見出し画像

【連載小説】「青く、きらめく」Vol.2 第一章 風の章

  マリは――と、カケルは思いを巡らす。マリは、新入生の時から、何か堂々として自信ありげだったよな、と。整った顔立ちだけでなく、凛としたたたずまいや、姿勢からも、その自信がうかがえた。女役の良いポジションは当然私のもの、という、言葉にならない意志も強く感じられた。最も、それまでマリのようなタイプの美人が、劇団にはいなかったので、本人のおもわく通りかどうかは分からないが、マドンナ的な役は、たいていマリに決まった。
「やっとうちの劇団にも花のある子が来たね。これで演目の幅も広がるじゃん」
 すでに舞台に立つより、プロデュース的な立場になっていた由莉奈は、ほくほくと喜んでいた。
 今年は、新人発掘ではやや不作だった。四月の新入生歓迎公演の後、男子学生が二人入ったが、一人はテニスサークルとかけもちしており、あまり姿を見せず、もう一人もバイトが忙しいとかで、ほぼ幽霊部員の状態だった。だから、五月も半ばを過ぎてひょっこり現れた美晴は、やや遅いタイミングの新人だった。
 それにしても。人って、第一印象が九割、だよなぁ。カケルは、マリと美晴を、つい見比べる。台本を手放した美晴は、また途端に居心地が悪そうになってしまい、部屋の後方まであとずさってしまった。やっぱり、植物に似ている。それも、存在感の強いバラ、とかではなく、すすき、とか、葦とか、ワレモコウ、とか秋の草花のような線の細いやつ。やっぱり、今年の新人は不作なのかもしれない。


 練習のあとアパートに帰って、やれ、ではとりかかるか、と机に向かう。雑然とした机の上には、書きかけの台本がある。お湯が沸いた。ゆっくりとインスタントのコーヒーを入れる。焦げ茶色の液体がなみなみと渦を巻いて、カップを埋める。今日は、ミルクを少し。書く内容やその日の気分で、ミルクは入れたり入れなかったりする。
 今までのところを読み返していると、携帯が鳴った。母からの着信だ。小さく舌打ちをして出る。
「カケル? 元気にしてる?」
 母の、ちょっと舌足らずの甘ったるい声がした。
「ああ」
 また、面倒くさいことになりそうな予感に、カケルは頭を軽くかきむしる。
「ちょっと、具合が悪くって。何だか、息が苦しいの」
「そう」
 ほーら。無意識にため息がもれる。
「このままだと過呼吸になりそうなの。どうしたのかしら」
「どうしたんでしょうね」
 ちょっと節をつけて言ってみてから、おもむろに言う。
「またどうせ男にフラれたんだろ」
 受話器の向こうの母が黙る。ほーら、みろ。
「で? 今度は何」
「……何って」
「何みついだの」
「何もよ。いやあね」
「ほんと? おれだって金ないからね」
「ただちょっと健康になる下着を買っただけよ」
「やっぱり」
「だって。他の人より安くしとく、って言うんだもん」
「で、買ったらバイバイ、だろ」
「……」
「王道のパターンじゃん。気が付かなかったの」
「だって、店の常連さんだったのよ」
「詳しくは聞かないけどさ。自分の落とし前は、自分でつけてよ。健康になる下着、ちょうどいいじゃん。それ着てせいぜい寝てな」
 カケルはそこまで言って電話を切る。すぐにまた着信があったが無視した。
 どうして母はいつもこうなんだろう。
 カケルの中に眠っていた、いらだちのような悲しみのような感情がふつふつとよみがえってくる。忘れたころに、そういうタイミングはやってきて、決してカケルを自由にすることがない。前回は、去年の秋の初め頃だった。

 待ち合わせに、マリは少し遅れてやって来た。日はすっかり沈んでしまった。隠れ家的な洋食屋で、書きかけの台本と、アイデアノートを広げている。
「ごめんなさい、遅くなって」
 マリのさらさらした髪がノートの上にかかる。
「どう? 進んでる?」
「んー、まぁまぁ」
 夜も九時近くになると、さすがに店内も人が少ない。隅の席に、常連かと思われる中年男性が一人で本を読んでいるきりだ。
「オムライスでお願いします」
 マリが店の奥の店長さんに声をかける。
「はいよ」
 二人で食事をするときは、大抵この店だ。マリがここのこじんまりとした店の雰囲気と、オムライスが気に入っているためだ。なんでも、今まで食べ歩いたどの店のオムライスよりおいしいらしい。オムライスでそんなに味って違うのか、と思うが、ごはんの味付けから卵が半熟か、しっかり火が通っているか、とか、いろいろあるらしい。カケルは、でもやっぱり毎回同じだがカツカレーを頼んでしまう。他のものも試してみたが、やっぱりこれに戻ってしまう。
「新人が入ってよかったね」
 オムライスをほおばりながら、マリが言う。いつもすましているマリだけど、ごはんを食べるときだけは、子どものように幸せそうな顔になる。
「そうだな。どんな子かまだ分かんないけど」
 カケルは、今日おずおずと部屋の隅につっ立っていた美晴を思い出す。
「ちょっと印象薄い感じだったけど、よく見ると可愛い子だったね」
「そうか?」
 第一印象で可愛いと思った覚えはない。全体的にぼんやりとした印象だけが残っている。
「なんか、草花っていうか……大人しくて、そんな感じだったな」
 でも、こっちを真っすぐ見たときの目だけは印象的だった気がする。ぼんやりと美晴の面影を頭の中で追っていると、目の前のマリが、草花ねぇ、とつぶやいてぷっと吹き出したので、思い出しかけた美晴の残像はすぐにかき消された。
「ね、それより台本、どうなりそう」
「ホン、ホンって、あんまプレッシャーかけんなよ。由莉奈だけでおなかいっぱいだよ」
「ふふ、ごめん」
 いつも通りの食事をして、何気ない会話をして、いつも通り、マリの家まで送っていく。こういうのを世の中では、つき合っている、というんだろうか。そういう実感は、あまりないけど。マリだって、本当のとこどう思っているかは、よく分からない。
 最初のきっかけは、去年の冬だった。

Vol.1へ戻って読むはこちら)←       →(Vol.3へ、つづく…

読んでくださって、本当にありがとうございます! 感想など、お気軽にコメントください(^^)お待ちしています!