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【古史古伝】神武天皇は移民族•不在説〜古書から日本の歴史を学ぶ〜

※この文章はYouTubeで無料で視聴できます。

こんにちは、今回は神武天皇についてお話しさせていただきます。よろしくお願いいたします。

【古史古伝とは】

古史古伝とは、 神代文字を用いて書かれることが多く、記紀より前に制作されたと思われる史書のことで、古代豪族の家計に伝えられて来た史料や口伝のことを言います。

代表的なものとして

神代時代の万国史について詳しく書かれた「竹内文書」

出雲王朝の正統を主張する「九鬼文書」

富士・高千穂王朝の歴史を伝える「宮下文書」

割と幅広く客観的に神代時代を記載した「ウエツフミ」

韻文形式に書かれているのが特徴の「ホツマツタエ」と「ミカサフミ」

完全に後世の偽書ですが「東日流外三郡誌」も古史古伝の中の一つです。

古史古伝は全て偽書とされています。

【神武天皇】

戦後、日本史学界では津田史観やマルクス史観がブームとなり、神武天皇の存在が否定されるようになります。

近年では初代だけでなく第二代綏靖天皇(すいぜい)から第九代開化天皇までの八代天皇も「欠史八代」と言われ、事績がないことや崩御した年の干支が記録されていないことなどから、存在してなかったのでは、と言われています。記紀だけでは情報が少なすぎるので、何でもかんでも実在しなかったと考察されてしまうのも仕方がないのかもしれません。

【神武天皇不在説】

神武天皇がいたかいなかったか、の話はこの動画の最後にするとして、3世紀の邪馬台国から5世紀ごろまでの畿内を支配していた人々のことを、記紀編集者は正当化し、神武天皇を天皇家の始祖としてイメージ付けしたことは明白です。

日本独自の記念法である皇紀は神武天皇が即位した年とされて紀元前660年を紀元としていますし、2月11日の建国記念の日も神武天皇が即位した日です。

では古史古伝に登場する神武天皇はどの様な人物だったのか、古文書別に整理していきます。

【竹内文書】

まず「竹内文書」の場合、人類の祖先ともいうべき神々は超古代に宇宙から天降って来ました。そして数々の天変地異が起こる中、地球の第一期超古代文明を形成しました、これを上古25代と言います。

そしてこの第一期が滅亡し、第二期超古代文明が始まります、これをウガヤ朝73代と言います。ムーやアトランティスはこの時期だと推測されています。

そしてこの第二期までで超古代文明が終焉を迎えます、つまりここから先は高度な文明が衰退していきます。

次の第三期にあたる時代までには永い不安定な時期がありましたが、そんな時期を経てカンヤマト朝と言う時代が始まります。この初代が神武天皇です。神武は文化復興のため、中国や朝鮮半島から文化を移入しており、第一期・第二期の天皇同様に海外巡幸していたと竹内文書には書いてあります。

神武天皇の勅令で「八紘一宇(はっこういちう)」という言葉がありますが、これは地球上に生存する全ての民族が幸せに暮らすこと、世界平和の理想を掲げた言葉なのですが、超古代の世界平和復帰への願望が読み取れます。

つまり竹内文書における神武天皇のイメージは文化英雄としてだけでなく、超古代文化への復興者としてのイメージが強いと言えます。

【九鬼文書】

九鬼文書の場合、宇宙創成、太陽系と地球創成、修理固成期を経て、アマテラスからヒコホホデミまでの天皇万国統治時代、そしてウガヤ朝73代になり、神武天皇時代が始まります。

つまり九鬼文書での神武天皇は、世界的な規模の日本から、現在の日本列島的な日本への移行期に活躍した、指導者ということになっています。

大陸で悪戦苦闘したウガヤ朝が現在の日本列島に亡命し、九州を本拠地として勢力を蓄え、神武東征を開始しました。先住民のナガスネヒコの抵抗にあって苦戦しましたが、ナガスネヒコの妹を妻にした、同族のニギハヤヒの応援によって勝利し、ヤマトで即位、カンヤマト朝を開き初代天皇になりました。つまり神武天皇は日本列島に亡命してきた集団の族長としてのイメージが強いです。


