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今でもあなたはわたしの光

昨日の話。前日の夜更かしと飲酒がたたって眠たくて、シャワーを浴びてしゃきっとして髪を切って染める。きちんと行くのは初めてのところで、担当の方の腕は知っていて好きだけれど、アシスタントの方々は前に行っていたところの方がいいなと思った。シャンプーとかマッサージとか、そういうのにも心地いいかどうかが如実に現れる。痛いです、不快ですって言えない私も悪いんだけれど。そのまま帰宅して、なんとか注文していた荷物を受け取って、崩れるように眠った。

朝、何にも追われずに三度寝して起きた。洗濯物をたたんで、ワンルームの部屋を窓際から大掃除を始める。晴れていて、動いているうちに温かくなる。いつも気になっていても時間がないと後回しにしていたところも全部やる。あとは、冷蔵庫の中と電子レンジを拭けば終わり。食材だけはあるから、やる気になったらご飯を作ろう。

録画しただけで満足しているHDDを削除するために、片付けをしながらつけっぱなしにしたテレビをながめる。休憩に、と思ってつけ始めたアンナチュラルは結構しっかり見ているので、作業は止まっているけど。

何の生産性もないことを、時間を、繰り返したとして、私自身がそれでいいなら、いいんだよなって思ってしまう。幸せが何かとか、どういう形が正解なのかとか、よく分からない。自分のなかでの肯定、自分のなかでの核?そこまで高尚なものじゃないけれど、それでも。誰かに決められてたまるか、って思える自分になったのは、この数年だと思う。

過去の自分と未来の自分は、明らかに地続きではあるけれど、同じではない。起きた出来事とぐるぐると考え続けたことと、それらによって、全くの別人になってしまっていることもある。多分地元にいたときの私と、東京に出てきてから数年の私と、多分もう違う生き物だ。部屋もきれいになったし、見せられるレベルではないけれど自炊できる術も学んだ。お金の使い方も少しは考えられるようになったかもしれない。(相変わらずライブに行く頻度は変わらないけれど)

未来の約束、それができるかどうかが大事なのかもしれない。会話のどこかで、話す未来の話。それは確定できるものじゃなくてもいいんだけれど。それを作りたいと思える人たちとつながりたい。それくらいのプライドは持ちたいかも、しれないし、そうじゃないかも、なんてゆるい感覚で生きていても今は大丈夫。咎める人は誰もいない。アンナチュラルを夜通し見ても、お酒を飲んで楽しくなって帰らなくても。そういう生活が今はたのしいです。

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