見出し画像

神の山

 海岸線の道は、夏の強い陽射しを浴びてぎらぎらと輝いている。陽炎の立つ向こうが目指す磯である。
 お盆休みが重なって清世と出掛けることにしたが、もっと遠い処にすれば良かっただろうか。彼女は何処へゆきたいとは云わないので、適当に決めて仕舞った。今度からリストを作って、行きたい処に丸をつけてもらおうか。三角でもペケでもいいが。
 颱風が去ったばかりなので風が強く、清世の差す黒い日傘は煽られて飛んでゆきそうだった。海辺で日傘を持って佇む女を見たことがある。あれは何処でだったか、と記憶を探って、思い当たった。
 それは映画だった。そのようなロマンチックな状況に至ったことなどある筈もなかった。わたしとロマンスは鰯と白鳥ほど縁がない。
 日傘の女は、戦場で負傷して不能になった男を翻弄する、いけずな奴だった。ひとの気持ちを弄ぶな。幸いわたしはそんな女と拘わったことがない。そんな女もこんな女も、経験そのものが豊富ではなかった。淋しい人生である。
 それはいい。
 目の前には黒いごつごつした岩と、白い波頭の立った海が広がっている。わたしの髪も風で乱れている。乱れるほどあるのは幸いである。傍らの清世は、と思って見遣ったら、居ない。何処へ行ってしまったのだろうと辺りを見廻したら、急に景色が消えた。

 夢だった。
 目を開けてもやはり何も見えない。無理もない。わたしは目が見えないのだ。何かが見えたら却って驚く。隣を探ってみたら、寝ている筈の清世が居ない。足許には猫が居るようだ。誰だろう。足許にいつも居るのはしっぽだが、たまにヨキと入れ替わることもある。
 足許に斧がある訳ではない。仔猫である。
 ベッドから抜けだして廊下に出てみたが、なんの気配もない。台所に居るのだろか。手探り足探りでそちらへ向かうと、静かに歩く幽かな音がした。
「木下さん、起きたんですか」
 少々安堵した。彼女が消えてしまったのではないかと何処かで思っていたのだろう。
「今、何時だ」
「七時過ぎです」
「そんな時間か。夜中だと思ってた」
「どうしたんですか、わたしが起こさないないのに起きていらっしゃるなんて」
 台所へ向かいながら夢のことを話した。彼女は懐かしいですね、と笑っていた。夏の休みに磯へ行ったのは実際あったことである。この磯へは今でも能く行く。はじめて行ったのは免許を取ってすぐのことで、父の車を借りてひとりで行った。
 ひとけが無くうら淋しい様子が気に入って、時折行くようになり、清世とは彼女の両親が旅行をする際、留守を任されその時に連れて行ったのが最初である。彼女がそこを気に入ったかどうか判らないが、写真を撮ったりして楽しんではいるようだった。
 もっと本人の意向を訊くべきだろうが、訊いたところで何も云わないだろう。何処でもいい、木下さんの行く処へ行くと云うに決まっている。斯う謂う場合、わたしが気を利かせねばならないのだろう。しかし、わたし自身、そんなに行きたい場所がない。
 若い時分もあちこち出掛けたりしなかった。清世と旅行したのは、近くの島と京都、あとは母の実家くらいである。
 目が見えなくなると当然のことながら車の運転は出来ず、彼女の運転では遠い処へ行く気になれない。電車で行くのも億劫である。バスならどうだろうか。夜行バスなら遠い処へ行けるし、寝ていれば目的地に着く。もともとよく寝る人間だったが、失明してからますます処構わず寝るようになった。
 処構わずと謂っても、路上で寝る訳ではない。盲人がそんな処で寝ていたら、何をされるか判ったものではない。そもそも、清世と連れ立ってしか外出しない。
 朝飯を喰いながらバスの旅行について話してみた。
「バスで遠い処へ行ったことはありませんけれど、此処からだと何処へ行けるのでしょうか」
「調べてもらわないと判らんけど、中央駅から何本か出ていた筈だな」
「木下さんはバスで何処かへ旅行をしたことがあるんですか」
「ないな」
 彼女は、あとで調べてみますと云っていた。なんとなく嬉しそうにしているようだ。やはり出掛けることが嫌いではなかったのか。悪いことをした。それならば若い頃にもっと連れて行ってやれば良かった。

