畑がすき。理由なんて、なくていい。
畑が好き。
いい野菜をそだてることに特別興味があるわけでもない。野菜ができたら嬉しい。さっぱりできなくても、それなりに楽しい。
ハイキングやピクニックはあまり興味がないのに、時間があれば、畑でぼーっとしている。
何もしないと畑っぽくないので、ときどきカモフラージュとエクササイズを兼ねて作業をする。ジムには会費を払ってもすぐ行かなくなるくせに、畑には、やることなくても行ってしまう。
特に土地に思い入れがあるわけでもない。でも畑にいけないと、悲しいし、落ち着かない。なんなら禁断症状がでる。呼吸が浅くなる。体が固くなる。息が苦しくなる。
どうしてこんなことになったのか。気になったので、畑と私の関係を掘り下げてみた。
ひいおじいちゃん、実は農家だった
初めて畑にいったのは、幼稚園の芋ほり遠足。バスに乗って到着したら、ひいおばあちゃんの家に到着。「え?なんで?」と疑問の沸き上がる状態で、奥の畑ににいっていもほりしたのを覚えてる。(ちなみに掘ったのはじゃがいも。北海道は「芋」といえば「ジャガイモ」が頭に浮かぶひと、多いはず。)
そのころ、ひいおじいちゃんはもういなくて、オジサンが畑をしていたらしい。でも親戚付き合いがほとんどなかったため、畑にお手伝いに行くような関係性ではなく、遠足以降は一度も畑に行くことなく地元を離れた。
食の安全を感じたくて、畑に通う
そこからさっぱり畑に行かなくなり、次に畑と関わるようになったのは、30代になってから。その頃、農薬の問題がテレビで騒がれていて。出産を意識していた時期でもあり、危機感から畑や地球環境のことを学び始めた。パーマカルチャーと出会ったのもこの時期。
理屈を学び、知識を入れれば入れるほど、ますます不安になっていく。生きていること、そのものが楽しめない。人間、地球上にいないほうがいいんじゃないか?
そんなメンタルで迎えた3.11。
駅チカ・オール電化の高層マンションで暮らしていたため、電気が止まるとトイレにすらいけない現実に呆然。そもそも電気がなければ何もできないIT系の仕事って、価値があるの?
身一つでしっかりと生きていける人間になりたい。
今の自分のライフスタイルをひっくり返したい!
衝動のままに、スーツケース2つで日本を飛び出し、旅にでた。
なぜか旅先だというのに、ちょっと滞在できる余裕ができると、地面を耕し、種まきしていた。そもそも収穫までそこにいるわけでもないのに。当然、全く芽が出ない。わかっているのに、なぜか感じる充実感。土に触っている。それだけで、とにかく気持ちが柔らかくなって、落ち着いた。
帰国後もあちこち放浪の後、ご縁があってみかん農家の嫁に。あれこれ行動したのだけど、さっぱりうまくいかずに、挫折し出産後に離婚。結局(背に腹は代えられず)IT系の仕事をして生きることになった。ひとまず、衣食住に困らない生活ができるようになったのと同時に、頭の中に問いが浮かんだ。
さて、ここから何をしたいのか。
どう、生きていきたいのか。
そう考えたら、また、しっかり畑に通いたくなった。
いつでもいける畑がある、という安心感
長野に移住し、たまたま近くに使える畑があるという恵まれた状況で、適当に耕して、種をまくことを始めた2022年。
土づくりもせず、いきなり畝をつくって種まきして雑草をかぶせる。水やりもしないでお天気任せ。そんな状況でも、ぼちぼちと野菜ができた。うれしい。雑に畑をしている様子をみて、お隣さんがあまったトマトの苗をわけてくれたりして、予想外のコミュニケーションが生まれた。
自給には程遠い。収益や効率を考えると、スーパーで買うとの変わらないどころか、高くつく。それでも畑をする理由をあえて挙げるのならば、植物が育っていくことを眺めるトキメキや、食べ物がそこにあるという安心感を与えてくれるからかもしれない。運動不足の解消にもなるしね。
