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蒙昧を抜け出す道のり

どこまで行っても、知っていることなんて、たかだかしれていて、

この世のことは、ほとんど知らないことばかりなのですが、

世の中には様々な人がいて下さるお陰で、みんなの知を合わせると、

まだまだ文明は拓かれていくということなんでしょうかね。

個人として知っていることの限界は、とても小さな輪だと思いますし、

その中で、自分がコントロールできることの輪は、さらに小さいものだと

思っているのですが、どうも一般的にはそう思わない人の方が多いようで、

知らない領域の話に遭遇すると、「そんなの怪しい宗教じゃないの」とか、

「科学的でも論理的でもない話は、私は信じない主義でね」など、

なぜ上から目線なのかよくわからない発言や記事と出会します。

例えば、スティーブ・ジョブズの「直感」は受け入れるのに、

仏陀や空海、禅の教えなどにある「直感」は受け入れないようなもので、

実はどちらもわかっていないのに、わかったような気になっている人って、

とても多いような気がするんですよね。

これが人材育成の時には、如実に現れてくるのですが、

この壁と立ち向かうために必要なことは、シンプルにして奥深く、

本質的には受け入れ難い人も少なくないのかなって思っています。

具体的には、人材育成は基本的に、その人が知っている「枠の外」に

課題を設定してチャレンジしていくわけです。

すると、その人にとっては見えていない世界なのですから「不安な気持ち」

になり、「馬鹿げている」「なんでそんなことしなきゃいけないの」という

反発が起こる場面も少なくありません。

枠の内にある知っていることを目標にしたって、その人の為にはなりませんから、

知識や経験が豊富なベテランの人は、枠の外に課題を置くわけですよね。

ところが多くの人は、「自分は知っている」「自分は正しい」ことを前提として

いるのですから、どこから目線なのかよくわかりませんが、

自分の価値観を善とした反論をしてくる人も居たりするわけです。

要するに学ぶ姿勢がわかっていないのですね。素直さや謙虚さが足りないのです。

ただ、それを責めるのはお門違いで、だからこそ人材育成を行うわけですから、

ここで何が大切なのかを考えてみる必要があると思います。

【成長した人の言葉を振り返る】

認知の輪を大きく広げる

本当に成長した人って、「あの頃、あの上司に無理難題ばかり言われて本当に

嫌だったんだけど、今思えば、あの経験があったから自分は成長できたと思う」

というような発言をされる方が多いように感じます。

先日も某自動車販売店の社員さんが、「入社して3年間は寮で合宿生活を

送るのですが、当時は本当に嫌でしたね。朝は5時30分に起きて研修まである

共同生活なんですよ。でも、今となってはあの経験が、私を変えてくれたと

思っていて、心から感謝しています」と仰っていました。

別に近くで上司が聞いているわけでもないので、本音だと思うんですよね。

これは、どんな職業の人であっても、一流に近づいていきたい人にとっては、

欠くことができないプロセスなんだろうと思います。

そして、人が育つから会社は強くなるし、会社が強くなるから、

給与を上げることができるわけですよね。

本当のWIN-WINになって行くし、生きて行く自信にもなるのだろうと思います。

ところが今は、「何でそんなことをしなきゃいけないんですか?」

「意味がわかるように説明をしてください」なんてことをよく耳にします。

説明してあげても良いのですが、枠の外の課題は、

経験を積まない限りわからないものですよね。

わかった気になっているのは、大きな勘違いだと思います。

そして、「仕事を家に持ち込みたくない」とか、

「仕事とプライベートは明確に分けたい」なんていうわけですよ。

大体これを言う人は、二流の仕事しかできていない人だと思うのですが、

料理人でも美容師でも、どんな仕事であっても、本物になりたい人は

影の努力を惜しまないわけです。だから、益々格差はつきますよね。

結局、二流の人が増えてくる会社が伸びるわけもなく、

給与も上がらず夢も見れないから、どんどん楽しくなくなってしまう。

こちらはまさにLOSE-LOSEです。

【リーダーは人望で導く】

では、どうすれば良いのでしょうか?

これを「学ぼうとしない人が悪い」と言うリーダーは、

残念ながら、リーダーとしては不向きだなと思っています。

だって、経験が浅く未熟な人を育てるのが人材育成であり、

見えていない、できていないことが前提のようなものですよね。

出来ているなら人材育成をする必要などないわけですから。

ただ、嫌がられるし、無理強いをするとパワハラだと言われる世の中です。

どうやって導いて行くことができるのでしょうか?

私は、ここで問われるのがリーダーとの関係性であり、人望や人徳によって、

「この人の言うことなら、我慢してやってみようかな」と思ってもらえるか

否かに掛かっているのではないかと思っています。

稲盛さんは、JALを再建した時の経営者の方に、

「そろそろ皆んなを惚れさせたか?」と問われたと言われています。

この一言が、私は全てだなって思うんですよね。

惚れさせると媚びるのは全然違いますし、甘やかすのと優しさも全く違います

厳しさのない優しさなんて偽物だと思いますね。

本当に相手のことを思えばこそ、ならぬことはならぬものだと思うのです。

では、惚れてもらうための要素とは、どのようなことがあると思われますか?

リーダーとしては、まずは頼り甲斐があることだと思います。逞しさですね。

ひ弱そうに見えても筋を通す人。仕事ができる人。実力のある人。

私はこれらのことが逞しさだと思います。

それと同時にチャーミングな人。どこか可愛げのある人。オープンな人。

人を本気で慈しんでいる人。公平・公正な人。人を許容している人。

これが私は、優しさだと思うのです。

稲盛さんだって、お顔だけ拝見していると怖そうだなって思いますもんね。

厳しそうだなって感じますよ。(すいません、失礼しました)

だけど、自分を飾ることなく、いつも現場に出て声を掛け、

一緒に働く仲間の労に感謝をされていたのだろうと思うのです。

自分の大好きな人からの無理難題であれば、私はちょっと嫌なことでも

頑張ってみようかなって思いますし、叱られても嫌じゃないんですよね。

だからリーダーは、お金や地位、情報格差などに基づくパワーで

部下に影響を与えるのではなく、人徳を持って人を導くことが王道だと思います。

覇道ではなく王道こそが、フォロワーを幸せにする方法だと信じていますね。

そして人材育成によって蒙昧を抜け出せば、きっと自己肯定感も高まるし、

自信を持って自由に逞しく、生きていかれる人が増えると確信しております。

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