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時間が存在しないからこその

絶対に勝てると分かっているジャンケンに勝てる。絶対にジャンケンに勝てる相手がわかる。同時に絶対にジャンケンに勝てない相手がわかる。それを予告した上で実際行うことができる。

これは日常の中で、周りの方々との間でも証明してきたことだけど、何か直感が働いて、未来が読めて、その選択をすることがヤバければやめれば良いのに、どうしても実際その未来を進みたくなる。
この投稿を、自覚的にここでアップすること自体それですが。

つまり、いいことも悪いことも、実際身体で体験したくなるのは、なんでなんだろう?

360度的な意識で、人生万事塞翁が馬を解析できてたらやっぱりそのルートを取るのかね? このように良いことも悪いこともないと言う陰陽の概念みたいな感じで。

例えば、馬鹿らしい例えですが、勝つジャンケンを幸せと定義し、負けるジャンケンを不幸と定義するなら、

勝てるジャンケンだけやるわけではなくて負けるジャンケンも、きちんとやりたいと言うことでしょう?

注釈 (基本的に僕は物事に勝ち負けはないと思っているし上下左右もないと思っています。ただ、お金を稼ごうとした際、仕事上その必要性があるだけの話で。それはシリアスな問題としてごまかしようがなく向き合うべきであり、そこをごまかしていたら、悪意に対する距離の取り方を測れなくなるでしょうから)

自分の大好きな曲でプレイリストを埋め尽くせるように、音楽だけが恍惚のみを継続することができると言う、革新的な事実があるけど(情報量が増大すればするほどそれは容易く可能になるけど)

やっぱり、最高のところで安定しようとはしないわけだよね、自分自身。

要は、なんで不幸やトラブルが好きなんだろうと言う所だよね?

翻訳するなら単純に、事故傾向と言う一言で済むんだけど。そんなの分かり切ってるけど、それでもなぜ? そこに関しては最早、まぁ、コントロール可能のはずだし。

自覚していながら繰り返してしまう、と言うわけでもなく、そこまでコントロール不能なわけでもないから、やっぱり自ら選んでる気がするんだよなぁ。

多分、リスク0がリスク管理の基本だけど、ハイリスクハイリターンによるワープ航法が好きなんだろうと思う。

けど、それでもなお、時間なんて存在しないのだから、そのワープさえ、卵が先か鶏が先か、だし。

つまり、僕の場合においては、考えること自体、優先順位的に下位に回すべきかと思いました。

身体があるうちに、やっておきたいことがたくさんあるんだろうなと。それは実際自分自身が空間であることを認識しながら、移動し行動してみないとわからない感覚だよね?

タイムトラベルものの映画で、やっぱり過去に帰っても同じ人生をなぞり、実はそれがすごい幸せと言う映画があるみたいで、その話はすごくよくわかる。

同じ本や映画を何度も読んだりする感覚に近い。

暇つぶしとしての昼ドラ再放送だったらやだなあとは思うんだけど、なんでわかっていることをわかっているままに進めてしまうんだろう? と言う問いは常にあるけど、もう、感情も感覚も鈍磨していないのだから、好きに生きてもいいんだ、と言うことを自分に選ばせるべき。

先日、遠方に行き、東京を離れてみて初めてわかることがあると言うことを認識。そもそも、信じられない位飯がうまいとか。信じられない位自分に合う人に出会えるとか。

そんな場所は、世界中ものすごいあるわけで。この東京にでさえ、日々、それがあるわけで。

ま、究極的には、答えを出すことよりもまず、と言うあたりで。時系列的に言うなら、これからの人生はやったことないことをガンガンやっていこうと思います。

多分、何らかの方法で勉強に集中する。
多分、引っ越しをする。
多分、自分で自分の家族を選択する。
多分、とある社会活動を本気ではじめる。

でもこれらも、今この場所でできるなぁ、と言うところに戻ってしまうと、新しいものは体験し得ないだろうから、とりあえず、優先順位として、やったことないことをやってみるを、設定するかも。

ワクワクする方向に進む。
楽しいと感じることをやる。

これらは自分の中のあらゆる情報を無意識的に可視域した結果での感覚である。

自分の身体の中に、新しい鍵盤や旋律を探し、その響きの行く末になり続ける。

とりあえず、性格の良い人に会いたい。ホント、それ。きちんと大人である人に会いたい。年齢関係なく。ほんとにそう思う。

「非常に軽いブラックホール」!!

「コンパクト連星」!?

などなど、存在し得ない、あり得ないと思われていることが日々登場。

それを解釈するために、新しい何かを生み出さざるを得ない状況自体、自分にとってポジティブだなぁと感じ、この文章を記す。

さっきシェアしたブラックホールの記事からなんですが、てか、無意識にペーストボタンを押したら、さっきの文章が貼られてしまい、たまたまはまったのでそのまま展開をまとめた。

つまりはそういうことです。

読み返してみて、性格の良い人と言う点でぴんときたのは、先日、三密を避けるには最高の広さのステージ共有カラオケに、一緒に行った、将棋4段のおじさま。

今日ピアノ弾いてたら、「うえちゃん1分間だけ話していい?」 って、すごく神妙な顔をしてわざわざ呼びにこられて。

これは何かシリアスな話だなぁと心配になりながら、数分後に行ってみたら、

おじさまは、女の子の友達と二人でいて、

突如何の前触れもなく、上品な下ネタを展開し、

なんでわざわざそんなことにオレを呼ぶんだと思ったら、

「うえちゃんがいる方がきっと面白いと思ったから」といってニヤリと笑ってて。

確かに、その下ネタに対する僕の切り返しにより、話題のステージが別次元に移行したと言うのはあったのですが。

あ、女の子と2人きりでこの話を展開するとハラスメントの可能性もあるからか!

いや!まぁ、相手の女の子を見る限り絶対にないっしょ!

でも、まぁ、それも込みでほんとにゲラゲラみんなで笑ったし、人間の本質、人間の複雑な美しさを問うような、とても高尚な問いとしての下ネタだったから、

本当にこの人は頭がいいし、バランス感覚も神だなぁとだなぁと思いました。

そして、この方のセリフですごく好きなのは、僕がいつもピアノ弾きに行ってる場所にいるみんなは、まず人の悪口を言わないし、人の悪口を聞いたことがないと言っていて、

僕は何回か聞いたことがあるけど、確かに、そういえばそうだなぁと思って。

優先順位的にそういう話はまず下位だよなぁと、認識したときに、やっぱり東京でいいんじゃないかなと思うよね?

と言うわけで、今日1つ面白い企画が立ち上がりました。近いうちにとある場所に、再度相談に行きます。実現できたら幸い。きっと、ノリ的に、多分驚く。

おし!一旦形を作ろう!

美しいものの条件=芸術家の条件=ボーダレス。

美しく生きようとすることでしか、悪意から逃れる術は、無い。

国立市は、行政のあり方が素晴らしい街だと思う。ここにおいては確実に先進的だと思っている。

そして、そんな場所は最早、世界中にたくさんある。

最近行った遠方も、めちゃめちゃ素晴らしかったけどさ。まぁ、なすべきことをなすには時間がかかると言うことを認識した上で、時間旅行を楽しみます。

おしまい。

ピアノで編んだ音の詩集

「涙(にじ)の花束」

雨の花びらで花束を編む

音源アルバム配信中〜




僕が僕のプロでいるために使わせて頂きます。同じ空のしたにいるあなたの幸せにつながる何かを模索し、つくりつづけます。