181209_表紙

『この路地の片隅に。』 ~千人歳さまとおかしな願い事と~

◯『君は……?』『見てのとおりのかみさまなのじゃ!』
 奇想天街を舞台に繰り広げられる、現代あやかし短編連作です。
◯驟(シュウ):物書き崩れの青年。
◯ひとみ:河原で出逢ったぽんこつかみさま。なにを司るかみさまなのかは内緒

◯千人歳さま:路地の神社に祀られているかみさま。なんと読むのか、そして何を司るかみさまなのは内緒
◯楸(ひさぎ):コンビニ『アラミタマート』店員。何者なのかは内緒

メロンブックスさんにて、書籍・電子書籍ともに取り扱いをしています。
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東 春行-「この路地の片隅に」扉絵題字修正(3㎜塗り足し付)


 どうしても叶えたい願い事があった。
 そのためだったらどんな犠牲も払ってもいい。
 どんなに汚いことをしたって手に入れたい。
 ――千人歳さま、千人歳さま、お願いがあります。

 『この路地の片隅に。』 ~千人歳さまとおかしな願い事と~

「ひとみ、アラミタマートで買ってきましたよ」
「うむ。ご苦労」
 白羽橋のたもと、小さな祠にそのかみさまはいる。紅白の巫女服を纏った少女、ひとみ。ある事件を通して知り合ったかみさま。ぼくたちはこうして毎日お菓子を買っては一緒に食べて呑気な時間を過ごしている。
 今日買ってきたのは、シンプルな肉まん。この寒い季節、アラミタマートのレジに立つと、ついつい注文してしまう。橋のかみさまは、湯気で真っ白になったぼくのメガネを笑いながら、はふはふと食べている。
「ところで、驟(シユウ)の買ってくれたこのタブレット端末、とてもよいぞ。白羽橋(ここ)から動けぬこの身でも、LINNEやFaithbookで他のかみさまたちとやり取りができるなんて、善き時代になったものじゃな!」
 そう言いながら、ひとみはタブレット端末を掲げ、慣れた手つきでスワイプしてみせた。駄菓子であぶらあぶらした手でそれをやるのはちょっとやめてほしいが、ひとみが明るい表情をしてくれるのが嬉しかった。外見相応の幼い表情を見てほっとする。
 もうあんな思い詰めたような顔はしてほしくはなかった。
「LINNEとかFaithbookって、そんなに面白いんですか?」
「神コンテンツばかりじゃぞ」
 どっちの意味だ。
「特にこの秋のかみさまが配信しとるウェブラジオなんて最高じゃ。何度聴いても飽きが来ん!」
 いまだにかみさまの世界のことはわからないことだらけだった。
 ひとみはそのタブレット端末を指差した。裏側には林檎のマークが刻印されている。
「ところで、この林檎のロゴマーク、知恵の実が齧られているというのは、どういうメタファーなのじゃろうと思ってな。これによって神をもおそれぬ知恵を得るということか、なんと罪深き機械(からくり)よ……」
 なんと言えばいいのやら。
「八百万(やおよろず)ちゃんねるのまとめを見、動画を見、お主のような若造には言えぬあんな記事やこんな記事を見ていたら、あっというまに日が暮れてしまう。まさに禁断の果実じゃ。あな恐ろしや。かみさまとして思索に費やす時間がなくなってしまう!」
 橋から動けず暇そうだからとタブレット端末を買ってあげたのだけど、やっぱり与えないほうがよかったのかもしれない。そんなだらだらしたクソみたいな生活を続けるかみさまを見て、ぼくは溜め息をついた。

 ※

「なぁ、驟。例えばの話なんじゃが、たとえ忌み嫌っている者であっても、眼を背けてばかりいては、真の覇者とは言えぬと思うのじゃ」
「まぁ、そうなんじゃないですか?」
 ひとみがなにを言いたいのかわからなかったけれど、その口ぶりは真剣だ。彼女はいつもほんとうにくだらない話しかしないので、こんな物々しい話題は珍しい。神界大戦的なものでも始まるのだろうか。
「わらわのきのこへの信仰は変わらん。それは揺るがぬ。きのこは、あらゆるお菓子の中でもっとも偉大であり、その愛は海よりも深く、そのこころは空よりも高い。その傘は大地をも覆うじゃろう」
「は?」
「しかし、偉大なるきのこ様の勝利を確信してやまないわらわであるが、敵の実情もしっかり知らねばならぬと思うのじゃ。じゃろ? じゃろ? じゃから、驟、後生じゃからたけのこを買ってきてはくれんか……」
 ほんとうにくだらない話だった。
「ぼくはきのこしか買ってきません」

