
【コンテストに参加する意味をやっと知った話】
なるほど、ひとつ大事なことを理解した。
noteのコンテストに参加する方法は簡単だ。
企画が出たらお題に沿って文章を書いて、ハッシュタグをつけるだけ。
メールに添付とか印刷して簡易書留、なんてこともない。
公募に必要な「意欲」と「労力」のうち、「労力」だけを剥がしてくれている。
にも関わらず、しばらく私はそのハッシュタグ合戦に参加しなかった。
理由は単純だ。「どうせ選ばれるわけない」。
加えて、「選ばれなかったらnoteもやめたくなるだろう。note続けたいからこそ参加しないほうがいい」という気持ち。
つまり、企画側の「クリエイターがより創作を続けられるように」という意向の、真逆を向いていた。
そんな折、#社会人1年目の私へ というコンテストが始まった。
お、これは、忘れられない出来事があるから書きたい、と思って【空をぬぐう】と【社会人1年目の私が、明日を安心しますように】を書いてみた。
結果的にコンテストの入選にはかすりもしなかったけど、「あれ良かったです」とTwitterにDMが来ることが続けて起きて、知らない人も読んでくれているという実感が嬉しかった。
そして、続けて #あの夏に乾杯 というコンテストが始まった。
テーマから練ると不自然になりそうで難しかったので、「毎日自由に書いて「夏」に当てはまりそうな時があればタグ付けしよっと」くらいの考えだった。
すると昨日2つの出来事が起きた。
1つは、「note編集部のおすすめ記事」に載ったこと。
【夏場の洗濯機にはボーナスを払いたい】は、夏に何度も洗濯機を回さないといけないくらい子供が汗をかいて帰ってくる今の日常を書いた。
もう1つは、あのスイスイさんがTwitterに【「時間が解決する」という綺麗事によって、世界は何度でも再生する】を載せてくれたこと。
私はスイスイさんを元々フォローしていて、「こんなに技術と情熱と芯のある文章書く人が現実にいたらこの世に勝ち目ないな」と死にたくなってフォローを外した過去がある。
↑タイトルからして才能オブ才能
この2つの出来事により、私は「コンテストに参加する意味」を実感するようになった。
「入選しない=価値のない作品」と決めるための企画じゃないんだ。
コンテストのハッシュタグから流れてくる人は、私という部屋に「窓」から入ってくるのだ。
窓、つまり私本人の予測もしてない「別の入り口」から、まだ出会ったことのない人がたくさん入ってくる。
私の家の玄関から入ってくる人には限りがある。見つけてほしくても会いに来てくれない人ばかり。
私はこの半年ずっと家の玄関を全開にしてみんなを呼び込んでいたんだけど、ここはnoteという大きなマンション。普通に書いていては同じフロアの住人さんと顔を合わせてご挨拶しても、上や下に誰が住んでいるのか分からない。
それがコンテストに参加することによって、ハッシュタグを辿ってまだ見ぬ誰かが窓をノックしてくる。
「そっちからかい!」と驚きながら、私は歓迎する。はちゃめちゃな喜びと共に。
コンテストは結果じゃないんだな。
知らない人とたくさん会わせてくれるんだな。
そう思うともっともっと書きたくなった。
*
そして昨日起きたもう一つのこと。
やった!また、新しい出会いが待っている!ありがとうございます!
家の玄関も、窓も全開だよ!
2019.07.26 ちゃこ
今日の1曲/きのこ帝国「クロノスタシス」