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なかなか成果の出ないことを続けること

Tomokiです.とある時から弾き語り配信を始めてから早1年強経っていたことに気がついた.自分はギターも歌も上手いと思っていないし,世の中には素敵な弾き語り動画が溢れているので,憧れてはいたけれど,やっても意味ないだろうと思ってきて,やりたいけれど勇気が出ずにいた.それをある日思い切って始めてから気がついたら1年続けていた.そして先日,始めて野外で弾き語り配信をした.周りに誰もいないところを選んでやったので,いつもの自宅からの弾き語り配信となんら変わりはないけれど,何か一つ自分の殻を破れた気がしたので,今日はそんな話.

損得勘定が入り込まない目的に突き進むのは難しい

なぜギターを弾くのか,なぜ歌うのか.それは多分好きだからに過ぎないのだけれど,そういった損得勘定のない目的に向かって突き進むことは難しい.他人からは「プロを目指しているわけでもないのに,なぜそんなに一生懸命に時間もお金もかけてやっているの?」と思われることだってある.それは音楽だけじゃない.僕は趣味が多いので,そういったことはいっぱいある.最近は将棋を指すことにハマっているから,将棋の本を読んだり動画を見て勉強したりする.なんとなく数学の動画を見て楽しんだりもするし,自分の専門分野とは違う物理系の本を勉強することだってある.

どうやら,そういった光景は人によっては奇異に思うことも多いみたいだ.自分の職業に関連すること以外のことに勉強を費やすことの方がおそらく珍しいのかもしれないし,いまだに勉強の本を買っていることを両親から驚かれることも多い.僕の周りにはあんまりいないのだけれど,どうやら一般的には勉強嫌いが多いみたいだ.

しかし,それも驚くほどのことじゃないかもしれない.実際僕は学校の生徒だった頃は別段勉強が好きというわけでもなかったし,成績もそれほどよくなかった.高専に入ってだんだんと専門分野になるにつれて興味関心も深くなっていったし,それに応じて成績もついてくるようになった.でもそれは高専に入って,たまたま自分が気に入った専門分野を見つけて,勉強するようになったわけじゃない.僕は小学校高学年の頃からプログラミングを学んでいたからだ.そしてそれは,学校の成績という面ではずっと芽が出てこなかっただけだった.

そうは言っても認めてくれる人は両親だったり,一部の先生だったり,当時ウェブサイトで交流していた人たちがいたから,そういう面では僕は充実感を得ることができた.ある意味それは芽が出ていたと思うし,それ以外に自分の得意分野がなかったから取り組み続けることができたという環境の良さもあったと思う.一部の人に褒められるという得もあったし,当時小学生のプログラマーは稀有だったので,たまたま良い立ち位置を取れたというのもあったと思う.宝くじが当たったみたいなものかもしれない.

芽が出るかわからないことを続けるのは宇宙を目指すのと一緒だ

しかし,音楽となると別のような気がする.今やYouTubeやInstagramが当たり前のものになって,至る所で素敵な演奏や歌声を聴くことができる.ネット発のアーティストも珍しくなくなった.そんな中で有象無象の一人である自分が弾き語り配信をしたところで,そんなに需要などないかもしれない.

それはイラストや3DCGも同じかもしれない.至る所で写真のような絵や,3DCGや,見たこともない世界観を圧倒的な描写力で描く人たちをたくさんみることができる.自主制作アニメなども多くなってきたし,突然ツイッターで漫画を連載していた人がデビューすることも多くなった.そんなレッドオーシャンの中で勝ち抜くのは至難の技だ.それでも一朝一夕で自分の能力は伸びないから,ひたすら水面下でやり続けて,いつの日か芽がでる瞬間まで続けるしかない.

それはまるで宇宙を目指す行為だ.届くかすらわからない重力の影響の外へと飛び出して,なんども地上に引き戻される連続だ.何度だって僕らは地の底へ叩き落とされたり,海底深くへ沈んで,暗闇の中でもがく日だってある.しかし,続けていったからこそ人類は月に足を踏み入れることができたわけだ.

そしてこの”宇宙を目指すこと”は単なる喩え話で終わる話ではない.先日民間ロケットの開発グループが短い期間で2度目の宇宙圏への打ち上げに成功した.僕は高専時代に宇宙機開発のコンソーシアムに所属していたこともあって,宇宙機開発の現場をなんとなく知っている.宇宙を目指す旅路は歓迎されることばかりじゃないことも知っている.色んな意見を真っ向から言われたりもする.「宇宙なんかよりもっと社会の役に立つことをしろ」だなんて意見もある.「宇宙に行くお金より,社会保障へお金をもっとまわせ」という意見もあったりする.それは夢を追う人々に浴びせられる言葉によく似ている気がする.「お金にならない夢を追って意味があるのか?」と言われたり,「そんなに頑張ったって報われるのは一握りだから無駄だ」と言われたりもする.僕らはもしかしたら,そうやって”賢く”生きられない人類なのかもしれない.

