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【共感を軽率に扱わない】

今日のエッセイは書こうかめちゃくちゃ迷った。けれど書かずにはいられなかった。感情を揺さぶられた出来事はどうしても文章にしたい。自分にとって良いことも、悪いことも。

友人ふたりとご飯を食べ終えた後のこと。片方の友人が今、休職している訳を話し始めた。

彼女が「過呼吸で倒れてしまって」と話すのを、コーヒーカップに視線を落としながら聴く。

しばらく話が続いた後、沈黙を挟むことなくもう一人が言葉を発した。

「死ぬかと思ったでしょ?」

えっ、と思った。聞き間違いかと思った。

「あれ苦しいでしょ。死ぬかと思ったでしょ」

言われた方も少したじろいでいるようなリアクションだった。

「わたしもなったことあるから分かる」

なったことあるんだ。クリエイティブな仕事をして、常に生き生きとしてるように見えたから意外な感じがした。
けれど、引っかかった違和感はそっちじゃなくて。

「あれ本当怖くて死ぬかと思うんよね」

自分は何を言うべきかいろいろ考えたけど、「分かる」方と「分かられる」方を前にして、私は何も言えなかった。



「分かる」という言葉の凶器性を考えたい。

過呼吸で倒れて休職したという事実よりも、そこにある本当の想いだったり、退職ではなく休職を選んだ心境などを私は聴きたかった。
そこをしっかり聴いたあとで、自分はどう感じてどんな言葉で寄り添うかを考えたかった。

けれどもう一人の彼女は、過呼吸の苦しみを間髪いれず「分かる」と言った。

本当に二人の苦しみが同じ質量、同じ性質ということはないと思う。
けれど「分かる」と言った彼女には「その苦しみ、私と同じやつだ」とカチッとハマった音がしたのだろう。

そして今も脳裏から、「分かる」と言われた彼女の表情が離れない。

「死ぬかと思ったでしょ?わたしもなったことあるから分かる」

本当にその一言が、ふたつの傷を癒やしたようには見えなかった。



あの場面、「分かる」という言葉で、人の悩みを自分の悩みと同じものにカテゴライズすることは、少々乱暴だったように思う。
それぞれの苦しさはそれぞれのもの。けれど私にはそれをあの場で口に出す勇気がなかった。

私自身、しんどい思いをしたときは、「誰かに分かってほしい」という気持ちと「そんな簡単に分かられてたまるか」という気持ちの両方を持っていた。

世の中は「分かる」で溢れている。「分かる」と思えば一つのボタンで伝えられるし、それもきっと明日には忘れている。

だから「分かる」という共感で相手の肩を抱くときは、その表情をよく見ていたい。身勝手な共感で相手の口をふさいでいないか、ひとりよがりになっていないか。

「分かる」という一見寄り添うような言葉で、事実を囲う余白を切り落としてしまわないように。

共感を軽率に扱わない。すべてに「分かる」と言わないことだって、私の選ぶあなたへの愛の一つだったりする。

2019.10.30    ちゃこ


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ちゃこと呼んでください。銀行員がnote描いてたらライターになりました。読みやすさがモットーの微炭酸エッセイ。読んだ後ちょっと優しくなれる文章を目指して。一般人に聞くインタビュー【そのへんの一般人】連載してます。あなたの朝の日課になりたい。あなたの夜を食べちゃいたい。