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祖父母が蒔いた『楽しさ』の種

なぜニンジンだったのだろう。

20数年前の記憶を引っ張り出してきたときに感じた疑問。嫌いではないけど特別好きでもない。そんな野菜を初めてに選んだからにはたぶん何か理由があったのだろうが、残念ながら全く覚えていない。とにかく、小学生が毎月数百円もらうおこづかいの中から種を買ってきて、庭の隅の草をとり土を耕して蒔いたことは事実だ。1週間後くらいにはいくつか芽が出て、肥料をやるという知識はなかったがなぜか間引きはしたのも覚えている。

収穫もできた。5cmくらいの可愛らしいニンジン。小さくてもちゃんとニンジンになったことが嬉しくて母に調理を頼んだ。自分が育てた野菜にわくわくしながら口に入れると、ものすごくニンジンくさかった。今スーパーで買うニンジンはほとんど青臭さもなく甘味があるが、おそらくそれは品種改良と農家さんの努力の賜物なのだろう。ただ水と太陽の力だけで育てたニンジンは、よく言えば本来のニンジンらしい味がした。元々苦手な母には苦行だったかもしれないが、美味しいといって食べてくれたのが嬉しかった。全部で10本くらいはとれただろうか。いろいろ調理してもらって、やっぱり青臭いねと笑いながら食べた。自分でつくった野菜を食べること、食べてもらうことが嬉しく、少しだけ誇らしくもあった。

野菜づくりは創作とはいわないのかもしれない。でもそれは間違いなく私を構成する一部分である。だから私にとっては創作だ。野菜づくりは楽しい。その楽しさを教えてくれたのは祖父母だった。

家業の呉服店を営みながら自家用の野菜をつくり、夏には販売用のとうもろこしをつくっていた祖父母。両親が共働きだったので小学生の夏休みのほとんどは祖父母の家で過ごした。従姉妹のお姉さんが置いていってくれた別冊マーガレットに夢中になっていたが、畑に行くと聞くとすぐについていった。好きだったのだ。
とうもろこし畑は祖父の担当だ。自分の背をはるかに越えるとうもろこしを見上げながら祖父の後についていく。広い畑で離れると背の高い祖父も頭の先しか見えない。葉っぱを触ったりひげをいじったりしながらも見失わないように気をつけていた。小さな実を間引いて大きな実を収穫する。大きなとうもろこしをもぎるのは少し力が必要だったが祖父が褒めてくれるので張り切った。
収穫したとうもろこしは市場へ出すのではなく、呉服店の前で売っていた。(法律的に大丈夫だったのか少し不安だ)大きいのは8本、小さめのは10本で500円。祖父のとうもろこしは甘いと評判が良く、近所の人がよく買いにきてくれた。今年も待ってたよ、と言ってくれるのがなんだか自分のことのように嬉しかった。


自家用野菜の担当は祖母だ。歩いてすぐ行ける畑にはたくさんの野菜が植えられていた。トマト、きゅうり、なす、かぼちゃ、すいか、ピーマン。トマトの花は黄色で、なすは紫。かぼちゃとすいかは地面についている側が黄色くなってしまうから転がしてあげる。きゅうりはまっすぐなものだけじゃなく、豚のしっぽみたいにぐるぐるっとなってしまったものもある。これらを実際に見て、祖母に教わって覚えた。昨日は小さかったきゅうりがオバケみたいに大きくなっていてびっくりした。
一通り見て収穫して帰る。とりたてのきゅうりには味噌が一番だ。ばりっと齧るとたっぷりの水分が渇いた口の中を潤してくれる。味噌の塩気できゅうりが甘い。青臭さは感じない。きゅうりには火照った身体を冷ます効果もあるらしい。夏のおやつには最適だった。なかでも一番美味しいのはトマトだ。露地栽培の祖母のトマトはたいていヘタのところが割れていたけれど、全然気にならなかった。真っ赤に熟したトマトは旨味がぎゅっと詰まっていてとても濃い味がした。夕食にはいつもトマトスライスが出たけれど、毎日食べても全く飽きなかった。

思い返してみるとつくった野菜の側にはいつも笑顔があった。私がつくった人参を食べる両親の笑顔。とうもろこしを買いにきてくれた人と手渡す祖父の笑顔。ばくばくときゅうりを食べる私にそんなに食べたらお腹こわすよ、と笑う祖母。野菜をつくると笑顔も一緒につくられる。つくるのが楽しくて、一緒に食べるのが嬉しくて笑顔になるのかもしれない。

祖父母が蒔いた『野菜づくりの楽しさ』という種は私のなかでしっかりと根付いていたらしい。大人になるにつれて自分で野菜を育てたいという思いが強くなっていった。アパート暮らしの時はプランターでベランダ菜園を。毎日成長していく様子を見るのはとても楽しく、少しだが収穫もできた。でも想いは満たされなかった。畑をやりたい。プランターのように限られた場所ではなくて、大地をがっしりと掴むように根を張った野菜を育てたい。戸建てを買って引っ越したのはその少し後のことだ。
妊娠、出産、育児で野菜づくりの夢から遠ざかっていたが、今年ついに庭に畑を作ることに決めた。広い庭ではないし日当たりを考えると一坪がせいぜいだ。それでも私だけの畑であることに違いはない。涼しくなったら始めよう。芝を剥がして固い土を耕して。そしたら何を植えようか。ぎらぎらと太陽が照りつける庭を眺めながら考える。わくわくしてくる。畑をつくることを考えただけで楽しいと思える私は単純なのかもしれない。

祖父は他界してしまい、もうあのとうもろこしは食べられなくなった。祖母も最近認知症の傾向があるようだ。それでも今年もらった少し割れたトマトはやっぱり美味しかった。スーパーの桃色のトマトとは色も味も香りも、全くの別物だ。そうだ、畑ができたら祖母にアドバイスをもらおう。あの美味しいトマトのつくりかたを教えてもらうのだ。コツなんてないさ、と言われそうだけどきっとある。何年もかかるかもしれないけれど、自信をもって美味しいと思えるトマトができたら祖母に食べてもらおう。上手にできたトマトはきっと祖母の笑顔もつくってくれる。気が早いかもしれないが美味しいと言ってもらえる日が今から楽しみだ。


自分に頂けた評価で読みたい本が買えたら。それはとても幸せだと思うのです。