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4. 「結婚」も「子育て」も信じられなかった私に、新しい「かたち」を見せてくれた

2017年9月から1年弱参加してきたCiftを、この7月で旅立つことになった。

離れる前に、あらためて、どうして自分がCiftに加わり、11ヶ月の間でどんなことを感じ、なぜ今回旅立つことを決めたのか、簡単にまとめていきたいと思う。

1話「血が繋がらない家族」のおかげで生き延びてきた

2話 “思い込み”を取り払い、相手を立体的に見れば、愛おしくなる

3話 自分を知り、”試す”ことができたのは「家族」だったから

ある日、6〜7年絶縁状態にあった母から、荷物が届いた。そのなかには、生まれたときに取られた産ぶ声のカセットテープや、母子手帳、私が小さいころに書いていた何年分ものサンタさんへの手紙などが入っていた。彼女の手元にあった私の断片を”送り返され”て、「ああ、母は自分の人生から、私の存在を整理したいんだ」と思った。

痛みを感じなくて済むように、家族との記憶はどんどん薄れていく一方で、「あなたたちを産んでいなければ…」と言われた言葉だけがリフレインし、かつて「母の愛情」だと思っていたものも信じられなくなっていった。

小さい頃は、大きくなったら、ふつうに結婚して、ふつうに子どもを産んで、ふつうに家族をもつものだと思っていた。でも、父と母の離婚、そして母と私の衝突を経てからは、結婚という制度に懐疑的になり、出産や育児に対して恐怖や抵抗感でいっぱいになった。

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そんななかで、Ciftで「子どもたち」と出会った。

Ciftには子どもがいるメンバーたちもいて、特に2歳(入居当時は1歳)のRくんと、1歳(入居当時は0歳)のSちゃんは、Ciftに来る回数が多く、私も一緒に過ごさせてもらう時間がたくさんあった。

ある日、Sちゃんの寝かしつけをさせてもらったときのこと。最初は、泣いて泣いて泣かれ続け、そんなに嫌われているのかと、悲しくて逃げ出したくなった。でも20分ほど泣き続けたあと、ふっとスイッチが切れたように私の腕の中で眠り始めた。泣くことでエネルギーを使い果たし、眠りにつく、ということを本能的に自分のサイクルでやっているのだと、おだやかな寝顔を見ながら感じた。

自分の腕の中で細かく呼吸しているSちゃんの口元や、閉じた小さい”おめめ”からまっすぐ伸びてるマツゲや、時々ギュッと掴んだり、まるで夢の中で飛んでいるかのように、ピンって伸ばしたりする小さい手、すべてがとても愛おしく思えた。

安心したのも束の間。抱いたまま座ろうとすると、角度が変わるのが分かるのか、グズりだし、また立ち上がって揺すってあげると眠りに戻る。腕がしびれてきたから、抱き方を変えようとしても、グズられる。そんなこんなで40分くらい立ちっぱなしで抱き続けたあと、ようやく座ることができたものの、頭を乗せている左手はまったく位置を変えられず…。とても敏感で繊細な”生命”なのだと痛感した。

私は気まぐれに抱っこさせてもらえるけれど、お母さんやお父さんは、毎日、四六時中、この命に応え続けないといけないのだと思うと、想像もつかないくらいすごいことだと思った。

別の日には、Rくんの保育園のお迎えにお母さんであるメンバーと一緒に行った。Rくんとはよく渋谷キャストのなかで遊んでいるものの、街中で過ごすのは初めて。大人とは違う視界と歩幅で、二足歩行のバランスもまだ安定的ではなく、何かを見つけたら急に走り出したり、好きな車が通ると道路でも関係なく身を乗り出したり…。予期せぬ動きの連続と、周りの危険なモノの多さに、ドキドキハラハラの連続だった。その日はお母さんと2人体制だったからカバーし切れたものの、1人だったら…と思うと、とても守りきれる気がしなかった。

早足で歩く大人たちに、踏まれてしまわないかドキドキしながら見つめていた。

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そんな経験をさせてもらうなかで、私がいまここに生きているのは、自分が小さかった時、同じように親が見守ってくれてていたからだと、少なくともそうした時間とパワーを割いてもらった事実に、感謝したいという気持ちが自然に湧いてきた。母の愛情を否定しようとしていた自分の心が、少し和らいだ。

そして、Sちゃんが大きくなってから、「小さい頃に寝かしつけてこんなことがあったんだよ」と話をするのを想像してワクワクしたり、Rくんが思春期になって会話してくれなくなった時のことを想像して苦しくなったり…そんな自分の感情に、「あぁ血が繋がっていなくても、こんなに大切で愛おしい存在になるのだ」ということも教えてもらった。

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もうひとつ大きかったのが、Ciftに夫婦で参加しているメンバーとの時間だ。諸事情あって、私はその夫婦と「暮らし」の時間を多く共有させてもらった。彼らは2人で飲食店を切り盛りしていて、朝から晩まで一緒にいる。離れることがあるのは、週に一度の定休日に、それぞれの予定で別々に出かけるときくらいだ。

自分の両親よりは少し若いが、約20年連れ添っている2人のコミュニケーションを見ていると、お互いへの気遣いや深い愛情…、ラブラブという感じではなく、人生の伴侶として大切にしている気持ちが、とてもよく伝わってくる。

両親の一件があってから、私の心の中には「ずっと続く関係なんてない」という気持ちがぬぐえずにあった。たとえ婚姻関係が続いていても、そこに変わらない愛情があり続けるなんて絶対ない、と思っていた。でも、その2人と過ごせば過ごすほど、「ああ2人は、このまま本当にずっと、相手を大切に思いながら、一緒に人生を歩んでいくのだろうなあ」と強く思えた。ずっと続いていく関係、どんどん深まっていく関係もあるのだと、生まれて初めて信じられた。

いつも日付を越えた頃に帰ってくるご夫婦。今年の私の誕生日には、手作りのケーキで深夜にサプライズお祝いをしてくれた。2人とはCiftで初めて出会ったが、今では私にとって大事な「家族」だ。

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“ふつう”に生きていれば、パートナーシップの育み方は自分の両親が基準になり、子育ての仕方も、自分が親から受けてきたものしか分からないだろう。だから、その結末が崩れている場合、私も同じ道を歩んでしまうのではないかと不安でいっぱいになる。Ciftでは、様々な夫婦関係や親子関係を目にし、話を聞き、自らその中に身を置く経験もできた。

ネガティブな感情を払拭し切れたわけではないものの、今の私のなかには、いろんな「例(example)」が蓄積され、”選択肢”が広がり、自分で判断して”選ぶ”ことができるような気がする。そのことが自分の未来を前よりも明るく照らしてくれているように思う。

パーソナルな「家族」「夫婦」「親子」の関係を、Ciftという場で開いてくれたメンバーたちに、ここであらためて心からの感謝を伝えたい。

(2018.7.31)

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