 ※

「そういえば、ここに来るまでの道すがら、小さな祠を見つけたんです」
「ほむ」
 橋のかみさまはアイスの蓋の裏を舐めながら、ぼくの話に耳を傾ける。
 いつもだったら気にもしないような道でも、ひとみのようなこの世界の片隅に息づくかみさまに出逢ってからは、いろいろな風景がちがう意味合いで見えるようになってきた。
 コンビニの廃棄が置かれている狭い路地を通り、湿った空気の中を歩いて行く。道の隅には吐瀉物が広がっており、ぼくはそれを避けて先に進んだ。
 路地裏は袋小路になっており、そこに小さな祠があった。ひとみの祀られていた祠も簡素だったが、これはそれ以上にボロボロで、街の住人から忘れ去られているような存在だった。
 ――お前もボクを利用するのか。
 そう言われた気がしたが、ぼくの眼にはかみさまの姿は視えなかった。なんと返事をしていいか逡巡し、口を開きかけた瞬間に、ふっとそのかみさまの気配は消えた。立ち尽くすぼくを、ゴミ袋を漁るカラスが不思議そうに見つめていた。
 ただそれだけのことだ。まるでなにも起こっていない。が、いまのぼくならばここに物語が眠っていることを知っている。ぼくはひとみを見つめる。
「きっとひとびとの信仰を失って、忘れ去られているかみさまだと思うんです」
 今年の夏、あの洪水が起こるまでのひとみもそうだった。
 現代の治水の技術により、その信仰を失ってしまった橋のかみさま。白羽が立ち、人身御供(ひとみごくう)されたひとばしら。あの地震が起きたとき、川の氾濫によってこの街は甚大な被害を受けた。それを見たひとびとが知らず知らずのうちに《超常的ななにか(かみさま)》に祈り、ひとみを再びこの河原の片隅に繋ぎとめることとなった。そしてぼくは売れないウェブライターなりに、彼女のことを都市伝説的な記事として纏め、ひとびとに知ってもらおうとしている。
「ぼくは知っている。あれほど弱って、ぼくでも視ることができなかったひとみが、いまはこうして元気にお菓子をくっちゃくっちゃ喰いながら、ひがな一日タブレット端末で時間を潰しながら、くだらない話ができていることを。ぼくはまだまだ駆け出しライターだけれど、記事を書いて伝えることはできる」
「わらわのように、そのかみさまを助けたいのじゃろう?」
 頷く。ひとみは呆れるような顔で笑った。
「驟はお人好しじゃのう。しかし、それはおせっかいとも言える」
 ひとみはとんがったコーンを指に嵌めながら呟いた。
「じゃが、わらわはそんな驟が好きじゃ」

