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【感想文は、クリエイティブだ】

全9回の連載が終わった。Webマガジン「アパートメント」で2ヶ月間お世話になって、その最終回が今日だった。
「終わった」とは言っても最後の原稿は11月20日の金曜日に書いたもの。
あとはもう終わりを待つだけの、穏やかで、切ない時間だった。

以前も書いたように、この夏一つの壁にぶつかっていた。
それは「個人的なことより社会的なことを書くほうが価値があるのではないか」という迷いだった。
ただ、その迷いが確信に変わったとしたら、自分が苦しむことになるのは目に見えていた。私はこの1年半ずっと個人的なことばかりを書いていたから。

そんな経緯があり無理して社会的なテーマを書こうとしていると、アパートメント管理人の鈴木悠平さんから「バズらない場所なので、だからこそ自分らしく書いていい」とのアドバイスを受け、わたしは個人的なテーマ「娘に伝えたい8つのこと」を執筆することにした。

そしてその記事に必ず一枚の写真――娘が撮影してくれた無加工の自分の写真を載せることに決めた。
十数年後の娘に、わたしの今の外見を思い出してもらうために。

この連載にはそれぞれの回に「レビュー」がついている。

アパートメントでは、連載内容を加味して管理人の方がマッチするレビュアーさんを連れてきてくれる。
そしてその方が毎回記事の末尾にレビューを書いて併走してくれるのだ。

わたしのレビュアーはteraiさん、もとい高橋さんだった
この高橋さんのレビューがもう、とんでもなく良いのである。良いの、ほんとうに。

だから私は高級チョコレートを冷蔵庫に保管して毎晩お風呂上がりにひとつずつ食べるみたいに、レビューに目を通さず記事公開日まで大事に取っておいた。
そして木曜日19時に記事がアップされるとすぐさまリンクを開いて親指を高速スクロールし、そのぬくもりあるレビューを一文字も余すことなく丁寧に読み堪能した。


そう繰り返すうちに気づいたことがある。

それは、レビュー自体が作品であるということ。

例えば感想文ひとつにしても、書籍や映画というコンテンツがあってその横に添えられる飾りのような存在が感想文だと思っていたのだけど、今回の高橋さんのレビューは紛れもなく「作品」であり、クリエイティブだった。

高橋さんのレビューは「本編に対するただの同調」ではなく、高橋さんの鋭い視点をもって一歩踏み込んでいる。

乳児がつかまり立ちをして、よちよち歩きをし出すと、ハイハイをしなくなる。当然じゃないか。そんな声が聞こえてきそうだ。そう、当然だ。当然だからこそ大問題なのだ。 ~(中略)~ そんな我が子の成長は残酷だ。何故か。ひとたび歩けるようになってしまっては、ハイハイをする姿をもう二度とこの目で見ることができないからだ。成長と喪失は同時に、突如としてやってくる。それに対して親という生き物は(僕だけだろうか)、いつも心構えができていない。

"成長と喪失は同時に、突如としてやってくる。"
この一文に痺れた。無駄な装飾を削ぎ落した一文だ。覚悟を決めて刀を振り下ろす時のような重力もある。


そしてこちらも。

学校では「自分がされて嫌なことは人にはしてはいけない」と教わるが、この言葉は思慮にかけている。自分が嫌ではなくても、人は嫌がるかもしれないということを踏まえていないからだ。見知らぬ誰かが抱えているかもしれない傷を想像することは、社会の中に無遠慮に飛びかっている「自分を傷つけるもの」を察知するための方法だ。誰かの傷を想像することが、自分の身を守ることに繋がる。


"自分が嫌ではなくても、人は嫌がるかもしれないということを踏まえていないからだ。"
なるほど確かに、と頷かざるを得なかった。良いレビューには気づきと新たな学びが溢れている。


そして最後のレビュー。レビューの執筆に対する姿勢について言及があった。

僕は、その「わかる」の数だけ、文章を書き連ねることにしました。「わかるよ」って言いたかったのだと思います。正解がみえない決断の連続である子育ての中で、それがどれだけ支えになるか、僕は実感しているからです。みくりやさんの文章を紹介し、共感した部分を引用しつつ、自分の話も交えて、少し大きな声で、「わかる」ということだけを書いてきました。それが僕のレビューです。

正解のない子育ての中で、人から「わかる」と寄り添ってもらうことは何より尊く、救いになる。
何度繰り返し読んでも本当にそのとおりで、たまらなく嬉しかった。

これらの素晴らしいレビューがわたしの文章の「添え物」なはずがなかった。

レビューは脇役なんかじゃないのだ

もうひとつ気づいたことがある。

レビューがグッと胸に来たのは、やはり高橋さん本人がわたしの文章を読み込んでまっすぐ向き合ってくれたからであり、それがなにゆえかと考えた時やっぱりわたし自身が毎回本音で「伝わるように」と念じながら書いたからなのだと思う。

「いや結局自分を褒めるんかい!」と声が聞こえてきそうだけど……こういうかっこ悪さを伴おうとも書き留めておきたかった。
ネットで拾ってきたコタツ記事なんかじゃなく「心を込めて書いた文章」のもとに「心のこもった感想」が集まってほしいから。

2ヶ月で出来ることは様々だ。

軽く5キロくらい痩せることのできる人もいるだろうし(ちなみに私は出来ない!)、髪型とメイクを変えてガラッとイメチェンすることや、こち亀全巻読み返すことのできる人もいるだろう。

きっと2ヶ月前と今とではわたしの外見も発言も何ら変化は無くて、いつもと同じ体、かわり映えのない服、見慣れた丸顔……ではあるのだけど、それでもやっぱり2ヶ月前と今とでは何かが違う。少しの自信が芽を出して、「2ヶ月間、書いていて"ちゃんと"楽しかったよ」って心が叫んでる。
わたしはその機微な変化を愛したいと思っている。

そしてその変化は「レビュー」という名のクリエイティブのおかげだと、そう思っているのはきっと間違いじゃないのだ。

***

最後に。「初連載おめでとう」「アパートメント楽しみにしてるよ」「のびのび書いてるね」などおのおの声を届けてくださった方々、ひっそり読んでくれた方々、「は?何やねんそれ知らんかったけど今から読むわ」なワイルドで熱い方(もしいれば)、本当にありがとうございました。

6歳の娘が撮った自分の写真たち、大事にします。

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今はデジタルの力でいかようにも「自分の外側」を加工することができます。
顎ももっとスリムにできるし目ももっとぱっちりさせられるし、わたしも本音を言えば「バキバキに加工して美人に見られたい!」なんてよこしまな気持ちがなくもないのですが、でも、わたしはこんな方法で無加工の自分を肯定して、「自分の外側」を記録しました。


書くことが好きなのでこれからも自分のペースで続けていきます。こうして書くことを続けていればまたすばらしいレビューに出会えるはずです。
もしかしたら今度はわたしがすばらしいレビューの産みの親になれる……かも……?! 
とにもかくにも、誰かが一生懸命書いたレビューが生まれた時、そのレビューにもまた命が宿っていることをこれからも信じていたいです。

「ありふれた生活の中にエッセイはあるんだ」

これは今年の3月に書いた文章の中の一文。
特別でも個性的でもない自分の人生に嫌気がさす時が来たら、おまじないのように何度でも唱えようと思います。

2020.11.27    ちゃこ




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