見出し画像

大事な人を大事にできる自分でいたい。

元々、よく妄想に耽っては自分の世界に没頭して、周りとちゃんとコミュニケーションを取って来なかったので、友達がとても少ないです。

せっかくよくしてくれても、謎のプライドだとか、気力体力のなさとか、めんどくさくなっちゃうとか、謎に暴走しちゃうとかで、

友達を失ったり、友達って言うのも図々しいよな、と連絡をとらなくなったりしてどんどん疎遠になったりします。

高校の時は、もはや自分のことに精一杯すぎて、対人関係は省エネモードで生きてたら、

いざ大学で友達を作ろうと思っても、なんだか変なコミュニケーションしか取れず、それはもう恥ずかしく、かつ申し訳ないことをたくさんしてしまいました。

心にも思ってないことを、なんだか変なテンションで口走って傷つけたり、なんだか突然の衝動で暴走して傷つけたり、相手の目線に立てずに被害者ヅラしたり、これまた相手の目線に立てずに、要らぬお節介で傷つけたり。

そんな私でも、仲良くしようとしてくれる数少ない人たちだから、ちゃんと大事にしたいのに、大事にできないのが、本当に悔しくて悲しかった。

社会人になって、もう少しましになったかな、と思いたかったけど、やっぱり人とぶつかる中で、自分の未熟さを思い知る。

相手に拒絶された時、相手を怒らせてしまった時、真っ先に謝れない自分。というか、その相手の態度に対し「おかしい!私はこんなにしているのに」「なんであなたはその程度を許してくれないの?」「それは悪いと思ってるけど、私はあなたの欠点には目を瞑ってるのに」と思って言ってしまう自分。

何なら、大事な人にほど、「この人はちゃんと私を大事に思ってるのか?私はこんなに大事に思ってるのに」と図々しくも疑ってしまったりまでする。

でもその時は、本当に向こうが間違っていて、こっちは悪くないと思ってしまうんです。「向こうはワーワー言ってるけど、こっちは大人として、許してやることにするか…」とか思ってしまうんです。

でも、時間が経ったり、誰か他の人とその話をしたり、あるいは自分が逆の立場になったときに、「あ、相手はこの理不尽を感じていたのか」とようやく自分の過ちに気づく。

本当に、こんないい年になってまで、こんなに自分は傲慢なのかと恥ずかしくなる。しかも本当に、自覚がないなんて、自分でも呆れる。

そして、大事な人にそんな態度を取ってしまって、さらに傷つけてしまって、本当に申し訳ない。ああ、申し訳ない…。

でも、そう思っても、もう間に合わないことが多い気がしますね。

今でも、何でもないように話ができたとしても、一度失った信頼は元に戻りにくくて、一線をどうしても引かれてしまうことが多い(と思う)。

もちろん、関係が繋がっていれば、再構築のチャンスはあるので、諦めずに自分を改善していくんですけどね。

人間関係なので、相手はコントロールできません。

でも自分のコントロールだってままならず、大事な人をちゃんと大事にできません。

これはもう、いつも「自分が傲慢になっていないか?」と問いかけ続けるしかないんでしょうね。

それでもきっと、大事なことであれば大事なことであるほど、譲れなくなって傲慢になってしまうんだろうな。

その時にちゃんと、自分が大事にされたい、と思う前に、自分が大事な人を大事にできているのかを思い出せますように。


今回、それを教えてくれた人たちには、謝罪とお礼を、言葉だけでなく行動でも示していこうと思います。もう、戻らないものも多いけど。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?