171207路地裏挿絵1

 ※

「どうせ次の記事、ネタ切れなんじゃろ?」
「どきっ」

 ※

 というわけで、再びアラミタマートの角を曲がった細い路地にやってきたぼくだった。ポケットに入れてあるスマートフォンの感触を確かめる。
「侮るでない。お主はまだわらわのような素ン晴らしいかみさましか知らぬ。世の中にはよくないかみさまもおる。わらわにしたようにそれらに近づけば、唯ではすまん」
「悪いかみさまなのに、信仰を稼げるんですか?」
「稼げるわい。わらわのように《なにもないことがご利益》であるかみさまよりはよっぽど忘れられん」
 という内容を、LINNEでやり取りした。最近購入したスタンプがよっぽど気に入ったのか、かみがみの中で流行っているというゆるキャラ、〇.八尺さまのスタンプが脈絡なく会話の途中に爆撃されていた。
 ぼくはひとつ大きく息を吐いて、路地裏に足を踏み込んだ。
 かみさまは相変わらず視えない。もしかしたら、ここにはいないのかもしれない。が、誰かに見られているような気配はした。祠には、理由はわからないが、紙が何十枚、何百枚と積まれている。なにか書かれているような感じも受けるが、裏返されているため確認はできない。それをめくって確認することは、いまのぼくには恐ろしくてできなかった。
 さて、どうしよう。
 ウェブの記事にして、その物語を伝え、存在を認知させる。そのためにはまず、この祠が何のために存在して、あなたはなにを司っているかみさまなのか訊かなければならない。『信仰』を得ることはかみさまにとっても都合のいいことのはずだから、まずまちがいなく答えてくれると思っていいはずだ。
「あ……」
 しまった。忘れていた。
 ひとみの一件でぼくは学んでいたはずだった。かみさまはみずからの信仰のみなもとを、ヒトに話してはならない。ヒトが自然と求めるから結実するのがかみさまなのであって、みずから喧伝してまで信仰稼ぎをするのは理に反する――、という掟があったのだ。
「ん?」
 そのとき、祠に書かれていた文字列に気がついた。風雨にさらされて消えかかっているが、《千人歳さま》と書かれているようにみえる。
 ここのかみさまの名前なんだろうか。それにしてもなんと読むのだろう。どういう意味があるのだろうか。ひとみにも《人身御供(ひとみごくう)》という由来があった。だから、この名前にもなんらかの意図があり、かみさまとしての謎を解く糸口にもなるはずなのだけど。

 ※

「あの、すみません。きのこの新商品ってもう品切れですか? カエンタケ風味が出たって聞いたんですが」
「あれはほんとうにカエンタケが混入していたらしくて出荷停止になったんですよ、ごめんなさい。たけのこの新商品ならありますが」
「たけのこいりません」
 ぼくは路地裏を引き返して、アラミタマートでお菓子を買うことにした。いくつかひとみと一緒に食べようと思ってチェックしていたものを探したのだが、まさかそんな重大事件になっていたとは。
「いつもたくさん買っていただいてありがとうございます。ああいう頭のおかし――、いえ、斬新でユニークな新商品がお好きなんですか?」
「ええ。その、一緒に食べたい女性(ひと)がいて、ついつい買っちゃうんです」
 コンビニの店員さんは小柄な女性だった。まだ大学生くらいだろうか。春の陽気のように柔らかな表情で、優しく微笑んだ。エプロンにつけられた名札には、楸(ひさぎ)と書かれていた。
「もしかして、彼女さんですか?」
「いえ、年上の妹のようなものです」
 我ながら意味のわからない回答だとは思うけれど、『かみさまですけど』と答えるよりは幾分マシだろう。嘘はついてないし。きょとんとした彼女は、『面白い表現ですね、それ』と言って、カゴの中のお菓子のバーコードを読み始めた。
「……あの、つかぬことを伺ってもいいですか?」
