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不定期な今月のコラム(2022年5月号)

”Luck is what happens when preparation meets opportunity"

この2ヶ月、フィリピンと日本をインターネットで繋ぎ、英会話レッスンを受けている。春先に、何か日々の生活に新しいルーティンを取り入れたいなと思っていたところ、友達が薦めてくれたのがオンライン英会話レッスンだった。長いこと海外にも行けていないし、英語を話すことに飢えていたから、すぐに飛びついた。
毎日25分コースを2ヶ月間続けるうち、たくさんいる講師の中でも気の合う講師に何人か出会う。実際に会ったことのない彼らと、些細な心の内やプライベートなことも話したり、笑い合ったりしていることが、とても特別なことのような、でも自然なことのようにも思う。インターネットは私たちの生活になくてはならないものになったが、もともとこの世界に張り巡らされている見えない糸を可視化・具現化したものがインターネットなのだとある人が言っていた。

ある日のレッスンで読んでいたコラムの中に、こんな言葉を見つけた。
”Luck is what happens when preparation meets opportunity"
日本語にすると、「幸運は準備と機会が出会うときに訪れる」だろうか。古代ローマの哲学者セネカの言葉らしい。
先日7日、京都市内にある旭堂楽器店ショールームでコンサートを行った。一緒に音楽を奏でたピアノは、まさにこの言葉を体現するようなユニークな経歴を持つピアノだった。

ピアノの名前はスタインウェイ・モデルD。生まれ故郷はドイツ・ハンブルク。出生年は1966年。コンサートの最初に、旭堂楽器店の多田社長からこのピアノが楽器店にやってきた経緯をお話しいただいた。
1966年にオープンしたとある施設に、このピアノが生まれてすぐにやってきたのだが、遠国からはるばるやってきたにも関わらず、ほとんど弾かれることなく現在まで放置されることになってしまった。昨年、そのピアノを引き取ってほしいと依頼を受けた多田社長が、あの素晴らしいスタインウェイを救ってくれた。

高度成長期の60年代の日本は、ちょうどクラシックブームが始まった頃だ。海外からスタインウェイのような楽器や演奏家が来日するようになり、日本でもヤマハやカワイが質の良いピアノを作るようになった。
スタインウェイが作られる前までのピアノの歴史は、ヨーロッパのクラシック音楽の歴史と同時に語ることができる。
クラシック音楽の源流である教会音楽に使われていたオルガンをモデルに、家庭に持ち込める鍵盤楽器として作られたのがチェンバロやクラヴィコード。バッハ、ハイドン、モーツァルトなどの時代にはこれらが主流の楽器だった。次第に演奏会用の鍵盤楽器として改良が行われ、ベートーヴェンやシューベルトの作る音楽は、その製造技術の発展を加速させた。その頃にはより音色の表現力を求めた、とりわけ弱音の出せる楽器としてフォルテピアノが生まれた。ブロードウッド、エラール、プレイエルなど数々のピアノ製作者がフォルテピアノの製造、改良に取り組んだ。そして19世紀初頭に起こった産業革命はピアノ製造に大きな変革をもたらした。19世紀中頃にはショパンやリストといったヴィルチュオーゾが登場し、ピアノ製造の技術はますます押し上げられた。
と、ヨーロッパピアノの歴史はざっくりこんな感じだ。

さて、スタインウェイが登場するのがこの後。新たなピアノの歴史を刻むことになる舞台は、ヨーロッパからアメリカへと移る。
19世紀半ばのアメリカはゴールドラッシュの訪れにより、大量の移民を迎える時代になる。スタインウェイ家も移民としてドイツから新天地アメリカへ渡り、ピアノ製造業で成功を収めた。有名なカーネギーホールがオープンしたのが1891年。3000人規模のホールにも響くように特別な設計で作られたスタインウェイは、それまでのヨーロッパピアノとは全く異なるキャラクターを持った楽器に進化を遂げた。スタインウェイのコンサートグランド(フルコン)が作られた時点で、ピアノはほぼ完成形に至ったと言える。
ちなみに、ハンブルクに工場ができたのは、ニューヨークで創業してから30年後のこと。

