些細なことで傷ついてしまう自分を愛せるように
タイトルにあるように、私は些細なことで簡単に傷ついてしまう。
例えば娘の幼稚園で「爪が伸びてるので、切ってください」と言われたとき、娘の爪を切り忘れた自分を責めた。
WEBライターをしていていると、記事の修正依頼が来る。でも私は、それをできるだけ避けたい。だから完璧に仕上げるまで気が済まず、執筆に要する時間が非常に長い。
そのおかげもあってか、クライアントさんには喜んでもらえることが多い。ところが、一生懸命になりすぎて完璧の方向を間違えてしまうこともある。
ある日、ずっと高評価をもらっていたクライアントさんから、
「前から思っていたのですが、もっとこうしてほしい。」
「次からはお願いします。」
と言われた。その瞬間、自分の中で張りつめていた糸がプッツンと切れてしまった。高評価をもらっていたことに安心していたのだろうか。違う。
ライターとしての基本を忘れてしまうほどに必死になっていたのだ。結果的に、クライアントさんが何を求めているのか、見えなくなっていた。
独りよがりな記事を提出してしまったことがあまりにも恥ずかしくて……悲しいことに、私は書くことが怖くなってしまった。
そんなことがあり、現在私はライターとしての執筆をすべてお休みしている。クライアントさんの意向をつかんだり、コンテンツを読む人の目線になって考えるには、健全なメンタルが必要なのだ。
-
私は自分に期待しすぎている、だから簡単に傷つくのかもしれない。誰だってミスはするし失敗もする。
アドバイスしてくれる人、注意する人は、あちらの都合や立場で言うわけであって、傷つけるために言っているわけではない。それはよくわかっているのに自分の失敗をとにかく許せない。
またその上で、簡単に傷ついてしまう自分が嫌でたまらない。なぜならそのせいでエネルギーが簡単に奪われてしまうから。とにかくあっという間に消耗してしまう。普通に生活することがままならない。そんな自分が嫌いだ。
このように私は、完璧主義な自分とそれに打ちひしがれる自分との間で苦しんでいる。
でもこれは、幸せな状態とは言えない。かといって「それでも私は自分が好き」みたいな嘘はつけない。
「そんなこと気にしてたら、もたないよ」
「ミスや失敗は次に生かせいいだけ」
「次に行けば忘れるよ」
「つらいことにはすべて意味があるんだよ」
「あなたのためを思って言ってるんだ」
みたいなことは、どうか言わないでやってほしい。これらの言葉は世間的には正しくても、傷ついた人にとっては攻撃でしかないからだ。そして今まで自分を責めてきた私自身が「強者の理論」だったのだ。
でも気づいてしまった。私はこのままでは回復できない。だから、このような「強者の理論」はもう捨てたい。そろそろ、仲直りしたい。傷つけてしまった自分と。
時間はかかっても、私はもっとちゃんと自分を愛したいし、一番近くにいる家族を愛したい。それならば、自分の中に根付いてしまった歪んだ認知を捨て去りたい。
些細なことで傷ついてしまう自分を愛せるようになったら、きっとまた誰かのために書けるようになる。そのときまで、じっくり自分と対話していこう──。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?