「はい?」
「ぼく、このような者なんですが」
 そう言いながら、名刺を渡す。もともと作家としての名刺は持っていたが、ひとみとの関わりがあってから新調した。都市伝説ライターとしての肩書きも加えたのだ。いまはちょっとしたウェブ雑誌で記事を書かせてもらっている。
「あれ、もしかして都市伝説ライターの《あまざらし》さんですか!? いつも記事読んでいます。わたしの知り合いの中でもいますっごく話題になっていて、特に橋のかみさまのお話がよかったです!」
「……あ、ありがとうございます」
 こんな手放しで、しかも目の前で褒められるのは初めての経験だった。人と話すのはあまり得意ではないから(だから作家なんてことをしていたのだけど)、こういうときどういう反応をしたら正解なのかがわからずどもってしまった。
「それでですね、伺いたいのは、このお店の裏手にある祠についてなんですが」
 前に路地裏に足を踏み込んだときに、このアラミタマートの廃棄ゴミがあったことから、ここの店員であればなにか知っているのではと考えていた。どうしたって目に入る場所に、祠がポツンとあるのだから。たとえその祠の理由までは知らなくても、なんらかの手がかりが手に入ればいいと思っていた。
 返ってきたのは思いがけない言葉だった。
「ああ、それは《ちとせさま》という都市伝説ですね」
「ちとせさま?」
 バイトの女性は、空中に指先でその《ちとせさま》の漢字を書いた。歳はさすがにぐちゃぐちゃーっとなっていたが。明らかにそこで書かれていたのは、一般的にちとせと読む《千歳》ではなく、さっき祠で見た《千人歳》という表記だった。
「路地裏の祠には《千人歳(ちとせ)さま》がいて、そのかみさまに宛てて手紙を書くんです。『千人歳さま、千人歳さま、お願いがあります』から始まる、まぁ、狐狗狸(こつくり)さん呼び出すような感じですね。あとは願い事を書いて、祠に置いておくんです」
「その紙を置くとどうなるんですか?」
「願い事が叶うそうです」
 なんだ、いいかみさまじゃないか。
 警戒して損をしてしまった。おおかたみんなが迷信だと思って信仰を失い、そのかみさまはちからを失ってしまったのだろう。そんな神(シェン)の竜(ロン)的な存在なら、ウェブ記事にぴったりだ。多少脚色もできて話も膨らませられるだろうし、ご利益もわかりやすい。広まったところでそれほど実害もないだろう。
「むかし、このアラミタマートに来ていたパートのおばさんから聞いたんです。たしか恋バナかなにかしているときだったかな。おばさんはまだ学生の頃、片思いを成就させるため、千人歳さまを信じてここに通っていたそうです」
「それで叶ったんですか?」
「ええ」
 楸という店員はぐいっとぼくに近寄って、小声でこう言った。
「叶いましたよ。片思いしている彼の幼馴染みが原因不明の病にかかって学校に来れなくなり、おばさんと同じように彼に片思いしている子は、親の事業が失敗して夜逃げ。他にも両手で数え切れないほどの厄災を振りまいた結果、おばさんの願いは叶ったそうです」
「……そんなことが」
 っていうか、そのおばさんどんだけ優先順位低かったんだよ。
「もっとも紙を書くだけでは千人歳さまは発動しません。継続することが大事なんですが、そのおばさんはその経験が怖くて、条件までは教えてくれませんでした」
 彼女は真剣な眼差しでぼくを見つめる。
「あのかみさまには近寄らないほうがいいと思います。これはあなたが都市伝説ライターであることを踏まえてなお、そう言いたいんです。興味本位で近づいてよいものではありません。それに最近、あの祠に紙が積まれているのを見かけます。どんな条件で千人歳さまが発動するのかはわかりませんが、危険です」
 ぎゅっと手を握られ、どぎまぎしてしまった。
「四十四円のお釣りです」
 縁起が悪い。

