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フリーランスとして専業で合気道の道場を始めて1年。見えてきた「合気道の現在地」#2


(#1)では、「Aikido Journal」のデータと、私が実際に見聞きした情報に基づき、合気道の実状を見てきました。ここからは、「岐阜で道場を始めて分かったこと」について書いていきます。

前の記事(#1)はコチラ ↓↓

(1)岐阜で道場を始めてわかったこと

① 合気道に興味を持っている人は、ほとんどいない

皆さんの周りに「合気道の経験がある人」「合気道を始めたいと思っている人」はいますか??

少なくとも私は、(合気道に関係のない場所で)そうした人に出くわしたことは、一度もありません(家族や知人に経験者がいる、というパターンはありました)。

「合気道に興味を持っている人は、ほとんどいない」という事実に、私は(うかつにも)岐阜で道場を開いてから気づきました。

岐阜で以前から合気道の道場を運営されている方は、「岐阜は合気道にとって不毛の地」と評されました。また、別の方(市のスポーツ合気道教室を受託運営する方)からは、「スポーツ合気道教室への参加者がずいぶんと減った」とお聞きしました(教室の維持が危ぶまれるレベル)。

前項では、データに基づいて「合気道への関心の低下」を確認しましたが、その状況は岐阜でも同じです。

② 岐阜では、合気道に触れる機会がほとんどない。なので、興味を持つきっかけがない

東京には、(公財)合気会の本部道場をはじめとして、合気道の道場やカルチャーセンターの合気道教室など、合気道を稽古する場所がたくさんあります。必然的に、そこに暮らす人々は、合気道に触れる機会が(岐阜と比較すれば)多くなります。

ふとした機会に興味を抱いた人を受け止める「受け皿」があることは、マイナーな技芸にとっては思った以上に大切なことです。

また、多くの大学には「合気道部」や「合気道サークル」があります。大学で合気道を始めて、社会人になっても続ける人は少なくありません。その点でいえば、数多くの大学がある東京(大阪・名古屋も同様)では、大学生活を送るだけで合気道に触れる(少なくとも名前を聞く)機会が生まれます。

自分の近くに合気道を稽古する場所(受け皿)があれば、そこで暮らす人々にとって、合気道は身近なものとなり得ます。身近なものだからこそ、「自分も始めようかな?」と興味を持つこともできます。

ですが、岐阜には「受け皿(道場・大学)」が限りなく少ない。この状況では、合気道に興味を持つ人が増えないのも仕方ありません。

③「合気道」の知名度は高い

その一方で、「合気道」という名前を「聞いたことがない」という人(子どもを除く)には、(日本では)出会ったことがありません。「合気道」の知名度は高いのです

【知名】
マスコミなどを通じ、その人の名が一般の人に知られていること(様子)。

新明解国語辞典(第八版), 三省堂

また、人気漫画やアニメにも、魅力的なキャラクターが、合気道(またはそれに類するもの)の使い手として登場することが多々あります(以下に、その数例を挙げます)。

  • 「名探偵コナン」(青山剛昌)…遠山和葉(合気道二段)

  • 「刃牙」シリーズ(板垣恵介)…渋川剛気(キャラクターのモデルは、養神館合気道の創設者である塩田剛三氏)

  • 「バトゥーキ」(迫稔雄)…稲荷遼(高校生の合気道家)

漫画やアニメなど、コンテンツを通して合気道に興味を持つ人は、少なくありません。魅力的なキャラクターが合気道家として登場することは、人々にとって合気道は「(よく知らないけど)何だか馴染みのある存在」としてあり続けることに一役買っています。

④ 合気道に興味を持つ人は、自然発生しない(=待っていても誰も来ない)。それならば、興味を持つ人を増やすしかない

合気道の現在地をまとめると、次のようになります。

  • 名前はみんな知っている(でも、どういうものかは知らない)

  • 合気道に興味を持つ人はほとんどいない(そして、その数は年々減少している)

