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誰かの脳裏に残りたい

写真をネットの海に放流している身としては、一度でいいから誰かの感性に自分の写真が突き刺さればいいのにと思っている。
そんで、そのまま抜けなくなって一生影響受け続けてほしい、なんて思っている。
はじめはただの自分の記録だったけど。
気がついたらフォロワーがあほみたいに増えているし、大切にしたい相互さんもできた。驚き。

高校生一年生の時に、みんながやっているからという理由で何となくTwitterを始めた。この時は今の状態なんて全く想像つかなかった。

下の名前と生年月日逆打ちのIDでアカウントを作って、クラスメイトを適当に検索かけてフォローした。
今考えると、検索してクラスメイトのアカウントがわかるって恐ろしいのだが、当時の自分にはネットリテラシーもくそもなかったので気にもしなかった。
bioには高校のイニシャルとクラスを書いて、何となく撮った空の写真をアイコンにした。
「課題終わんない」だの「眠い」だの、限りなく非生産的な言葉を呟いた。Twitterでの語彙を身に着けることとTLを追うことに必死だった。
馬鹿みたいだ。みたい、じゃない。馬鹿だった。
そんなことに時間を喰い潰されて、それでも勉強だけはくそ真面目にやり続けて。

他になんかあっただろ。
そう思った時にはもう制服を着れない学年で。
後悔ってこういうもののことを言うのかもしれない、って思った。今年の4月。

話は戻るが、普段会ってるのになんでわざわざこんなことしてんだろうって気がついたのがTwitter始めて3か月か4か月くらいたった時。全員ブロ解して好きなアーティストをフォローするアカウントに変身した。
アーティストと言っても、プロじゃない人が多かった。
絵師とか、歌い手とか、ボカロPとか、その辺。フリーランスという生き方を初めて見た。
いろんな生き方があるんだなと知ったし、そのための才能がある、それを持っているからこそできる生き方があることも知った。
変かもしれないが、クラスメイトの昼食の写真や恋愛事情なんかよりもよっぽど惹かれる情報だった。今でも、人の生き方を考えるのは結構好きだ。

で、私は何ができるんだろうと考えた。
まあ何もできなかった。
周りよりちょっと勉強が得意かも、くらいの、運動は嫌いだし友達は少ないし見た目性格ともにかわいくないし話は上手くないし絵は描けないし金はない。ないものばかりの高校生だった。
そこからどうして写真になったのか、この話は前もどこかでしたような気がするから割愛。簡単に言うと、ある人に褒められたから。親戚にプロのカメラマンがいて、古いカメラを譲ってもらえたのも大きかったかもしれない。

今、3年前の自分のことを考えるとあまりの残念さにあきれるくらいには成長している。
運動、たしかにバレーと卓球以外の球技と短距離走は苦手だけど、長距離走はめちゃめちゃ得意だということに気がついた。陸上部に入って本気でやったら結構楽しかったのかもなと思うくらいには。
友達は依然として少ないが、質が圧倒的に向上した。大学はみんな離れてしまったけれど本当にいい友達。夏休み帰って来いよ。ごはん行こうな。
見た目、どうにもならないのでメイクを覚えた。髪も染めた。肌の調子も良くなった。きっと今までのどの同級生に会っても驚かれると思う。変わった。
性格はどうかな、大して変わってないかもしれないけど、たくさん笑うように意識してる。自分の笑顔は相変わらず嫌いだけど。
話は上手くなれたのかな。とにかく聞き上手になれるようにっていうのを考えてる。あと、すぐ文句言うんじゃなくて、何とかしてプラスの言葉に言い換えるようにがんばってる。
絵は描けない。けど課題で描いたファサードのスケッチはなかなか上出来だった。練習すれば上手くなるなと思えた。練習する。
金は相変わらずないが、バイトを始めたので前よりいくらかましにはなった。その分欲しいものや必要なものも増えているけど。とりあえず、フィルムカメラを始めたからそのランニングコストのためにも貯金していかないと。

長々と書いたが、つまりまあ成長したんじゃね、と思っている。異論は認める。

それで、写真を始めて、しばらくはタグをつけまくったり何でもかんでも変なフィルターかけたりといろいろしていた。
今見ると、構図の意識も欠片もなく、加工も方向がぐちゃぐちゃで、とても目も当てられないものが多い。
それでも初期から見守ってくれている人がいるのだから、感謝しかない。本当にありがとう。

去年の8月に、大学受験のために一度写真から離れた。Twitterからも離れた。夏の写真がまだまだ溢れているさなかにログアウトしてアプリを消すのは、辛かった。
その後、なんとか大学生になることができ、戻ってきたのが今年の3月半ばだったか。フォロワーは100人くらい減っていたけど、それより残りの400人がまだ居てくれたことに驚いた。ただいま、って言ったら、おかえり、って言ってくれる人がたくさんいた。受験で精神がボロボロになっていた私は簡単に泣いた。他人からしたら、そんな大したことではないのだろうと思う。けれど私は、戻って来れる場所があることのありがたさを知った。

それからだんだんと、Twitterの文化というか、写真垢界隈の暗黙の了解を思い出しつつ、伸びる写真伸びない写真の違いやレタッチ技術、構図や考え方を、たくさんの人の写真から吸収してきた。
再開した時は450人いるかいないかだったはずが、気がついたら1200人を超える人がフォローしてくれていた。驚くばかりだ。

長いな。長い。
長い上にオチのない話。やっぱり話は上手くなっていないみたいだ。
ここまで読んでくれているあなたはきっと相当の物好きだろう。そして私はそういうあなたのような存在に支えられて写真を続けることができている。
本当にいつもありがとう。これからもがんばるから、見ていてほしい。

写真に関することに使います。フィルム代、撮影時の諸費用等。