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いつか見た風景 80

「夜について知っておくべき事」


 夜は全てを誇張する。あなた自身や、あなたの夢も絶望も。それからちょっと寄り道でもすると、思いがけない光景が目の前に突然現れる。すると夜の使者がやって来て、本当のあなたはこっちの世界の住人なんだよと耳元で囁く。

                スコッチィ・タカオ・ヒマナンデス


「私の記憶博物館をご案内しましょう…こちらへ…」


 暑かった。昨日の夜は特別に暑かった。しまい忘れた冬用の羽毛布団をそのまま被って寝たせいなのか、それとも太陽フレアの様な現象が私の脳内で発生していたのかは定かではない。それでもやっぱり気になってスマホを手に取り電源を入れた。仮に太陽フレアが発生したらX 線のような電磁波や、電気を帯びた高いエネルギーの粒子なんかが放たれて、私の大事な位置情報を確認するGPSに重大な障害を及ぼす危険性かあるからさ。

  大丈夫だ。心配ない。ちゃんとGPS は生きていた。コレで今夜も思う存分どこにでも出かける事が出来る。そうだ、久しぶりに私の記憶財団が運営する博物館にでも行ってみるか。その前にちょっと台所の冷蔵庫に寄ってトマトジュースでも飲んで涼んで一休みだな。

 何度も言うが、深夜の開けっぱなしの冷蔵庫の前ほど神秘な場所はこの世に存在しない。誰かに見つかりやしないかと全身が高感度のセンサーと化し、盗み食い盗み飲みの罪悪感に浸りながらも、私は薄明かりの中で背徳感に満ちた節電モードのアラーム音に耳を傾けている。毎夜毎夜の私の密かなこの習慣は、私の生存そのものを表していると言ってもいい。何しろココはあらゆる世界に通じる秘密の中継地だからさ。

 1839年にダーウィンが ノートに書いている。「人間は理性の生き物と呼ばれているが、実際には習慣の生き物と言う方が正しい」のだと。革張りのポケットサイズの2冊のノートの、おそらくは2冊目のどこかに。ダーウィンはビーグル号の航海から戻って来ると、様々な種の発生を枝分かれの様に表現した「生命の樹」のスケッチを始め実に多くの疑問や思いつき、更に生存の真理を追求するような独り言を書き込んでいる。

 習慣は適応の証明である。理性を働かして変わりゆく世界を予測し、準備し、或いは抵抗したりする事のなんと虚しい事かと、私はふと思った。


「ジョージ、今日の来館者は君たち二人だよ」


 「久しぶりだな」とジョージが言った。ダーウィンの2番目の息子で天文学者で数学者でもある彼は悩み事が深まったりすると度々私の「記憶の博物館」にやって来る。前回は確か「太陽の引力によって地球から溶岩がちぎりとられて出来たのが月である」という彼の大昔に発表した仮説が突然SNS で拡散され、世間からダーウィンのバカ息子と嘲笑されていた時だった。説の発表当時も、百科事典のブリタニカに個人情報が掲載された時も同じ事が起こったから、この先も周期的に、それも拡散規模が拡大して永遠に続くんじゃないかと不安になっていたんだよ。まるでどこまでも膨張を続ける宇宙のようにね。

「彼は今、月の裏に単身赴任で住んでるらしいんだよ」と私はジョージに、今日初めて会ったホランドと名乗る火星人を紹介した。月を中継地にして火星への移住計画を最近になって加速度的に進めている地球人の進化の具合を調査しに来たついでにココに寄ったんだってと説明すると、ジョージは目の色を変えてホランドを質問攻めにした。

「地球は既に侵略されていてるって言う奴もいるけど…」
「侵略って言葉は適切じゃないね。外交努力は続けているからさ」

「エイリアンが人間になりすましてるって話は?」
「逆じゃないかな、迷惑な話だけどそういう人間が増えているのは事実だね」

「ホランド、君はボクの仮説の事はどう思った?」
「ジョージ、仮説に仮説を繰り返すといつしか真実に到達したりするものだよ」

「ところでさ、月の裏のどこら辺に住んでるのかな?」
「どこでもいいんだよ。今日はココって思えばソコが家になるんだから」

「正直どうなの、月の正体って…何か知ってるよね?」
「正体は流動的だよ。常にソレを探ろうとする者の心の声に左右されるから」

「表面がチタンで出来てるって言われてるけど、宇宙船を造るあのチタン?」
「だから月は宇宙人の乗り物だなんて噂があるんだね…乗り物じゃないよ」

「中は空洞って本当なの?…って事はさ、そこに地下都市とかある感じかな?」
「都市というよりコントロールセンターだよね。無限の想像力のね」

「だからさ、実に惜しいと思うんだよ、ボクの仮説もさ」
「惜しかったで止まっていたらダメだよ。先に進む事を習慣にしないとね」

「想像力は無限のエネルギーって感じ?」「今度ウチに遊びに来る?」



 ジョージのおしゃべりは続いていた。月はやっぱり地球と火星くらいの大きさの星がぶつかって、45億年前に熱で溶けた岩石が宇宙空間に飛び出して月になったって、最近じゃそう言われてるからさ。自分の説と大差ないなって、きっとそう思ってるんだよ。

 ジョージはホランドの事が相当気に入ったみたいだったね。だから何としても自分を理解してもらいたかったんだ。分かるよその気持ち。私が金曜日のヘルパーさんに持っている感情と同じ種類の奴だからさ。それにしてもジョージの矢継ぎ早の質問に対するホランドの答えは何だか実にシンプルで美しかったよ。

 そうそう、金曜日のヘルパーさんが凄いのはさ、私の質問に対する答えを発する彼女のさ、シンプルで美しいその口元の微笑みなんだよね。


「昨日の夜にね、私の古い友人に火星人を引き合わせたんだよ…有意義な時間だったね」



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