 ※

「――ということがあったんだけど」
 店を出てすぐ(肉まんを食べて)、ひとみに電話をした。
「千人歳さまじゃと!?」
 ひとみの慌てた声がスマホ越しに聴こえた。
「いかん。驟よ、絶対にそれ以上近づいてはならん。嫌な予感が当たってしまったようじゃ。絶対に、絶対に近づいてはならんぞ!」
 ひとみの声はいつものように腑抜けたものではなく、真剣そのものといった感じだった。彼女は橋そのもののかみさまだからあそこから動けないが、もし動けたらここまで駆けつけるようなそんな気迫すら感じるものだった。
「よいか。そやつは、千人歳さまは、いわゆる祟り神じゃ。非常に強い悪意からなるかみさまじゃ。まだ残っていたとは……。侮ってはならん。お百度参りのようにある行為を繰り返すことで信仰を蓄えたかみさまは、その対価として恨みの対象者を呪う」
 同じかみさまであるひとみがそう言うのであれば、まちがいはないだろう。半信半疑ではあったが、どうやらかなり名の知れた危険な存在らしい。さっき、あの積まれている紙をめくらなくてよかったとこころから思った。
「千人歳さま、その名にはふたつの意味が込められているという。ひとつは《穢(ケガレ)》、読んで字の如くじゃな。おおむかしの誰かが意図的に、漢字をバラして本質を伝えようとしたのじゃ。あるいは彼こそが《穢》という漢字の成り立ちかも知れぬ」
 ケガレ。不浄なものに対して抱く概念。
 神道とか仏教に詳しくないぼくでもその用語の意味するところはなんとなくわかる。死体や汚いものを本能的に忌避する感覚。『他人の尿の入っているコップがある。それを完全に殺菌洗浄したものに水を注いだ。それを飲めるか』、という喩えをネットでよく見かける。理屈ではわかっていても、なんとなく忌避してしまうもの。
「そしてもうひとつ。千人歳さま宛ての紙を置いて、呪いが成就するための条件じゃが、一年以内に合計千通が必要じゃ。これは《千人歳(せんにんさい)》という意味で、名前に込められておる」
 労力の単位である《人月(にんげつ)》みたいなものか。例えば、六人月と言われたならば、六人がかりで一月で終えることを表すし、同時に一人が六月かけて終えることも表す。正確な用法はちがうけれど、この名は一年以内に千人分の労力で呪いが発動するという意味なのだろう。
「というわけじゃ、驟、じゃからあの祠に近寄ってはならん」
「いえ、調べます」
「何故じゃ!」
 ぼくは足を進める。誰かに見られているような気配がするが、いまだにぼくの眼には祠のかみさまを視認することができない。ということはまだ信仰は蓄積されていないのだろうけど、あの紙の積まれ方からして、紙を書いている者は明らかに千人歳さまの発動方法を理解している。
「ひとみは、あのかみさまを《願いを叶えるかみさま》だと言いました。けれど、《穢(ケガレ)》として扱われているのはきっと、ひとびとが彼を呪うことにしか使ってこなかったからだと思うんです」
 包丁でヒトが殺されたからと言って、包丁に罪はない。
「だったら、そのかみさまを正しいかたちで理解して、呪いを祈りに変えたいんです。物語を書くことのできるぼくが、ひとみに出逢って、そのあとこのかみさまにも出逢ったということは、きっとそういうことだと――」
「たわけ!」
 スマホが壊れるんじゃないかと思うくらいの鋭い叱責だった。
「《正しい》? 驟はなにをもってそれを判断しようとしておるのじゃ? お主の言っているそれは、正しい・悪いではなく、気に入る・気に入らないじゃ」
 ぐうの音も出ない。
「ヒトの自然な信仰から、かみさまは産まれる。役割はそうして定められる。それ自体に善悪はない。そのようなわるいかみさまが産まれたのならば、それはそれを生み出したヒトの責任であり、社会に必要とされ、そして認識されて維持されてきたものじゃ」
 視線を感じる。
 あの祠のかみさまは、ぼくを見定めているのかもしれない。
「千人歳さまのちからは本物じゃ。ときにかみさまだってそれに縋ることもある。驟、わらわはお主が心配なのじゃ。」
 ひとみの声が震えている。
「紙が少ないならばまだ問題はないが、それだけ積まれておれば千人歳さまも覚醒めておるはず。お主には視えぬかも知れぬが、気配は感じるじゃろう。いまは刺激しないのが一番じゃ!」
 ぼくを心配するひとみの声が響く。そうだ、このかみさまはあの大災害の直前、ぼくをあの河原から遠ざけるために嘘までついてくれていた。『かみさまにしか知り得ない情報は、ヒトに伝えてはならない』という制約の中で、必死にぼくを助けようとしてくれたのだ。そしてその災害が起こってからは、罰を受けることを承知でみずからの出自を明かしてくれた。
 ひとみはいつだって、ぼくのことを心配してくれているのだ。
 ――って、あれ。
 いまのひとみの言葉には引っかかるところがある。
『紙が少ないならばまだ問題はないが、それだけ積まれておれば』
「なんでひとみ、積まれている紙の量がわかったんですか?」
「あ……」
 河原で話をしたときには紙の量には注目していなかったから詳細には話していないし、千人歳さまを知ってからあの祠を写メで撮ったりしたわけではない。ひとみが千人歳さまの危険性を認識しているのは、同じかみさまだからということで納得はできるが、紙の量ばかりはここに来ないとわからないはず。しかし、ひとみはあの橋のかみさまであるから、あそこから動くことはできない。
「て、てきとうに言ったのじゃ。当たっとったか、今日のみずがめ座は一位だったし」
 かみさまにもみずがめ座とかあるのか。
 それはともかく、明らかにひとみの口ぶりはなにかを隠そうとしている。ある確信が持てたぼくは歩を進め、祠の前に立った。スマホは通話状態のまま、ポケットに入れている。積まれている紙はおよそ八百枚だろうか、呪いが発動する千枚まであと一歩というところ。
「千人歳さま、失礼します」
 手のひらの汗を拭い、一番上の伏せられている紙をめくってみる。

