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合気道を、「愉快に」稽古する

(1)「愉快に」稽古することのすゝめ


合気道を創始された開祖・植芝盛平先生(以下、「大先生」と表記)は、合気道を稽古する上での「心得」を遺されています。

6つの心得(*1)には、「愉快に」という表現が出てきます。それも2回。

「2/6」ですから、合気道の稽古において、これがとても大切な要素だということがわかります。

3.練習は常に愉快に実施するを要す。

5.日々の練習に際しては先ず体の変化より始め逐次強度を高め身体に無理を生ぜしめざるを要す。然るときは如何なる老人と雖も身体に故障を生ずる事なく愉快に練習を続け鍛錬の目的を達することを得べし。

(筆者注)太字化は筆者による

『合気道 その歴史と技法』植芝守央(2022), 日本武道館, p201

また、私の師匠である多田宏先生(合気会本部師範・最高段位、以下「多田先生」と表記)の道場心得には、「明るくのびのびと」という表現が使用されています。

4.道場内ではお互いに、和を尊び、明るくのびのびと稽古に励むこと。

(筆者注)太字化は筆者による

『合気道自由が丘道場-WEBサイト』https://aikidojiyugaoka.com/%e9%81%93%e5%a0%b4%e5%bf%83%e5%be%97/

「愉快に」とか「明るくのびのびと」という表現は、一般的な「武道」のイメージとは異なるかもしれません。

多くの方が抱く「武道」の具体的なイメージは、「柔道」「剣道」「空手道」「弓道」などでしょうか。これらの武道に対して、「愉快に」とか「明るくのびのびと」、といった印象をお持ちの方は少ないのではないでしょうか。

ですが、「合気道」は「愉快に」、そして「明るくのびのびと」稽古を行います。

(2)「ゲラゲラ」「ヘラヘラ」ではありません


といっても、「ゲラゲラ」笑いながら稽古するわけでも、「ヘラヘラ」しながら稽古するわけではありません。

ふざけあって「ゲラゲラ」笑いながら稽古すれば、自分がケガをします。また、相手にケガをさせます。また、「ヘラヘラ」と気の抜けた稽古からは、何も得られるものはありません。

あくまでも、「愉快に」稽古を行うのです。

合気道を創始された大先生は、昭和期随一の武道の達人でした。古今東西のあらゆる武術・武道を極めたうえで、合気道を生み出しました。そのような達人が「愉快に」という心得を遺されたのは、武道の上達・理解に大きな意味があるからだ、と考える方が自然だと思います。

(3)合気道の稽古は「気付き」に溢れている


合気道は試合を行いません。また、点数や数値によって優劣・勝敗を争うこともしません。稽古では、年齢・性別・体格などを気にせず、道場生が互いに技をかけ合い、稽古を通して互いの技を錬りあげていきます。

そして、技の稽古を通して、自らが最も力を発揮できる、心と身体の使い方・法則を学んでいきます。

稽古は「気付き」の連続です。

最初は技の形(かたち)を覚えることが楽しくなります。ロボットのようにぎこちなかった動きが、「こうすれば良いのか」という「気付き」を繰り返しながら、徐々に、淀みのない動きへと変わっていきます。自分が動けるようになってきたという感覚は、とても気持ちのよいものです。

「気付き」の大きさは大小様々で、その種類は多岐にわたりますが、それ自体は「点」にすぎません

稽古を続けると、この「気付き」=「点」が増えていきます。そしてあるとき、遠くにあった、全く関係ない(と思っていた)「点」と「点」が、急につながることがあります。

「点」と「点」がつながって「線」になった(もしくは、つながりそうな予感がする)瞬間のワクワク・ドキドキは、試合での勝利とは違う性質の喜びに溢れています(その「気付き」は勘違いだった、ということもよくありますが…)。

合気道の稽古は、「点」と「点」をつないで、自分なりの「線」を描いていく過程だと言えます。そして、自分なりの「線」が集まって出来た「絵」が、その人の「合気道」なのだと思います。

(4)「愉快に」稽古するから、「気付く」


前述の通り、合気道は試合をしません。つまり、勝敗・強弱というはっきりした物差しがありません。また、「形(かた)」もありません。つまり、きっちりと定められた、「正しい動き」という規定がないのです。

そのため、稽古では、自分の中で次々に生じる疑問や課題に対して、「気付き」=「(自分なりの)正解」を模索することになります(指導者や先輩の教えは、「気付き」を得るための大きな手がかりです)。

ですが、「気付き」を得るためには、「好奇心」や「探究心」と呼ばれるものの存在が前提となります。指導者や先輩に言われたことを黙々とやる、という受動的な態度からは、「好奇心」や「探究心」は決して生まれません。もちろん、「気付き」を得られることもありません。

合気道は、指導者の教えに沿って素直に稽古すると同時に、自分が主体的に稽古しなければなりません。そのためにも、「愉快」という心構えが必要なのだと思います。

「愉快」というのは、「プラス」の状態です。稽古に対してワクワク・ドキドキしながら、「好奇心」や「探究心」を持ち続けるという状態です。その状態を持続できれば、稽古を続けるうちに、自然と「気付き」が積み重なっていきます。

「気付き」が積み重なれば、稽古はますます楽しくなります。この状態に入れば、合気道はどんどん上達するはずです。そして、稽古で得られたプラスの状態は、必ず日常生活にも活きてきます(合気道は、日常の社会生活に生きてこそ意味がある武道です(*2))。

合気道は、「愉快に」稽古する武道である。

このことを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思い、この記事を作成しました。

(本文終わり)


【参考・引用文献】

(*1)『合気道 その歴史と技法』植芝守央(2022), 日本武道館, p200-205
なお、開祖が遺された「合気道練習上の心得」は以下の通り。

1.合気道は一撃克く死命を制するものなるを以て練習に際しては指導者の教示を守り徒に力を競うべからず。

2.合気道は一を以て万に当たるの道なれば前方のみならず四方八方に対せる心掛けを以て練習するを要す。

3.練習は常に愉快に実施するを要す。

4.指導者の教導は僅かに其の一端を教ふるに過ぎず、之が活用の妙は自己の不断の練習に依り始めて体得し得るものとす。

5.日々の練習に際しては先ず体の変化より始め逐次強度を高め身体に無理を生ぜしめざるを要す。然るときは如何なる老人と雖も身体に故障を生ずる事なく愉快に練習を続け鍛錬の目的を達することを得べし。

6.合気道は心身を鍛錬し至誠の人を作るを目的とし、又技は悉く秘伝なるを以て徒に他人に公開し或いは市井無頼の徒の悪用を避くべし。

以上

同書から引用

(*2)2代道主・植芝吉祥丸先生は、合気道について以下のように表現されています。

合気道は現代に活きる武道である。合気道の稽古で培ったものが社会生活の中で活かされていかなければ、現代武道とは言えない。

『合気道 その歴史と技法』植芝守央(2021), 日本武道館, p190


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