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パリ 26ans 2001 juin - juillet

 ソルボンヌの春学期は上級クラスに入ることができて、三か月の経済フランス語の授業を終了した。アリアンスフランセーズでは秘書フランス語のディプロムも取れたので、夏に商業フランス語第一過程の試験に通れば、10月から始まる大学セクションの入学試験を受けることができる。

 6月のある日、講義のあと寮に戻ってきたら、受付で事務員の女性から来月はどうするか聞かれた。
「あの一人部屋は夏休み期間中は寮費が倍になるのよ。二人部屋でよければ今と同じ月500ユーロで移れるけどどうする?」
 まだ、ステュディオは決まっていなかったし、相部屋というのはどうかなと思ったけど、倍の寮費は払えないので、部屋を移動することにした。

 寮は夏休みに入ると、卒業したりバカンスで数ヶ月不在の部屋に、ベッドを無理やりいれて二人部屋にして、アメリカからの学生団体を1ヶ月受け入れていた。静かだった寮はあっという間に、Tシャツに短パンでサングラスをかけたティーンネイジャーであふれ、ディズニーランドみたいになった。
 商業フランス語の試験が終わってほっとしたのもつかの間、新学期には大学クラスに入るための試験準備が必要だったので、寮の最上階にある図書室に1日こもっていた。夕方部屋に戻ってみると、巨大なスーツケースが置かれ、服や本や靴や下着があふれて、ちょうど線を引いたみたいに半分だけものが散乱していた。
 私が呆然と入り口に立っていると、後ろから「ハーイ」と満面の笑みを浮かべて、ブルーアイズ、黒髪、へそピアスの女の子が入ってきた。「パリの美術館で絵を学ぶ」アートスクールから来たジェニファーという17歳のカリフォルニアガールだった。30名ほどのグループで、彼女だけがあぶれて私と同室になったらしく、同情した友達たちがかわるがわる彼女を呼びに来て、夜遅くまで戻ってこなかった。私は夜22時頃まで図書室にいて、シャワーを浴びてさっさと寝てしまうし、顔を合わすのは、朝、たまたま起きるタイミングが一緒で、地下にある食堂へ朝食を食べに行くときくらいだった。

 1週間ほどたったある日、たまたま二人とも部屋にいたときに、部屋の電話が鳴った。私のベッド側の壁に電話があるので受話器を取ると、しらないフランス人がアローといい「ジェニファーと話したい、イリーからだといえばわかる」といわれた。その名前をいうと、向かいのベッドに座ってスケッチしていた彼女はとても嬉しそうな顔をして電話に出て、英語でなにかひそひそと話していた。彼女が受話器を置いた直後にもう一度電話が鳴ったので、彼女が出ると、What?と怪訝そうな顔をして、今度は私に受話器を渡した。ユアンからの電話で、突然英語でまくしたてられて驚いていた。今日の夜はパリに戻れるらしいので、会う約束をしたり、しばらく話して切った後、また電話が鳴った。今度は英語で「ジェニファーのフィアンセ」という男の子からかかってきた。彼女にそういうと、今度はちょっと驚いた顔をして受話器を受け取り、なぜ携帯にかけないの?といいながら、かなり長く話していた。

 ユアンはヴァンセンヌの駐屯地にいるというので、休みの日ヴァンセンヌの森で待ち合わせをした。広々とした公園の芝生に寝転んで、ユアンは疲れているのかすぐ寝息が聞こえ、私は初夏の爽やかな風に流れる雲をただただ眺めていた。夕方、公園の野外音楽堂にどんどん人が集まり始めて、何かコンサートが始まるようだった。警備員に押されながら、ステージ脇の柵の人込みにまぎれて舞台を見ると、初老の女性が表れた。ラテンのリズムがスピーカーからあふれ、割れんばかりの拍手と口笛、立ち上がり何かを振り回す観客。初老の男性たちのトランペットやギター、ピアノ、ドラム。南米のベサメムーチョの甘い調べ、カンデラと叫ぶ迫力に圧倒された。熱狂的にステージと一体となる客席の熱気と官能的な歌声と激しいリズムに、体が訳もなく踊りだし、私たちはずっと体をくっつけていた。
 このコンサートが、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのパリ公演だと知ったのはずっと後だ。

 この1ヶ月は、電話が鳴るたびにジェニファーと取り合いになった。私がちょっと長電話をしていると、彼女は腕を組んで、私も電話を待ってるんだから早く切ってほしいというジェスチャーをした。
 ある日の夜中、物音がして目が覚めた。暗がりの中でどさりと何かが倒れる音がして、大きなバスケットボールシューズをはいた足が見えてこちらのベッドにあたった。驚いて起き上がると、男と抱き合っているジェニファーと目が合った。びっくりして思わず部屋を飛び出した。トイレまで行って、便座に座り落ち着いてみると、なんだかそんな反応をした自分が恥ずかしくなって、部屋に戻った。
 暗い部屋でジェニファーは一人ベッドに座って「ごめんなさい」といった。私が静かに「驚いただけよ」というと、彼女は「ごめんなさい」ともう一度小さな声で言うとベッドにもぐりこんだ。
 次の日、宿題だからと彼女は私の絵をかいてくれた。カラフルな水彩画で、できあがった私の髪は緑色で、瞳はピンク色だった。
 その週末、彼女たちのツアーが出発する前の日、彼女は私に「今夜はイリーと会える最後の夜なの。彼をここによんでいい?」と聞いた。私はちょうどユアンと会う約束をしていたので、「私は夜戻らないから大丈夫よ」と伝えた。翌日、昼過ぎに寮に戻ると、巨大なスーツケースと散乱した服たちはなくなっていた。私のベッドにThank you!と走り書きされたあの絵が置かれて、隣のベッドの下にケルアックのon the roadが忘れられていた。 

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