あるとき,ふと思って民間ロケット開発グループのメンバーを眺めて気がついた.僕がコンソーシアムで見かけた人が何人もいることに気づいた.あの人は学生の頃から追い続けて,ずっと続けてきて,今も最前線で戦っている.それも,まだ芽が出ていないところから,いつか花を咲かせようとしている.そうやって続けているうちに一緒に夢を追う仲間が増えて,その夢を信じて応援してくれる人が増えている.それは夢物語じゃないし,単なる綺麗事を言っているわけじゃない.現実に資金提供を受けて,協業する企業が増えているわけだ.

そして宇宙開発は無駄なことではなかったのも事実だ.宇宙開発を続けることでGPSや,スペースブランケットや,強化チタンが生まれたり,マジックテプが普及したりしたことも事実だ.しかし,それは最初からわかっていたことではない.副次的に利用できることがわかって出てきたものだ.無駄に終わるかもしれない挑戦も副次的に役に立つことも多い.なかなか芽が出ないことを続けることは決して無駄ではないんだ.

無駄があるということは豊かであるということだ

そもそも無駄とはなんだろう.これこそ近代思想の悪しき産物なんじゃないかと思う.特に30年近い失われた時代を過ごしてきた日本にはこの”無駄”という呪いが常に付き纏っている気がする.誰かにとって無駄なものがあるとは,他の誰かにとって選択肢があるということだ.選択肢の多さこそが豊かということだ.

僕らはひょっとしたら自ら豊かな社会を貧しくしてしまっているのかもしれない.多様な価値観があるということは,多くの人が自由に生きていくことができるということだ.みんなが好むものでなくても,数十人〜数百人の人が好むものがあれば,僕らは毎日を生きていくことができる.しかし,全員の価値観が一緒ならば,全員がレッドオーシャンに飛び込んで,誰かを引き摺り下ろす弱肉強食の世界にしてしまう.果たしてそれは豊かな世界だろうか.人間には必要な”無駄”がある.そして,それを美しいと思えることが豊かということなのだろう.

無駄だと思って手をつけないより,とにかく続けてみることが大事だ.そこには自分が今まで出会えなかった好きなことに巡り会えるかもしれない.その一片の感情を取りこぼさないことが重要だと思う.そして,それが他人にあまり理解されない自己満足なら,それこそが自分のアイデンティティに繋がるものだ.そうやって自分の自己満足を見つけていって,新たな価値を見つけて,提唱していくことは,人類を豊かにしていく行為だ.それこそがアーティストの役割なのかもしれない.

アーティストの役割

最近になって,僕も駆け出しだが”アーティスト”を名乗るようにしている.それは自惚れかもしれないが自分が果たすべき使命感と,それに対する覚悟の表明だ.自分が世界のためにできること,それはその世界の見方が変わるような,新たなレンズを用意することだと思う.色んなことに興味を持って,奇を衒ったアイデアを見つけることが喜びを覚える自分だからこそ,そういったことができるんじゃないかと思うし,そうやって面白い観点を人に知って驚いたり,喜んでもらえることが何よりも最上の喜びだと気づいたからだ.

僕の言うアーティストは,いわゆる最初に思いつく音楽アーティストとは違うけれども,そういったアーティストが行う音楽活動も続けている.それは配信をしてみたり,自分のオリジナルのフレーズを即興で弾いてみたりする程度だけれども,そうやって自分の好きを探しながら伝えていくのに,音楽はわかりやすい一例だと思っている.1年以上続けてきて,自分の拙い演奏や歌声を気に入ってくれる人も少ないなりに出てきているのが何より嬉しい.そして,その活動を続けていくうちに,自分の好きなフレーズや音の重なりや,声の出し方を見つけていくことが何よりも喜びだ.

そうやって自分の好きを見つけて,好きなもので世界観を築き上げていくのは楽しい.そうやって出来上がった世界観が,他の誰かの五感を通して伝わって,新たなアイデアが生まれたり,今までの考えを覆すようなパラダイムシフトが起きると,きっと世界は,色んな視点に溢れた,豊かで,美しいものになっていくと僕は信じている.だから,きっと僕は今も”無駄なこと”を続けながら,色んなことを学んで,身につけて,人生を豊かに彩っていくことにもっともっと夢中になろうと思う.

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