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療育にまつわる「からだ」へのまなざしvol.20

「他人を傷つけてしまっている」ということと、「本人が苦しんでいること」は、分けて考えてみるところから、はじめてみるということ。と、いささか、突拍子もない言葉からスタート。
これを、以下、バオバヴカフェでの内容(文責:花沙)と、照らし合わせてほしい。
先月のnoteに、35歳以上の人は、基本的には、発達障害について、何ら知らない(→わからない)ということを書いたが、この「知らない」ということだけで、何か、ことをややこしくしていないか、複雑にしていないか、しいては「生きづらさ」を助長していないか…というところに話は進む。
そして母性。今はすっかり「便利」なだけになっている感触。そういえば、昔、「便利屋」という職業があったような。今もあるのかな?母性は、即興性を体現しうるものという感触がある。その場に応じて、柔軟に対応していくという面において、シンプルに。その母性の疲弊とは?大げさかもしれないが、人類の危機にも見えてくる切実さを抱えた案件がチラホラよぎる。そこには冒頭の「傷」が、「母性」に付きすぎているような、何か。暴力への転化。
バオバヴカフェ、最近は結構ディープな方向に向かいつつあり?!どうぞ参加してみてください。次回は、10/27、11時〜(オンライン、zoom)。詳しくはFacebook にて(「からだのアトリエ バオバヴ」で検索)

2020.9.24 バオバブカフェ <雑感>
 
■ 療育におけるカラダを動かすことについて
発達凸凹の年長さんA君は、とあるダンスのワークショップに参加した。前半は、カラダほぐしが中心で、他のお友達の真似をしながら、なんとか見通しをもって楽しく参加できた。後半は、ほんの少し踊りの振付の要素が入ってきた。A君には、状況を理解することが難しく見通しが持てなくなってしまった。ワークに参加することができなくて、ぐずぐずとなり、泣いてしまった。
カラダを動かすワークは、たくさん動くことで呼吸が上がり、動くことの快感、多幸感を得ることに繋がる。お友達と、その多幸感を共有するような場面も創出されるだろう。一方で、「自分にはできない」という状況にもつながりやすい。
また自閉症スペクトラムにおいて、他者への関わりが非常に積極的であるタイプ(適切な距離感は持ちにくい)と、一見他者との関わりが薄いタイプがある。非常に積極的なタイプは、見通しを持てれば、カラダを動かすことにも積極的に関わることができる。一方、他者との関わりが薄く見えるタイプは、「みんなで運動することが嫌いなのかな」と思われがちで、皆で運動するチャンスを逃しやすい。
カラダを動かすことで、自らの呼吸を感じやすくなる。それらが解放感や多幸感につながるとすると、そのような運動の方法は、発達凸凹さんには個別対応しか方法が無いのだろうか?
 
 
■療育における「言葉」について
 カラダを動かすことと同時に、言葉を紡ぐことも大切となってくる。その場合、言葉の役割は、マイナス状況からちょっとでも「まし」と感じられる状況に、引っ張り上げてくるときに有効なのではないか、というお話がでた。頓服のような役割だ。
 通常学級在籍の凸凹さんのB君(小3)は、縦笛が苦手である。音楽の時間は、縦笛がうまくできないイライラと、変な音を出して他の子に迷惑をかけるんじゃないかという恐れ、合奏のとき音がうるさくて混乱してしまう苦痛を感じていた。B君のお母さんは、通常学級で音楽を受けないという選択肢以外に、あまりよい解決策はないだろうなと感じていた。それでもお母さんは、担任の先生に、B君の気持ちを伝えて共感してもらうことが大切かなと感じた。お母さんは、B君の了解を得て、音楽の時間にB君がどのように感じているのか、連絡帳に書いた。担任の先生は、さっそくB君を呼んで、B君の気持ちを理解したよ、先生は頑張っているB君をよくわかったよ、など、受容と肯定の言葉をかけてくれた。劇的な解決策がない場合でも、子どもにとって、受容された肯定されたと感じる言葉がけが、「生きる力」に繋がるのであれば、丁寧に言葉を紡いでいく必要があるだろう。
 
 
■「交通整理」役について
 多動気味のC君(小3)は、ある日リビングで、手持無沙汰な空白の時間に、自分を落ち着かせるためにその場でウロウロしたり、せわしなくカラダを動かしていた。それを見たお父さんが、「なんて落ち着きがないんだ!」と叱った。叱られて嫌な気持ちになったC君は、2階にいたお母さんに、自分が嫌な気持ちになったことを訴えた。お母さんは、子どもの特性に理解の無いお父さんに腹が立ったが、C君が「僕がウロウロするぐらいで、お父さんが嫌な気持ちになるのが悪い」と言ったことも引っかかった。
お母さんは、C君には「C君がウロウロしていると、嫌な気持ちになる人もいるよ。リビングでウロウロするのではなく、隣の部屋だったらウロウロしていいよ」と伝えた。お父さんには「多動は子どもの特性であるとを、忘れているんじゃないか。どこでウロウロしていいのか、具体的に本人に言う必要がる。」と伝えた。
発達凸凹の本人は、自分が周囲にノイズを発しているということに気付いていない場合がある。支援とは、本人の困りを手助けすると同時に、周囲の人が感じている困りを本人に伝えることも含んでいる。その役割の人は、支援者=周辺の「交通整理」役ということになる。
 
 
■女性性(母性)と「交通整理」役
「交通整理」役は、生物学的な男性・女性は関係なく、女性性(母性)が求められる。受容と肯定的な示唆、客観性など、求められるスキルは高い。暗黙の了解で女性性(母性)が多いとみなされがちな母親は、その「交通整理」役を担うことが多い。端的に言うと「交通整理」役は、しんどい。エネルギーがいる。「交通整理」役を、支えるのは誰なのか。「交通整理、それは母親の役目だろう」という暗黙の了解と、無自覚の押し付けが、目に見えない「暴力」となりうる。
 

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