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活動的な休息をうまくとって心穏やかでいることが,自分を幸せへ導くと思う.

Tomokiです.12月は色々なイベントから忘年会,自分の誕生日,クリスマス,年末と色々と忙しないながら楽しい日々が盛り沢山の月を過ごすみたいだ.まさに師走と書いて字の如くといった感じだけれど,アクティブに休むこと,ゆっくり休むことを経て,何事も穏やかな気持ちを大切に生きることが重要だと思ったので今日はそんな話.

休息を十分にとったような錯覚

ついに12月に入って外気温もみるみるうちに下がってきた.急激な冷え込みで身体的にも精神的にも体調を崩しかねない時期だ.あまりに寒いがためについ活動量が低下してしまったり,出不精になってしまうのもこの季節だと思う.そうやって活動量が下がって半ば休息をとっているような毎日を過ごしていると,つい自分は十分に休息していると勘違いしてしまうことに気づいた.しかし,それは自分にとって休息に繋がっていないことを発見した.

そうやって中途半端ないわゆるだらだらとしたような時間を過ごすと,かえって疲れてしまうのは誰しも経験したことがあるだろう.これではいけないと,無理して活動的になろうと躍起になると最終的にはしっかりした休息を摂れなくなっていることに気づいた.

それはまるで昼過ぎまでだらだらと過ごした日の夕方から夜に,突然焦って何かの活動をはじめて,深夜遅くまで覚醒して,結局翌日丸一日が微睡の中で過ごすことになるのと同じだ.休息を休息として認識せずにただ時間が過ぎるままに過ごしてしまうと,僕らはたとえ休んでいるのと同じことだったのに休んでいることにならない.どうやら自分の認識自体がとても重要だったのだと思う.

”休む”ことは活動量が低いことを意味しない

それならば,休むのか活動するのかの中途半端な葛藤状態を続けることをやめて,解き放ったほうがいい.休むなら一旦やるべきタスクを傍に置いて,心身ともにリフレッシュすることに重きを置くべきだ.その活動はもちろんゆっくり睡眠をとることかもしれないし,公園に散歩しにいくことかもしれない.しかし,自分の心に従った結果,実は遠出をして見慣れない街の景色を楽しむことかもしれないし,普段あまり経験しない出来事に胸を躍らせることかも知れない.気がついたらやるべきタスクをしているときよりも活動的になっている自分にさえ出会える.

それこそ遠隔地にキャンプへと赴いたり,険しい山道を登ったりすることかもしれない.あるいは新たな分野の勉強をしてみることかもしれない.自分が「休みだから休もう」として半ば固定観念に囚われた”休息方法”が実は自分にとって有益な休息方法になっていないこともあるのだということに最近気づいた.

つい先日,友人のお誘いで乗馬体験をしてきた.僕自身乗馬を体験するのは2回目なので,久しぶりに馬に乗るという体験をするということになる.動物と触れ合うことはとても好きだし,心癒される瞬間なので良い機会だと思って友人たちと共に参加してきた.

馬の上でバランスをとったり,馬のリズムに合わせて体を動かすせいか,降りた瞬間には意外と力が入っていたということに初めて気づいたくらいに,内腿が疲労を訴えていることを感じた.非常にアクティブな1日の過ごし方になった.

しかし,それはかえって自分をより活動的にさせた.もちろん,身体は慣れない筋肉の使い方で疲労したし,乗馬後に筋トレをしたこともあって,ずっしりとした疲労感とともに,なんとか寝る準備を終えてベッドに潜り込んで寝たくらいだ.しかし,それはどこか心地いい疲れだった.少なくとも精神的な疲れは全くなかったことに気づいた.むしろ充実感に包まれた気分だったのだ.

疲れていることを言い訳に自分の興味を無碍にしない

つい僕らは疲れていることや,時間がないことを言い訳に自分の興味を無碍にしてしまう.そんなことをやっても無駄だとか,時間がもったいないだとか,疲れるだけだと自分をどこか言い聞かせて,自分にブレーキをかけることがある.しかし,僕らの中にある純粋な興味は,僕らが幸せになる方法を確信している.きっとそれは一歩踏み出せば,今までの疲れも,悩みも,時間さえも超越して,僕らを一番輝く場所まで運んでくれる光だ.

僕らの中にはそんな光がいつだって眠っている.僕らが気を付けるべきことは,この輝きを曇らせたケースの中に入れて,仕舞いには黒いベールで覆ってしまうことだったんだと思う.それは一見自然の法則に反しているようにみえて,もっともシンプルな法則に過ぎない.自分の内側の声をそのまま聞き入れるだけでいいのだから.


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