現代では、スタインウェイのフルコンを使ってサロンコンサートを楽しんだり、反対に大きなホールでチェンバロの演奏を楽しむこともある。本来の目的とは別に、一定の年数を経たり、ある特定の時代を越えることで、新しい価値観が生まれる。
ピアノの主な原材料は、木材と鋳鉄である。その原材料の質に音色が大きく左右される。私はもっぱら古いスタインウェイが好きだが、古いヴィンテージ家具に味が出てくるように、ピアノの音も経年によって変化し、また個体の性格がはっきり現れてくるようになる。そしてそれは、楽器それぞれのストーリーを味わうことでもある。

旭堂楽器店にやってきたその56年間眠っていたスタインウェイは、なぜ突然起き出したのだろう。私は、そのキーポイントは「人」と「場所」にあると思う。

突然能の話になる。能のストーリーは、たいがい旅の僧であるワキと、死んだ人の霊であるシテが出会うところから始まる。
<野宮>という能をご存じだろうか。ある日旅の僧が、嵯峨野にある野宮の旧跡へ赴くと、意味ありげな女性に出会う。僧は女に、ここがどういう場所であるのか、あなたは誰なのかと尋ねる。すると女は、その場所がかつて光源氏と六条御息所が密会をした場所であること、しかも9月7日(今日)のことであるとはっきりした日付まで言う。そして少しもったいつけながら、実は自分はその六条御息所だと明かす。
この、シテとワキが出会うシーンは、能の中でも極めて重要で、音楽も静かに緊張を高めていく。ワキ方・安田登氏の著書にこうある。
「ふたつの時(死者の時と人の時)が出会ったそのとき、場所も時も特別な意味を持つ。シテにとってはこの場所でなければならなかったこと、そしてこのときでなければならなかったことが明かされ、放浪者にとっての「いつか、どこか」は、まさに「いま、このとき」の特別なときになるのだ。」(『異界を旅する能』安田登, 2011)

私たちの日常でも、その後の運命を変えるような偶然の重なりを体験することがある。しかし能のシテとワキの出会う条件はもっと限定的で、<野宮>でいえば、野宮という場所、9月7日という時、弔いを乞う人と弔う人(しかもその人たちは時間の概念を越えている)、それらの条件が合致したその瞬間に「出会う」という現象が起こる。

話が飛躍しすぎかもしれないが、スタインウェイと多田社長が出会ったのも、こういった奇跡的な、しかし必然的な出来事だったのではないだろうか。どういうわけか、前いた場所では、楽器として扱われず、ただの黒い大きな物体として隅に置かれ、誰にも声をかけられなかった。でも、ずっと誰かに声をかけられるのを待っていた。準備はとっくに整っている。ただその正体が明かされるにふさわしい機会を待っていたのだ。それが、「いま、このとき」だった。
私がこの楽器に初めて触れたとき、何かじんわりとした小さな感動があり、一緒に音楽を作ってみたいと思った。そして、5月7日にコンサートが実現した。

コンサートに来てくれた友人の一人がこんな感想をくれた。
「ピアノの音の広がりが初めて分かった気がした。ある音が産まれて、その音と一緒に近くに別の音も産まれて、互いに優しく共鳴して、余韻が残っている中で、また別の音が産まれる。波動がどんどん広がって行く。その音の層の上を、また別の音たちが軽やかに、駆け抜けていく。音の世界はこういう風に作られるものなのだと知った。」
 音楽/音が響くということは、このように別の次元の時と時が出会って、いわば時空を越えて、波動が広がっていくことなのかもしれないと思った。あのスタインウェイにとっても、その音色に触れる人にとっても、この出会いは「幸運」以外のなにものでもない。ライブパフォーマンスそのものもまた幸運を届ける媒介となれたのだと思うと、私は自分が音楽家であることに感謝しなければいけない。

56年ぶりに息を吹き返したスタインウェイは、これから新たな道を進み、歴史を作っていくのだろう。テクノロジーの発達した現代では、目に見える領域が広まり、私たち自身で選択しなければいけないことが増えた。だからこそ、その中で自分を先へ進めてくれるような、下から押し上げてくれるような出会いを、確かな感性で、全力で大切にしたいと思う。

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