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「真剣さ」についての振り返り

合気道において、今の瞬間に集中するという心持ちはとても大切だと思っています。稽古では一つの技を終えると感覚としては途切れる、つまり休止的な時間があるわけですが、そこで抜かずに意識を持ち続けると稽古が充実していくように感じます。

「真剣さ」について考える機会があったので、書いてみたいと思います。

稽古は「今ここ」を続ける練習

日常では色々なことを考えています。本当に今やっていることに集中しているのかと問われると自信をもって返答するのは難しいのではないでしょうか。

テレビを見ながらご飯を食べるとか、本を読みながらラジオを聞くとか、明らかに「ながら」な行動もそうですし、そうでなくても少し先のことを考えたり、過去の経験を思い返したりしながら行動していることがほとんどのはずです。

稽古の時は、まさに「今ここ」でやっていることに集中する練習なのかもしれません。多くの方と同じように私も合気道を初めたばかりの頃は技のカタチを覚えるので精一杯でした。ただ、今振り返ると、その精一杯(いっぱいいっぱい)の時間が「今ここ」のように思えるのです。

慣れてきたら変わるのか?

稽古を続けて段位をとるなど慣れてきてから精一杯の状況が変わったのかと振り返ると、そうではないです。私は、いつも、常に、その時の課題を解決するべく、もがいて稽古をしていたように思います。

しかし、それは大枠で考えた時の、すごく荒い「真剣さ」で、どちらかというと、そうせざるを得ないからしていた受動的なものだと思っています。ただ必死だったとも言えます。

この「真剣さ」を能動的に転換して活用すると稽古を充実させることができます。

途切れないで続ける

大雑把には稽古をしている時は「真剣」にやっています。今の瞬間、目一杯、精一杯にできないことをできるように無我夢中で動いています。

でも、落とし穴があります。それは最初に書いた「技と技の切れ目」です。一つの技が終わるとひと段落、受け身をとってひと段落と、一般的に見れば小休止できるタイミングがたくさんあるのも事実です。

そこで一休み…。そうなってしまう原因は「真剣さ」が受動的だからだと考えています。つまり、必死になる状況がゆるむと、真剣になる理由がなくなるので、気を抜いて休んでしまうのです。

自分の意志で続ける

合間のタイミングを休みにしない、それは自分の心構え次第です。途切れるタイミングで「切らない」で続けると、いつもの1時間の稽古は何十倍にも充実していきます。

では、何を「切らない」のか。それは「意識」です。具体的には相手に向かっていく、自分の感覚を感じとる意識だと今は思っています。

技が終わっても、その意識を持ち続けて次の技に入ります。受け身をとっても、受けの気持ちを持続して相手に向かっていく感じです。

「真剣さ」が土台にある

能動的になるには「真剣さ」が必要です。真剣さは「覚悟」次第、少し気楽な感じに言い換えると「心がけ」次第ではないでしょうか。

ちょっとのことでいいのです。「今日は気を抜かずに稽古するぞ!」と自分で決めて取り組むと、いつもとは違った充実感があるはずです。

理想的には、道場に入った時から出る時まで意識を持ち続けられればいいと思っています。これはたとえ初心者で技を覚えてなくてもできます。気を抜かない、ただそれだけのことなので。その心構えが日常の生活にも派生していけば素敵なことです。

「真剣に」でもリラックスして

「真剣」という2文字を意識すると、どうしても力んでしまいがちです。「力む」ことが「真剣」なのではありません。頑なになってはダメなのです。理想的なのは、「真剣」に取り組むけれど、リラックスしている状態で、むしろ「真剣にリラックスするのを真剣に取り組む」というのも一つの方針だと思います。

自分もそうですが、これは多分すぐにはできないはずです。この感覚を養うための訓練という意味でも合気道の稽古は活かせると思います。

真剣に、真面目に、正直に

まとまりのない考えを書きましたが、なんでも「真剣」にやらないと面白くもないし、身につかないですよね。「真剣に、真面目に、正直に」なんて言うと笑われてしまいそうですが、そうやって真っ直ぐに何かに取り組んでいくのは自分の性に合っていると思っています。なるべく他人に迷惑をかけない程度で、精進していきます。

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