 ※

 千人歳さま、千人歳さま、お願いがあります。
 驟がたけのこを買ってきますように。

 ※

 おい。
 ぼくは積まれている紙の中から、何枚か抽出してみたが、すべて同じ文面で書かれていた。一番下の紙もまったく同じ。ということは忘れられていたこの祠の都市伝説を蘇らせたのは、ひとみということになる。しかもこんなくだらないことで!
 それにしても、橋から動けないひとみがどうやってこれを実行したのか。
「あぁ、バレちゃいましたか」
 とつぜんの声に振り返ると、あのコンビニ店員が頭を掻きながら立っていた。エプロンの名札には楸の文字。手にはスマホ。ピコン、ピコン、と連続して電子音が鳴っている。
「お客さん、レシートお忘れです」
「レシートいらないです」
「いまキャンペーン中で五枚貯めると、新商品ひとつと交換できますよ」
「是非ください」
 じゃなくて。
 このコンビニ店員さんがいつもどおりの感じで話しかけてくるものだから、ついつい普通に回答をしてしまった。
「もー、ひとみから怒涛の爆撃LINNEですよ」
 スマホの画面を見せつけられる。

 ※

「さっき、驟が店に来なかったか!?」
「誰ですか? 都市伝説ライターのあまざらしさんなら来ましたけど」
「ばっかもーん! そいつが驟じゃ。いますぐ千人歳さまに近づくのを止めるのじゃ!」
「そんなこと言っても、わたし仕事中ですし」

 ※

 ぼくがそれを読んでいるあいだもピコンピコンと通知が踊っていた。おそらく連絡がつかなくなったぼくの代わりに、彼女に対して必死にスタンプを送っているのだろう。
「ひとみを知ってるんですか?」
「ええ、ともだちですよ。ふるいかみさまですが、最近ようやく八百万ちゃんねるにアクセスできるようになったみたいで、仲良くなったんです。わたしのラジオの熱心なリスナーでもあるしね」
 楸はぼくの持っている紙を指差した。
「それ。恥ずかしながら、ひとみに頼まれてわたしがせっせとやっていたんです。わたしのラジオをあんまり褒めてくれるものだから、断りづらくって。それにアラミタマートのお客さんですから、君を介してですが」
 ぼくは千人歳さまの情報収集として、もっとも間抜けな人に相談をしてしまったようだった。
 ぼくがいつもこのコンビニでなにを買っているかを彼女は知っている。そしてひとみとの雑談の中で、普段どういうものを食べているかということは話題に上がるだろう。ひとみは動けないから誰かがパシリをしていることは想定できて、そのパシリと思われる人物が、ひとみから秘密裏に依頼をされていた千人歳さまに興味を持ってしまった――。
 ぼくの気づかないところで、このバイトさんを通じて、ぼくとひとみは複雑な絡み合い方をしていたのだ。このバイトさんにしてみれば、もう笑うしかない滑稽な状況だろう。しかし、そこまで気づいてなお止めなかったあたり、このバイトさんもそろそろ千人歳さま参りがめんどくなっていたのかもしれない。
「さて、そろそろ戻らなくちゃ。ごみ捨てだって名目で出てきたから。それじゃ、また記事楽しみにしてますよ、あまざらしさん。《四季神(しきがみ)》連中でシェアしてますので。あとたまにはたけのこも買っていってあげたらいかがでしょう、美味しいですよ?」

画像2

 ※

「嫌です、絶対に買ってきません。だいたいかみさまが神頼みってどういうことですか」
「うわーん、この世に神も仏もいないのじゃ!」
 通話を切り、スマホをポケットに入れようとすると、LINNEの通知がピコンピコンと踊った。ひとみはいまごろどんな顔をしているだろう。まったく、あのとき凄い気迫で電話してきたのは、ぼくを心配するためではなくて、こんなくだらないことを隠すためだったなんて。
 ため息をついて立ち去ろうとしたぼくは、ふと祠を振り返る。
「千人歳さま、千人歳さま、お願いがあります」
 ぼくは取材用のメモ用紙を一枚ちぎり、そこにペンであることを綴った。
 ここに何を書いたのかは、ひとみには内緒。もちろん読んでる《君》にも内緒。
 もし《君》があるコンビニの路地の片隅に小さな祠を見つけても、そこに積み上がっている紙だけは読まないでそっとしておいてほしいな。

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