先述の通り、岐阜で暮らす人々にとって、合気道は身近なものではありません。必然的に、合気道に興味を持つ人はほとんどいません。

つまり、待っていても、道場に人は来ない、ということです。

私が実際に見聞きした情報や肌感覚、そしてデータでも、人々の合気道への興味・関心は低下しています。とはいえ、人々の興味・関心の「総量」は、時代を経ても大きく変わるわけではありません。

以前は合気道へ向いていた興味・関心のベクトルが、今は別の対象に向くようになった、と見ることができます。であるならば、そのベクトルを、再び「合気道」へ向くようにすれば良い。

合気道に興味・関心を持つ人は(ほとんど)いない。それならば、興味・関心を持つ人を、ひとりでも多く増やすしかない

これが、道場を始めて1年で、私がたどり着いた結論です。

(2)合気道に興味・関心を持つ人が減った理由(其の1:ライバルが増えた)

①「興味・関心」を奪い合う時代に、合気道も巻き込まれた

合気道に対する人々の興味・関心が低下したことは間違いありません。ですが、その原因の多くは合気道自体にあるのではなく、合気道を取り巻く外部環境が大きく変化したことにあると思います。

人々が持つ「興味・関心の総量」は、時代を経ても変化しないと仮定します。興味・関心の対象(選択肢)が増えれば、人々の興味・関心は分散することになります。必然的に「それぞれの対象に向けられる興味・関心の量」は小さくなります。

現代は、あらゆるコンテンツ・趣味・レジャーの提供者たちが、人々の興味・関心を奪い合う時代です。

その時代に、合気道も巻き込まれています(他のあらゆる芸事・習い事にも同じことが言えそうです)。

②「刺激と快楽」を得るには、端末があれば事足りる

スマホやタブレットがあれば、自分の趣味・趣向に適ったコンテンツを、自室から一歩も出ることなく楽しめます。一生かけても見尽くせない映像コンテンツやオンラインゲーム、音楽など、端末ひとつで「いくらでも」手に入る時代となりました。スクリーンを通して、尽きることのない「刺激と快楽」を得られるのです。

趣味・レジャーに対して「刺激と快楽」を求める人にとっては、端末ひとつあれば事足ります。そうした人たちにとっては、時間と体力を使って道場へ行く必要などありません。

③ 趣味・レジャー・コンテンツの多様化・細分化

また、趣味・レジャー・コンテンツの多様化・細分化も、人々の興味・関心を合気道が集められなくなった要因です。いまの時代、インターネットで検索すれば、どのような趣味・趣向に対しても、それに対応する趣味・レジャー・コンテンツの情報が見つかります(YouTuberが、具体的な実践方法を懇切丁寧に教えてくれます)。

本来、人々の趣味・趣向はバラバラです。インターネットが発達するまでは、自分の周りにある(限られた)選択肢から、自分に合いそうな趣味・レジャー・コンテンツなどを選択しなければなりませんでした。

その点、「広く・深い」世界観と技術体系を包含する合気道は、さまざまな趣味・趣向を持つ人々の目に留まるものだったと思います。

ですが、現代では、さまざまな趣味・趣向に対して、それぞれピンポイントで応えてくれる趣味・レジャー・コンテンツを見つけられるようになりました。

合気道は「広く・深い」世界観と技術体系を包含する武道です。稽古を続ける身からすれば、これほど面白く、飽きがこない対象は、他に類を見ないと感じています。

ですが、合気道の「広く・深い」という特徴は、知らない人の目には、「とらえどころがなく、得体のしれないもの」に映るようです

(3)合気道に興味・関心を持つ人が減った理由(其の2:合気道はとらえどころがなく、得体のしれないもの)

① 現代人は「とらえどころがなく、得体のしれないもの」を始めようとは思わない

現代人は、自分の趣味・趣向に「ピンポイントで」応えてくれる趣味・レジャー・コンテンツを享受することに慣れています。

対して合気道は、稽古を始めてからその面白さを感じられるまでに、(ある程度の)時間・労力・費用が必要です。なぜなら、(繰り返しになりますが)、合気道が包含する世界観と技術体系は「広く・深い」からです。

