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イルビゾンテのキーケース

優しい人は嫌いだ。見返りを求めない人なんて特に。損得勘定で生きないなんて、何を考えているのかわからない。

だから「出張のお土産なにがいい?」って聞かれた時は、博多の通りもんとか崎陽軒のシューマイとか、そういう類のものをリクエストするようにしている。
じゃないとそこで「クロエのバッグ」なんて答えようものなら、本当に買ってきてしまうような、ピュアな人っているのだ。



22歳、女子大生だった私がスナックでアルバイトしていた時に、いつも指名してくれる独身のサラリーマンがいた。
関東から転勤で広島に住んでいた彼は、特別リッチというわけではない、普通の会社員だった。

そもそも私はその人に限らずお客さんには彼氏がいると話していたし、片手間でやっているだけのバイトだと正直に言っていた。
それでもその人は必ず月に2回くらい来店しては私を指名してくれた。

その人は私が席につくと、いつものように「飲み物何でも頼んでいいよ」と言ってくれた。そしてお決まりの次の出張の話題になって、「お土産は何がいい?」と尋ねてきた。

「じゃあ、イルビゾンテのカバン」

私は茶化すように出張とは関係ないものを言った。もちろん冗談のつもりだったのに、その人は「分かった」と即答した。

「嘘嘘、嘘だよ」
「いや、いいよ。就職決まったんでしょ?お祝いに買ってあげる」
「無理無理。ごめんごめん、冗談やから」

そんな風にすぐに否定したけど、その人は眼鏡を拭きながら「本当に何かお祝いしたいんだ」と言った。優しくて細い目が私は結構好きだった。

「じゃあ……キーケース」

本当にちょっと欲しかったものを、私は初めて伝えてみた。
バッグより安いからマジで貰えるかもな、と汚い心理が顔をのぞかせた。
その人は分かったと言って微笑んだ。けれどその次の月に私はバイトを飛んだ。



そのスナックはお客さんと連絡先を交換してはいけない決まりになっていたし、「今月末で辞めます」とママに言った時も「あっそう。じゃあもう今週辞めて」みたいな冷たい切られ方をしたから、私はどのお客さんにもまともに別れの挨拶ができなかった。

そして季節が変わり、忘れもしないあの夜、私がケンタッキーで窓際の席に一人いると、どんどんどんと窓を急に叩かれた。びっくりして顔を上げると、その人がいた。

私が「あ、」という風に会釈すると、その人はなんと店内まで入ってきた。
すごい真剣な顔だったのでなんかすごく焦ったのを覚えている。

「辞めたんでしょ?店」
「あ、はい、そうなんですよ。結婚するので……」

驚きすぎて他人みたいに敬語を使ってしまう私に、その人は「まだ食べてる?ちょっと待ってて、渡したいものがあるから食べ終わってもここにいて!それか駐車場にいて!」みたいなことを矢継ぎ早に言って去って行った。

走って出て行く背中を見ながら、絶対キーケースじゃん、と思ってしまった。胸がぎゅっと痛くなった。すぐに気づいてしまうし、覚えていてしまうのだ、打算的な私は。そう思うともっともっと胸が痛くなった。





駐車場に停めたホンダの軽の中で色々と考えこんでいると、またその人が走って現れた。私は車を出て、その人の名前を呼んだ。

その人は息切れしながら小さな紙袋を差し出した。「えっ」というリアクションをなんとなくしてしまった。

「約束したじゃん、イルビゾンテのキーケース」

あー!というリアクションも続けてなんとなくしてしまった。覚えていたくせに。予想していたくせに。

「良かった、渡せて」

その人はやっと笑った。私は紙袋を両手で受け取って、けれど苦笑いのまま何も言えないでいた。

ああ。ほんとに買ってきちゃうんだもんなあ。
彼氏いるって言ったのに。
こんなバイト本気でやってないよ、って私ちゃんと言ったのに。

「貰えないですよ」

思わずそう呟いていた。

「貰ってももう会えないですよ」

なぜか私の方が泣きそうになっていた。この人だけは傷つけたくなかったな、と、そう思っていた。
きみがお嫁さんだったらいいのにな、といつかの席でその人は言った。きみがお嫁さんだったらいいのにな。東京に連れて帰れたらいいのにな。

「自分でも、なんで買ったんだろうと思ったよ」

頭を掻いてそう言ったあなたは、その時誰のために笑ったんだろう。

「貰ってやって。お返しに連絡先教えて」

その人はそう言って、また冗談めかしてははっと笑った。だから嫌いなのだ、優しい人というのは。
私にはないものだから。

「一生使います」

私はお辞儀をした。ありがとうございますと一度だけ言って、お元気で、と続けた。
妊娠したということを、言おうか迷って、言わなかった。

「花ちゃんもお元気で」

その人は、私の本名すら知らない。





大学4年で学生結婚し卒業、就職してすぐに出産した。
我ながらどんな経歴だよと思う。「子供はおろした方がいい」、「どうせすぐ離婚する」、散々なことを言われた。

けれど今のところまあまあ幸せに暮らしている。社会を舐めくさっていた生意気な私も今年で31歳になった。

東京オリンピックのニュースを見ると少しだけあの人を思い出す。
今どこにいるんだろうな、どこで何してて誰といるんだろうな。
私みたいな悪い奴に、むやみに利用されていないといいな。


お互いにすべてを話してはいない、けれどお酒と時間を共有して笑って過ごす、あの店は不思議な場所だった。
お客さんを馬鹿にするキャストもいたけれど、私はというとそうでもなかった。むしろその人と出会って初めて、標準語の男性っていいなと思ったのも事実だった。

決して全てが偽物というわけでもないのだ。あの場所にあった関係というのは。あの場所で交わした言葉の数々は。

そう思っているのが私の方だけだったらいい。私だって少しくらい傷つくべきだから。


2019.10.04    ちゃこ

このエッセイはげんちゃんSaeさんの「クズでエモい文章を書こう企画 #クズエモ 」に寄せて書きました。ノンフィクションです、クズですみません。サムネのキーケースは今も使っています。



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ちゃこと呼んでください。銀行員がnote描いてたらライターになりました。読んだ後ちょっと優しくなれる文章を目指して。合言葉は【NO MORE 他人の期待に応え癖】 著者「あの子は『かわいい』をむしゃむしゃと食べる」impress QuickBooks社より2020年4月発売