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療育にまつわる「からだ」へのまなざし vol.39

「小学校1年生の女児が、先生のひざの上に座っていた。その子がふとした拍子に、別の場所に移動したとたん、ほかの場にいた男児が、ひょいとその先生のひざに座った。それに気づいた女児は、「そこは私の場所!」と言って、その男児を押し倒してしまった。男児は「いたい」と大声を出して、怒った。そのとたん、大人が、女児に「押したらあかんよね。あやまろうか」と声かけをはじめた・・・」

こんな事例があったので、下記にある「感情の社会化」と合わせて、考え合ったのが、今回のバオバヴカフェの主な内容でした。ここに出てくる女児の衝動性の質は、本人が考えるより先に手が出てしまう類のもので、実際、後で「なんでこんなことをしてしまったのだろう」というような、落ち込みがみられるケースでした。衝動的な行動を具体的にあげることもしてみました。「なぐる・ひっぱる・ける・なげる・とびだす・とびのる・とびかかる・・」これをおどりにしたら、なかなかダイナミックな振り付けになりそうですが、衝動性は、即興において、おもしろい展開を生み出す起爆剤にもなりうるな・・などという話や「感情とダンス」について、改めて考えてみるということも出てきたりと、人間存在の面白さを垣間見るような、そんな時間となっていきました。

(以下、文責・花沙)
<「感情の社会化」?>

感情の社会化とは何でしょうか。大河原美以「ちゃんと泣ける子に育てよう」(河出書房新者社)から、いくつか引用しながら、雑感を書きます。

例えば、子どもが笑ってキャッキャと声を上げています。子どものカラダ中に流れている何か快のエネルギーの感じを、大人が「うれしいねえ」と言葉にして返してあげます。子どもは、自分の感じているこの身体感覚が「うれしい」という言葉が結びつくのだと理解します。


「感情をあらわす言葉を獲得するためには、大人との相互作用がいつも必要なのです。感情は、身体の中を流れる混沌としたエネルギーにすぎませんが、言葉と結びつくことによって、他者にそれを伝えることができるものになります。このプロセスを感情の社会化と言います。」(p29)


自分のカラダの中に流れている「何か」のエネルギーの感じが、感情を表す言葉に繋がると、自分の感情を他者に伝えることができたり、共感してもらえたりします。ポジティブな感情に関しては、自然と社会化されますが、ネガティブな感情はどうでしょうか。


「怒っている、悲しい、さみしい、不安だ、憎たらしい、などのネガティブな感情については、感情の社会化のプロセスを自然にたどることが困難になっているのです。」(p30)


例えば、3歳の子どもが園庭で三輪車に乗って遊んでいると、他のお友達が「つぎ、かーしーて」と言って、三輪車を借りていきました。3歳の子どもは、カラダ中にモヤモヤとする不快なエネルギーを感じて、泣いて叫んで大暴れ。この時、大人は「順番に使おうね」「次また借してもらおう」など諭しますが、本当に言ってもらいたいのは「くやしかったね」「いやな気持だね」という言葉なのです。


子どもが身体で感じている感覚を大人が察知して、適切な言葉にして名づけること・・。特にネガティブな感情に関しては見過ごされがちで、社会化される機会を失ったまま児童期に入ると、学校で「問題の多い子」などと言われてしまうのかな・・と思いました。






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