忘れてしまわないように
午後6時半。
外に出てみると、それほど暑さを感じなかった。
立秋を過ぎたせいなのか、関東に向かっている台風の影響なのか、涼しめな風が吹いている。
玄関の前で、迎え火を焚いた。
パチパチと音を立てて、焚き木が燃え出す。
迎え火は「ご先祖様が帰ってくる目印になる」と言われているが、なかなか実感が湧かなかった。ただ、2年前に母方の祖父が亡くなった。そして、今住んでいるのがその祖母と祖父の住んでいた家ということもあり、お盆の恒例行事もなんとなく腑に落ちるようにはなってきた。
「じいちゃんが喜ぶわ」
迎え火の様子をLINEで送ると、母親からそんな返信があった。
お盆の期間に、祖父がこの家に本当に帰ってきているかは分からない。
ただ、思い出すきっかけにはなるのだ。祖父が亡くなってからまだ2年しか経っていないが、やはり少しずつ記憶の輪郭はぼやけてくる。一年に一回くらいは意識して思い出さないと、このまま忘れてしまうのではないかと、少し焦る。
いま映画でも話題のワンピースで、昔こんな言葉があった。
こう考えた時、お盆というのは故人を忘れないためにあるんじゃないかと思った。
その人の存在が消えて無くならないように。
その人が完全に死んでしまわないように。
年齢を重ねるごとに、日本ならではの風習や慣習に「よくできてるなぁ」と感心するようなことが増えてきた。もはやそんな歳なのかもしれない。
焚き木が燃えて真っ黒になると、自然と火が消えた。
祖父が戻ってきたのかは分からないが、戻ってきたのだとしたら、数日ではあるがゆっくり過ごしてもらいたい。
迎え火の後処理をしながら、そんなことを考えていた。
(note更新251日目)
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