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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.27 第五章 波の章

 不信という感情は、言葉にしなくてもおのずと相手に伝わってしまうのだろう。
 アメリカから帰ってきて一週間たった。でも、自然とカケルとの間にできた微妙な溝は埋まらなかった。どことなく、よそよそしい。全く話さない訳じゃないけれど、親しくない。けれど、そんな中でも部活中はいつもカケルを目で追ってしまう。ずっと見ていると、自分が不在の間に、少し部活内の関係が変わっていることに気づいた。
 以前より、みな美晴に対して気を遣っている。美晴は美晴で、カケルに対して距離をとっている風だが、それに対してカケルの対応が優しい。何があったんだろう。私の不在。由莉奈が、代役は美晴ちゃんがやった、と言っていたことが頭をよぎる。
「何か他のこと考えてる?」
 突然、稽古を止められて、マリは、はっと我に返った。目の前のカケルは、眉間に少ししわを寄せて怖い顔をしている。
 マリは押し黙った。
「集中してなさそうだったから」
 カケルの静かな怒りが伝わってきた。マリは下を向いた。顔がかあっと熱くなるのが分かる。
「やる気がないなら、今日はもういいよ」
 怒りを抑えて、つとめて優しく言ったつもりなのだろう。けれど、かえってその内容が胸に刺さった。
 カケルは、上着を羽織ると、そのまま出て行ってしまった。
「どうせ、もうすぐ終わる時間だったもんね。そうだ、マリちゃん、採寸させて。そろそろ本格的に準備に入んないと」
 その場を明るく取り繕うように由莉奈が言う。マリは、なされるままに、由莉奈に背を押され、採寸に入る。
 だめだ。胸がつまって、呼吸ができない。泣いちゃ、だめだ。しかし、そのこみあげてきたものは押しとどめることができなくて、大粒の涙になって目からこぼれ落ちた。ぽたん、ぽた、と足元の床に落ちた涙のしずくに気づいて、由莉奈と佳乃が手を止めた。
「マリちゃん……」
 由莉奈がマリを抱き寄せるのと、ほぼ同時に、マリは由莉奈の肩に顔をうずめて、声をあげて泣き出してしまった。

「ちょっとは落ち着いた?」
 ファミレスのマロンパフェを無言で平らげて、長いスプーンを置いたとき、由莉奈がやっと聞いた。なぜだかついてきてしまった徹ちゃんも、手元のコーヒーを見ているが、心配しているのが伝わってくる。佳乃は、家庭教師のバイトがあるから、と少し申し訳なさそうに帰って行った。由莉奈だけだと歯止めの利かない恋愛相談になってしまいそうだったので、徹ちゃんが来てくれてかえってほっとした。今は傷口に塩を塗られたくない気分なのだ。
 大人になってから、こんなに人前で泣いたのは初めてだ。しかし泣く、ということのこの浄化はどうだろう。心配そうに、自分を見ている由莉奈と、どこに視線を持って行っていいのかとまどう徹ちゃんを見て思う。信頼できる友達がいて、よかった、と。けれど、涙でこれまでの悩みが解決したわけでは、決してない。
「あいつも、ちょっとキツいよね」
 同情を示すように由莉奈が言う。
「マリちゃんにも、怒るんだ、ってちょっとびっくりしました」
 自分も何か言わなくちゃ、と思ったのか、徹ちゃんが遠慮がちに感想をのべる。
「それだけ真剣だってことだろうけど」
「でもさ、ちょっと度を越えちゃうんだよね。女の子次々と泣かせて」
 髪をむしゃくしゃとかき上げる由莉奈を前に、マリは、えっ、と目を見張った。テーブルの下で、徹ちゃんが由莉奈をひざでこづくのが分かった。
 まさか、カケルと関係があったあの彼女のこと、言ってる? 背筋をぴん、と伸ばして、マリは、由莉奈の目を見た。
「次々とって、誰のことですか?」
 由莉奈は、ちょっぴりしまった、という顔をしている。徹ちゃんも知っている風なので、やや疑問に思い、今度は徹ちゃんにばっちり目を合わせた。無言の圧力に負けたのか、徹ちゃんは、しどろもどろと口を開く。
「いや、うん、まぁ、マリちゃんがいない間にも、ちょっと一もんちゃくあってね」
 なんだ、ちがった。でも、それはそれで気になる。
「何? 何があったの」
「代役で美晴ちゃんが少女をやったんだけど」
「泣いちゃったのよ、これが」
 観念したように、由莉奈が言葉を継ぐ。
「どうして」
 きつく怒られでもしたんだろうか。しかし、二人はなかなか理由を言わない。お互い、あんた言いなさいよ、いや、由莉奈さんが言って下さい、という無言の押しつけ合いが見てとれる。しびれをきらしたマリは、思わずテーブルをたたいて大きな声で言った。
「教えて」
 二人がびくっ、と体をふるわす。
「下さい……」
 ちょっとやりすぎたと思って丁寧語をつけ足した。自分が、全神経を傾けて、カケルのことを知りたい、と思っていることに気づいた。自分が知らない場面でのカケルを。すべて知りたい。
 二人は、美晴が代役をやってみるみる役に入り込んでいったこと、カケルがラストシーンを試したことを順に話した。
「ええっ、それは、って思ったんだけど。あいつ、半ば強引にやっちゃったの。そしたら、演技が終わった途端、美晴ちゃん、部室から出てっちゃって。……トイレで泣いてた」
 由莉奈がストローでレモンスカッシュを吸い上げた。マリは、ストローの中で上下する炭酸水をしばらく黙って見つめていた。

 お会計を済ませてファミレスを出てからも、マリは何だか釈然としなかった。美晴が泣いてしまったいきさつは聞いたものの、そこにはその場に居合わせたものにしか分からない、何かがあったのだ。いや、見ているものにも分からない、美晴とカケルの心に作用した何かが。
 止められない砂時計の砂が落ちていくように、何かが変わっていく。自分の二週間の不在の間に、何か歯車が狂ってきてしまっている。


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