対象が「広く・深い」存在である場合、初めて見る人の目にはその「全体像」は映りません。映るのは「ほんの一部」でしかありません。つまり、その人の目に映る「合気道」の姿は、「とらえどころがなく、得体のしれないもの」となります。

また、さらに厄介なことに、YouTubeなどには、合気道の「ほんの一部」がゴロゴロ転がっています。「ほんの一部」をどれだけかき集めても、合気道の「全体像」にはなりえません。

そうした動画群には、合気道家が格闘家にボコボコにされる様子や、相手に触れずに倒す、といった動画も含まれます。こうした動画はインパクトが大きいため、合気道がますます「とらえどころがなく、得体のしれないもの」として人々に認識されるようになります。

「とらえどころがなく、得体のしれないもの」を始めようと思う人は、極めて少数です。

② 現代人は「結果が見えるもの」を選ぶ

現代人は「コスパ(コストパフォーマンス・費用対効果)」や「タイパ(タイムパフォーマンス・時間対効果)」を重視すると言われます。ここでのパフォーマンス(効果)とは、自分の欲求が満たされるかどうか、リターン(得られるもの)があるかどうか、等です。

言い換えれば、趣味・レジャー・コンテンツに対して、自分の欲求が「即座に」満たされることや、「確実に」リターン(得られるもの)が見込めることを重視する、ということです。

逆に言えば、自分の欲求が「即座に」満たされる見通しが立たないものや、「確実な」リターンを見込めないものは敬遠されがちです

前項で書いた通り、合気道は人々の目に「とらえどころがなく、得体のしれないもの」として映っています。つまり、現代人にとって合気道は、「コスパ」「タイパ」では測れない存在なのです。

合気道は、稽古を始めてみなければ、自分に合うかどうか、続けられるかどうかが分かりません。つまり、「始めてみたはいいけど自分には合わなかった(時間・お金の無駄)」という事態に陥る可能性を(多分に)秘めています。

「広く・深い」というのは、その技芸の素晴らしさを意味する一方で、現代人には、「コスパ・タイパ」で測れない、「得体のしれない」存在となります。合気道に興味・関心を持つ人が減った理由は、このあたりにもありそうです。

(4)合気道至心会の「結論」

① まずは現実を受け止める

合気道はとても面白い武道です。ですが、どれだけ素晴らしいものでも、稽古の場に人が集まらなければ意味がありません。

私たちは、合気道の面白さを感じるからこそ、稽古に励みます。ですが、自分がこれだけ面白いと感じる武道の場に、なぜか人が集まらない。

ここまで見てきたように、その理由は明らかです。

合気道に向けられる人々の関心・興味は明らかに減少しています。これが合気道の「現在地」なのです。

② 現状を変えるために行動する

私は現在、フリーランスとして専業で合気道の道場を運営しています。

この道を選んだ理由を端的に言えば「自分が稽古をしたいから」です。また、会員さんに合気道を教える最大の目的は「自分の稽古相手を育てるため」です。そのため、道場を始めた当初は、「合気道の普及」には全く(!)興味がありませんでした。それは、次のように考えていたからです。

  • 「合気道は面白い。だから興味を持つ人は一定数いるはずで、その人たちが道場に来てくれるはず。その人達と稽古ができれば良い」

  • 「合気道に興味を持ってWEBで検索する人はいるはず。その人達に情報を届けるために、WEBサイトをしっかりと作ろう」

そのように考えていました。ですが、私の考えは間違っていました。

道場の稽古をどれだけ充実させても、WEBサイトをどれだけ分かりやすくしても、そもそも興味・関心を持つ人がいなければ始まりません。この事実に気づいた瞬間から、私はこの現状を変えるための行動に移りました。

合気道に興味・関心を持つ人は(ほとんど)いない。それならば、興味・関心を持つ人を、ひとりでも多く増やすしかない

繰り返しとなりますが、これが、私(合気道至心会)の結論です。この結論を踏まえた当会の取り組みについては、次の記事に書く予定です。

(本文終わり)



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