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物理的に脱いだら、心理的に脱げる気がした 〜naked撮影をしてみた①〜

2018年年末に、全裸で写真を撮ってもらってきました。

2018年の目標を"naked"にしたお正月から、実はずっとやりたいと思っていたこと。

2015年は「奔放」、2016年は「childish」と、ここ数年、「自分の殻を破って自由になる!」という感じの目標を立ててきていたのですが、殻を破る、壊すのはやはり痛みがあったり、必要ないところまで破けてしまったりするもの…。なかなか難しさを感じていた中で、無理に壊すのではなく、むしろ、覆っていたものを脱いで、脱いで、脱いでいったら、もっと身軽に、心地よく"素の自分"になれるのではー。そんな思いから立てた目標が"naked"でした。

とはいえ、心理的に"脱いでいく"ことも自分にはハードルが高そうで…。だったらいっそのこと、物理的に脱いでしまえば、何か心理的にも剥がれ落ちるかも?と思ったのが、裸で写真を撮ってみたいと思ったそもそものキッカケでした。

nude(ヌード)じゃなくて、naked(ネイキッド)

「この人に撮ってもらいたい」と年初から思っていたカメラマンの友人女性がいたのですが、なかなかタイミングが合わないまま年末が近づき、「今年はもう無理かなぁ」と半ば諦めモードになっていました。

そんなとき、別件でどーんと落ち込み、相談した友人男性(以下:Tsさん)に、「今年はやりたいって思ったこととか、やるって言ったことが、全然実現しない。うまく形にならない。nakedの写真も撮りたいって思っていたけど、かくかくしかじかで…」とぽろっと話したところ、「それはぜひ撮らせてよ」と言ってくれたのでした。

実現への道が見えたことがうれしかったものの、すぐには踏ん切りがつかない自分が...。

それは、女性から見た女性の裸と、男性から見た女性の体では、写真になったときに見える世界観が違ってきてしまいそうな気がしたからです。

そこで彼に最初に伝えたのは、「nudeじゃなくて、nakedでいきたい」ということでした。

英語の明確な定義の違いはよく知らないですが(笑)、nude(ヌード)というと、普段タブー視されたり抑制されている人間の性的欲望を引き出し、露わにすること、がイメージとして浮かんできます。同時に、男性/女性という性別の特徴を引き立たせ、その違いをより浮き彫りにするような面もあると思います。

でも、私が"naked"という目標でイメージしていたのは、欲望という激しい動的な感覚よりも、そぎ落とし、研ぎ澄ましていく静的な感覚です。そして、生まれたばかりの赤ちゃんには"性差"が小さいように、男女という境界も曖昧にし、性別が関係ないような存在として、刻まれたい...。

イチ、「性」からの解放。

加えて、Tsさんに撮影前の対話で伝えたコンセプトは、

ニ、「体」からの解放。

サン、「他者の意識」からの解放。

の2つでした。残り2つについての詳細は、それぞれの「撮影後の感覚」と合わせて、次稿で書こうと思います。

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