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#2.これは私の宿題じゃない

私は母親に、幸せに生きて欲しい。いつも、自分らしく楽しく人生を歩んで欲しい。その気持ちが、人一倍強い娘なのかもしれない。
だから、「あなたの言い方がこうだったから、ストレスだった」と言われたり、「きつい娘だ」なんて言われたり、育児や家事について評価されたりすると、ものすごく傷つくんだなぁとふと気がついた。

父親を10年以上前に亡くてから、親戚でのゴタゴタや裁判や介護問題などがあったり、大震災を経験したり、沢山のことがあって、「神様という存在がいらっしゃるとしたら、どうして母にはこんなに試練を課すのだろうか」と思うような、苦労が多い人生のように私は感じていて、”かわいそう””なんとかしてあげたい”と思ったりした。
それで実際にサポートしたり、手伝ったり、相談に乗ったりすると、(おそらく母親が求めているアドバイスではなかったり、厳しい意見だったりするので)「きつい娘だ」なんて言われて、私は毎回落ち込む結果になり、「せっかく親身に助けてあげてるのに、もう、勝手にしてほしい」となる。

今回も同様のことがあり、気がついたことがある。それは「これは私の取り組むべき宿題じゃない」ということ。
母親に、幸せに生きて欲しい。そう願うことはとても素敵なことだけれど、幸せに生きるのは母親であって、私ではない。だから、どんな暮らしになっても、どんな風に生きても、(たとえそれが、私から見たら幸せそうに映らなくても)私が口出ししたり、お節介したりする必要はなかった。
それは余計なお世話だった。
私が余計なお節介をし続けていた理由は、「可哀想なお母さんの役に立つことで、自分の存在価値を確認したかった」から。お母さんに「あなたがいてくれて良かった。あなたを産んで良かった」と言って欲しかったから。
勝手に母親に”宿題”をでっち上げて、それを親身に手伝ってあげる「役に立つ娘」になりたかったんだなぁ、私。

子ども達に対して、同じことをする前に気がつけて良かった。助産師として、妊産婦さんに同じことをする前に気がつけて良かった。
誰かに対して「手伝わせてもらいたい」とか「サポートしたい」とか、そんな気持ちがわき上がってきたときに、その気持ちの裏側に”貢献することで自分を満たしたい”という欲がないかどうか、よくよく内観すると良いのかもしれない。母親や子どもと【課題の分離】がしっかりできたなら、肩の荷を沢山下ろせる気がしてきた。


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