でも、正直なところ、理由なんかないし、どうでもよくて。
ただ、畑にいることが好きで、よくわからないけど、畑仕事っぽいことをしている。
土があるから、耕す。
畑があるから、種をまく。
実があるから、いただく。
今「そこに山があるから登るのだ。」という謎の言葉に、ものすごく共感している。
たのしくて、きもちよくて、元気になれる場所。
自分のできることの限界を思い知る場所。
嬉しさも悔しさも、癒しも絶望も、まるごと全部そこにある。
それが私にとっての畑。
農園は小さなインフラ
以前暮らしていた場所では、台風が来るたびに、胃が痛くなるような緊張感があった。
ライフラインが止まったらどうしよう…
子連れで避難所ムリだから、家で過ごせるように準備しなきゃ…
ガソリンいれて、買い出しいって…
思いつくこと、すべてを想定して準備したところで、思いつかない何かが抜けていたらどうしよう…と不安になった。
今年、移住して初めての台風がきたとき、いつもとは違う余裕と安心感があった。だって私には、畑がある。
お店が閉まっていても、畑にいけば食べ物がある。
庭には薪がある。
台所にも頂き物の野菜と果物がたくさん。
足りないのは水とカセットコンロのガス。よし、それだけ準備しよう。
例え、長く水道・ガス・電気が止まったとしても、コミュニティー農園に食べ物持っていけば、炊き出ししながら、暮らせそう。
むしろ、それ、楽しそう。
そんな妄想をして、ちょっとワクワクした。
完全な自給自足を日常から目指すのは、私には難易度が高い。でも、チームや仲間と楽しみながら、完璧じゃなくても小さな規模のスローなインフラをつくっていくことができたら、漠然とした不安にさいなまれることはなくなることを実感した。
いつも便利に暮らすための公共のインフラと
緊急時や休暇のときに使う小さくてスローなインフラ。
インフラにバックアップがあることで、暮らしの安心感は大きくなる。
なにより、この小さなインフラは人力だったり不便だったり、制限がある分、知恵を絞って工夫する楽しみがある。でもそこで試行錯誤しながら身に着けた感覚やワザが、いざというときに発揮される生きるチカラとなる。
もしかすると、私はこの「生きるチカラ」やヒトとしてのポテンシャルをただ試したくて、畑に通ってしまうのかもしれない。
畑がない…でも大丈夫!を作ります
畑なんて全然、まったく縁がなくて、何をどこから始めていいかわからない。そもそも近くに土がない。どうしたらいいの?
私も気軽にいける畑がない状況で暮らしているときに、同じように不安になった。きっと、多くの人が正体のない漠然とした不安を抱えながら暮らしている。そこを少しでも変えるために何ができるか。
畑で体で学べることを、おうちの中でも試せたらいいのに!
ということで、2023年は、畑や食、エネルギーなど、暮らしにまつわるいろいろなことをおうちでフカボリできる発信と体験を提供していくことにしました。
日々の暮らし、本当におもしろい。知れば知るほど知りたくなる。
一年中毎日、いつでもどこでも好奇心を持ちながら暮らしを楽しむ!という思いを込めて「フカボリ366」と名前を付けました。
ちょうど大豆が収穫できたので、関単におうちでできる納豆、みそづくりから始めて、ベランダや玄関でできるコンポストや食べ物作りをじわじわと紹介していきます。
ときどき畑でリラックス。続きはおうちで。
移動ができないときは、オンラインで。
リアルとリモート、ときにはメタバースも混ぜながら、ゆるくて温かいつながりというインフラを作っていきます。
生きるっておもしろい!
暮らしって楽しい!
ワクワクにやにやしてしまう。そんなことをじわじわやっていきます。一緒に遊びたいひととつながれたら嬉しいです!