下手なので、私生活でもどんどん明るくなっていった。お店の店員さんにも愛想よく声をかけた。
自分がそうなってから気づいたのだが、店員さんに愛想よく声をかける大人は結構多い。そういう大人は属性に惑わされず人間を人間として捉えている。(逆に酷いクレーマーの人は属性で人を見ていそうだと思った。店員さんのバックグラウンドを想像できないからひどい言葉をぶつけることができるのかもしれない。)店員さんは店員さんという生き物なのではなくて、一人の人間なのだから人間として接するべきなのだとやっと気づいた。(こういう当たり前のことに私は気づけない)
 お店での扱いもとてもよくなった。笑顔に笑顔で返してもらえる。オススメの商品を教えてもらえる。試供品を多めにもらえる。優しい言葉をかけてもらえる。みんなこうやってショッピングを楽しんでいたのね。
 世界が表情を変えた。

 コミュニケーション能力とは、人を一人の人間として大切に扱うことなのではないかと思う。挨拶と笑顔は、一人の人間として大切に扱っていますよということの表明の第一歩だと気付いた。
 人として大切なことを大人たちはたくさん教えてくれたが、理解するのにすごく時間がかかってしまった。

 それと、大人は自分と同じような人が多いコミュニティーか、性質が多様なコミュニティーにいるのが自分の精神衛生上良いのではないかと思った。
 大人しくしているのが好きな人たちの中では元気が一番派の人は居心地が悪い。逆も然り。朱に交わって赤くなるのも一興だが、大人は価値観が固まっているものなので。(ちなみに先輩はうつ病から回復してアパレル業界で元気に働いているとのことだ。よかった。)
 性質が多様なコミュニティーにいれば、色々な価値観の情報共有ができるから自分の価値観をアップデートすることができるだろう。今回は先輩という価値観が異なる存在がいたので私は価値観をアップデートすることができた。

 現在私の中には元から持ってる大人しい魂と、人を一人の人間として尊重したい価値観が共存している。これからいろんな価値観の人たちと出会い自分をアップデートしていきたい所存だ。






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毒親育ちですが結構人生楽しんでいます。長い時間をかけて親と良い関係を築いていくことができたので、そのプロセスを共有できたらと思います。
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