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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.10 第二章 海の章

 キャンパスからの帰り道は、うっすらと雨で濡れている。土ぼこりが濡れた、雨の日の匂い。マリは、時折ふきつける風に、舞い上がる髪を抑えながら、とぼとぼと帰路をたどる。

 何だか、今回の脚本は胸騒ぎがした。雨を降らせた雲が、北のぼりに形を変えて空を急いでいく。
 前回の舞台ではヒロイン的な役は自分に回って来た。希望と、推薦と、台本を書いた人の意向と。役を決めるのには決まりがないが、それゆえに、カケルがどういうつもりで書いたのかが、気になった。自分とのことと、この台本が出来上がったタイミングも、何か関係があるのでは、と勘ぐってしまう。
 主人公の男は、多分カケル本人がやるだろう。台本を書く人は、自分を主人公に当てることが多いし、次の舞台は三年生のカケルにとって、本気で取り組む最後の舞台になるからだ。
 もし、カケルが男を演じて、自分が少女を演じることになったら。マリは、現実になりそうな舞台を想像して、思わず一人顔を赤らめた。
 一体、本当に自分はどうしてしまったのだろう。
 だれかとつき合っても、妄想なんて、したことなかった。目の前にいない彼を想う。こんなの、初めてだ。こういうのを、本当に好き、というのかもしれない。
「キミ、本当にぼくのこと、好き?」
 過去につき合っては別れた男の子たちの言葉がよみがえる。そう聞かれて、時が止まったみたいに、何も言えなかった自分も。
 ……わたし、もしかして、初めてちゃんと人を好きになってきている。
 開きかけたくちびるが、日曜日の夕刻の感触をたぐろうとする。ふと、マリは足を止めた。なぜか、後ろ暗い感覚が、背中の辺りをはい上ってきて、かすかに背を震わせた。その感覚は、小さな黒いしみとなって、マリの中に広がった。
 ちがう、ちがう、彼だけはちがう。
 マリは、のぞいてしまった黒いしみの残像を踏みにじるように、足音を立てて道を急いだ。

 役決めのミーティング時には、独特の緊張感がある。自分は何をやりたいか、また何をやることになるのか、という期待。希望が、他のメンバーとかぶったときの、気まずさ。短い時間に、様々な思いや、気持ちの移り変わりが交錯する。
「まず、台本を読んで、やりたい役があった人は申し出てほしい」
 カケルが、ソファの背にもたれて言った。蔵之助とぼんさんがカケルの両隣に座り、他の部員たちは、ソファの周りに集まってゆるく円になっている。
「主人公の男」
 誰も、手をあげない。部員たちは、ちら、と互いに目配せしている。
「だって、主人公はお前がやるだろ」
 カケルの隣に座っている蔵之助が、大きく伸びをしながら言った。その伸びにより、周りの空気がふっと和んだものになった。カケルが軽く息を吐きながら言う。
「まぁ、な。でも、他にやりたいやつがいたら考えるつもりだった」
「最後だし、お前、やれよ」
 もちろん反対意見はなかった。役決めは進む。立候補により主人公の同僚にまさるちゃん、先輩に蔵之助さん、その上司の部長にぼんさん、庄司さんは自ら音響をやりたい、と申し出た。
 唯一の女の子の役決めの番になった。花売りの、少女。この世と、この世でない世界とのあいだに立つような、不思議な役どころ。セリフもほとんどなく、動きも少ない。けれど、存在感を出さなくてはならない難役だ。
「誰か、やりたいやつ、いるか?」
 一同、シーンとしている。マリの胸の音は大きくなり、そんなわけはないのだが、隣の由莉奈に聞こえるのではないか、と焦った。脚本家があて書きをして、この人を想定して書いただろう、という場合は、自分も手をあげやすいし、他人も推してくれて、すんなり決まりやすい。
 果たして、カケルはどういうつもりで、この少女を書いたのだろう。
「お前、あて書きしたんじゃないの?」
 蔵之助が言う。
「それが、今回は全く、誰も想定しないで書いた」
 マリは、ほんの少し動揺した。目の前の景色が、ちょっぴり潤んだことで、自分があて書きされていたのでは、という淡い期待があったことを、知った。
「一度、女の子たちでちょっと演じてもらうか」
 蔵之助の提案に、由莉奈が大げさに声をあげた。
「えーっ、私はパス。今回も舞台裏の雑用でいいから」
「ハイハイ、じゃあ、由莉奈から」
 カケルがにやにやして、立ち上がり、由莉奈の肩に手をかけた。由莉奈は、ちょっとほっぺたをふくらましてみせてから、練習スペースに立った。由莉奈は、少し緊張気味に姿勢を正した。セリフはひとつ。花を、花はいりませんか。
「用意、スタート」
 カケルが、ぱん、と手をたたく。
「花を、花はいりませんか」
 終わった途端に、蔵之助が吹きだす。
「本気で花売りそうだよな」
「確かに。ゼッタイ自由が丘の花屋とかにいるよな」
 ぼんさんも手をたたいて相づちを打つ。カケルも、二人の言葉にウケて笑っている。
「だから、私はいいって言ったじゃん」
 由莉奈は、恥ずかしさで顔が赤くなっている。
「次、佳乃」
 カケルが言うと、佳乃はすっと、ほぼ真っ垂直に立ち上がった。表情は変わらないが、やや役を狙っている様子がうかがえる。佳乃は、すり足で練習スペースに移動した。
「用意、スタート」
 声がかかっても、佳乃はなかなかセリフを言おうとしない。ややあって、佳乃は両手を静かに持ち上げた。
「花を……花はいりませんか」
 佳乃は、セリフと共に、両手をぱぁっと広げてみせた。
「カットカットカー―ット」
 カケルの声と同時に、一同に笑いが起きる。
「え、だめでしたか?」
「だめっていうわけじゃないけど」
 カケルは笑いをかみ殺して言う。
「ちょっと、ナルシストっぽすぎるっていうか」
「しかも、やっぱ和風だよな」
「売ってる花は梅か」
 男たちが口々言うなかで、佳乃もほんのり笑いながら相づちを打つ。
「そうですね。あ、じゃあ舞台装置も和風にアレンジとか……」
「それはお前の趣味だろ。次回やってくれ」
 一人盛り上がる佳乃の意見は、あっさり却下された。
「次、マリ」
 カケルは、うつむいたまま、言った。いつも通り、いや、いつも以上にそっけなく。

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