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頑張らずに、ただそこにいること

昨夜ハラさんのニュースを聞いてから呼吸が浅く動悸がやまない。彼女が5月に自殺未遂をした時、私はその勇気を羨ましく思ってしまっていた。眠れない夜更けにひたすら自殺の方法を検索し、できるだけ迷惑をかけず楽に死ねる方法は何かと調べるうちに、そんなものはないのだと知り絶望したから。

幸いにも発見が早く、一命を取り留めた彼女の復活劇は凄まじかった。

翌日には謝罪のコメントを発表し、翌月には日本での再起プログラムがスタート。音楽番組でハプニングに見舞われてもプロとしてステージを全うし、CDリリース、バラエティ出演、しまいにはライブツアーまで気丈にやってのけた。それが、数日前のこと。

「元気になって良かった」「もう大丈夫だろう」

もしも本当にそう思っていた人が一定層いるのなら、うつ病をはじめとする精神疾患への認識を教養レベルで改めるべきだ、と思う。彼女は日本での再起時、とある取材で「頑張る理由について」こう答えている。

やっぱり1人じゃなくて、周りの人たちが守ってくれたから。それに応えたいから、まず「私も自分を大事にしよう」「周りの人たちに迷惑かけないようにしよう」って考えて、「もっと頑張りたい」って思うようになりました。これからは、私の心配をしてくれたファンの皆さんにも迷惑かけないようにHARAらしく頑張ります。


このコメントを読んだとき、胸がつぶれそうに苦しかった。それからの彼女を見るたび、言い得のない感情が胸の奥で燻り続けた。「もっと頑張りたい」なんて、「迷惑かけないように」なんて、もうずっと前から誰よりもそうしてきたから、心が壊れたはずなのに。

それでも「元気になって良かった」という声を、誰よりも嘘にしたくなかったのは彼女だったはずで。その期待に応えたくて、頑張ることでしか自分に価値を見出せなくて、それしか生きる理由が見つからなかったのかと思うと、とてつもなく苦しい。頑張らなくてもそこにいるだけでいいのだと、頑張らずに存在することを期待してくれる人は、居なかったのだろうか。

幸いにも私には、とにかく休めと言ってくれる人がいた。頑張らなくていいと言ってくれる人がいた。だから生きていられた、と今になって思う。

6月の或る日。

渋谷駅の埼京線ホーム、両手に重たい荷物を抱えながら歩いているとき、ふと線路に浮かび上がる等間隔に足が吸い寄せられた。右手には母の好きななだ万のお弁当、左手には父の好きなビアードパパのシュークリーム。そのとき私は実家に帰る途中で、まさか死ぬ気なんてなかった。けれど、あらゆることが縺れては絡まり、余命1日のような日々を重ねていたあの頃、ふいにスベテニツカレテ、ああもう消えよう、と冷静に思った。

ホームは人がごった返していて、フラフラと線路へ近づく私に誰かがぶつかった。その衝撃で転び、抱えていた荷物がホームに転がったとき、グラリと目が覚めて怖くなった。怖くなったことで、わたしは死ねないのだと悟った。

もしもあのとき本当に命を絶ってしまったとしたら、世間はこう思うのかもしれない。「生きようとしていたはずだ」「だってお土産を持ってる」「事故だ」「他殺だ」「自殺じゃない」「最近は元気そうだったのに」

うつ病とはそういうものなのだ。意思とは別の、強い衝動で突き動かされてしまう。自分にもコントロールができない。だから怖い。

「あんなに頑張れていた」とか「あの頃より元気だった」とか、そんなことは関係ない。それはほんの一面で、ギリギリの余力をなんとか表面にまとって生きていて、少しずつ少しずつ自分と世界に絶望しながら、少しずつ少しずつ自分と世界に希望を見出していくのだ。

だから、もしも今周りにすごく疲れている人がいて、もしもその人があなたにとって大切な人ならば、一度無理にでも休めと何度も伝えてほしい。きっとその人は「休み方が分からない」と言うだろうから、できる限りの手段と方法を一緒に模索してあげてほしい。「大切だから頑張れ」じゃなく、「大切だから今は休め」と、繰り返し伝えてあげてほしい。

期待されることは嬉しい。だから、「頑張らずにただそこにいること」を、期待してあげてほしい。


ハラさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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