【宮下文書】

宮下文書の場合、人類の故郷が中央アジアのアラル海流域にありました、この時代を天之世天之神7代と言います。

しばらくして人類は世界各地に分散しますが、アラル海流域にとどまった部族がいました。この部族はシルガリア川・アムダリア川流域のナカツクニという場所を中心に住んでいました、このナカツクニでの時代を天之御中世(あめのみなかよ)15代といいます。そしてクニトコタチ・クニサズチノミコトが蓬莱と呼ばれた日本の富士山麓一帯を目指してナカツクニから天降り、富士高天原に君臨した時代を高天原7代といいます。

そして次にオオヒルメと呼ばれた天照大神からウガヤフキアエズまでの豊葦原5代の時代が続きます。ウガヤ朝51代の時に高天原を富士山麓から九州日向の高千穂山麓に移転しました。

このウガヤ朝の後期には飢餓や社会不安、ナガスネヒコの内乱などが起こり、日本列島は危機に陥ります。この危機を克服してヤマトに新王朝を開いたのが神武天皇とされています。

【ウエツフミ】

ウエツフミの場合、天神八柱の時代を経て、神世16代、国産み・神産みのイザナギイザナミの時代、そして高天原期、ニニギ・ホホデミ期、ウガヤ73代の後、ナガスネヒコの反乱を制した神武天皇が登場します。

このナガスネヒコの反乱はウガヤ朝後期の大地震と大飢餓が引き金となりました。神武天皇はシラヒト国の援助を受けて、先住民系の国主であったナガスネヒコを倒したとウエツではなっています。

ここでも神武天皇は国外の民族とされ、英雄になっています。

【ホツマツタエ】

ホツマツタエの場合、天孫降臨が3度あったことになっています。まずニギハヤヒが降臨し、その後2回ニニギネノミコトが降臨します。

1回目が仙台高天原から筑波、富士山麓、琵琶湖の順に降臨し、2回目が琵琶湖のある近江から九州高千穂山麓に降臨しています。

そして高千穂時代の末期にウガヤ朝が滅亡し、神武の時代に入ります。ウガヤ朝から神武の時代に入るまでの経緯がホツマには書かれておらず、前後の文章から読み解くしかないのですが、ウガヤ朝から政権を譲り受けたというよりは奪ったと言った方が適切なのかもしれません。国譲りを強制した疑いが強いです。

この様に古史古伝の中での神武天皇は、英雄としてクローズアップされていたり移民族として政権を奪ったかの様に書かれていたり、古文書によって様々なイメージがありますが、いずれの場合も超古代と古代、または神話的時代から現代的時代の間に存在した人物であることが共通しています。

記紀では神武天皇の即位を境に神話的時代が終わり、一気に現実味を帯びていきます。

また、記紀ではウガヤ朝を1代にしているのに比べ、古史古伝ではウガヤ朝を数十代に渡って書いており、このウガヤ朝が海外王朝であると示唆されているケースが古史古伝には多く見受けられます。

古史古伝は記紀よりも情報量が多く、より正統な真実を書いている様に見えてしまいます、古史古伝を伝承して来た家系は体制側に敗北した豪族の家系が多いことも真実味が増す要因の一つです。

記紀編集者側の体制よりもより正統な存在である、という強い意志がそれぞれの古文書から読み取れます。

ここまで多面的なイメージを持たれ時代の分岐点になった神武天皇が存在していなかったとすれば、これ程までに大掛りな偽書工作は何のためだったのでしょうか・・・。

欠史八代に関しては、系図を長くするためだった可能性はあります、実際に記紀の神話的時代には系図を横から縦に書き直したり兄弟を親子にして時系列のカサ増しをした箇所もあり、代々続く格式ある家系図を作り上げたかった、という気持ちもわかります。

しかし現時点では神社の社伝や地理学、文化人類学などの多方面から見ても、神武天皇から開化天皇まで全て実在したという結論に至ってしまいます。


いかがでしたか、解釈の仕方はそれぞれ違ってもこの時間軸で実際に起きた出来事は1つです。

様々な角度から歴史を学んでみてくださいね、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

📖参考書籍・史料📖

吾郷清彦著書「古史精伝ウエツフミ原文併記全訳 」 「九鬼神伝全書」「日本建国史全訳」 「古事記以前の書」「日本超古代秘史史料」 吾郷清彦・鹿島曻著書「古史古伝体系」 国立図書館コレクション「上記」 吉村武彦著書「新版古代史の基礎知識」 歴史と旅「神武天皇は実在した」 兵頭二十八著書「地政学は殺傷力のある武器である」 宮崎正弘著書「こう読み直せ、日本の歴史」 高橋良典著書「謎の新撰姓氏録」 梅原猛著書「仏教の勝利」


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