 東京のようにはとバスツアーのようなものがある訳ではないが、その類いのパッケージ・ツアーがあるようだった。が、市内や近隣に面白い処はなさそうである。
 少し離れた処だと、やはり島になる。観光で行ける処は三箇所あって、ひとつは二度行った島、もうひとつはうちからだとフェリー乗り場が遠く、残りひとつは日本の夕景百選にも認定された、やはり釣りと海産物を楽しむ場所である。島と謂うのはそうした楽しみしかないのだろう。伊豆大島や八丈島などはもう少し見所があるだろうが、この辺りにそんな気の利いた場所はない。
 そうすると、山が好いだろうか。
 住んで居る処には丘陵地はあるものの、山らしい山はない。母の実家は山に囲まれ、川も流れる風光明媚な処だったが、今となってはその家もなく、知り合いも居ない。子供の頃に慣れ親しんだ場所だけに、今行けば寂寥感しか覚えないだろう。
 城や寺院に興味はないが、それを云ったら旅行そのものに興味がない。
 高野山はどうだろうか。吉野山は春でないと意味がないような気がするが、高野山ならば秋でも楽しめそうである。彼女は写真を撮るのが好きなので、紅葉などを撮影すればいいのではなかろうか。寺院もあるし、宿坊もある。精進料理も楽しめるだろう。
 なにより、年寄り向きである。
 清世に云ってみたら、乗り気のようだった。では、猫を牧田に頼むとするか。牧田と謂うのは高校時代からの友人で、一緒にバンドもやっている。以前、島に行った時に猫の世話を頼んだことがあるのだ。
「ミュートマジャパン、マイキー富岡です」
「リョウか」
「よく判ったな」
「そんな馬鹿げたことを云う奴はおまえしか居ない。なんだ」
「旅行するんだけど、また猫の面倒を見てくれないか」
「なんか弾みがついて旅行に出掛けるようになったな」
「清世の為にな」
「そうだなあ、若い頃あんまり連れてってあげなかったもんな。いつ行くんだ」
「まだ決めてないけど、紅葉がきれいなうちに」
「ああ、清世さんなら喜びそうだな」
「金魚と兎も居るんだけど」
「そんなもん飼ってるのか」
「金魚は清世が夏祭りですくってきたんだよ」
「子供みたいだな」
「近所の子と一緒に行ったから、自分もやりたくなったんじゃないのか」
「無邪気なひとだからなあ」
「そこが可愛いんだけどな」
「へえへえ、良かったね。でも、猫が居て大丈夫なのか」
「洗面所で飼ってる」
「ああ、彼処には這入らないな」
「なんでだかな」
「水が恐いんじゃないのか」
「コロは一度洗ったのが恐かったからそうなったけど、他の猫は理由がない」
「口コミか」
「たぶんな」
「兎はどうしたんだ」
「隣の子供に押しつけられた」
「断りゃいいのに」
「清世が勝手に引き受けたもんで」
「そういやコロも清世さんがキタロウにもらったんじゃなかったか」
「おれに黙ってな」
「おまえ、清世さんには甘いなあ」
「あいつには何も云えないんだよ」
「お優しいことで」
「おまえだって瑛子ちゃんに甘いじゃないか」
「だってほら、瑛子は十一も下だから。清世さんは年上だろ」
「年上だと思えないんだよな」
「慥かにな。瑛子の方が確乎りしてる」
「おまえ、若い女が相手だからって頑張りすぎると腰いわすぞ」
「上に乗ってもらえば……」
「…………」
「黙り込むな」
「もう、やってられないわ。赤面しちゃう」
「うるせえな、自分はどうなんだ」
「そんなことはしません」
「またまた」
「ほんとだよ」
「もう駄目になったのか」
「昔からそうしない」
「そうだったのか。清世さんも可哀想に」
「それだけが幸せじゃないだろ」
「若いうちはやって慾しいもんだろ」
「若い頃は普通にしてたよ」
「ひとりだけで満足出来たとはな」
「高校の時の彼女ともしたよ」
「ああ、小牧」
「コマキって名前だったか」
「忘れてたのか」
「ああ。清世と会った頃には顔も覚えてなかった」
「おまえ、最低だな。初体験の相手を忘れるか、普通」
「やったことは覚えている」
「都合のいい記憶だな」
「便利でいいじゃないの」
「若い頃から惚けてたんだな」
「酷いわ、まだ惚けてないわよ」
「その言葉遣い、やめろ」
「なんかおかしいか」
「おまえって奴は……」

 計画を立てる段階が、旅行の中で一番愉しいのかも知れない。出掛けてしまうと旅程に追われて忙しないばかりで、帰って来て思うのは家が一番と謂うことになる。そんな旅行はしなかったが、想像はつく。
 清世はあれこれ計画を立てているようだった。ツアーの旅程は一泊二日で、バスで目的地に行って、墓を見て精進料理を喰って、寺へ行って坊さんの作った飯を喰って宿坊に泊まって、あとは帰るだけである。
 それが愉しいのだろうか。楽しくなければツアーとしてある訳ないか。向こうも商売である。
 ただ、二名から行けると謂うことだ。ふたりきりだったら——贅沢でいいか。
 いや、待て。高野山と謂うだけあって、山である。つまりは登山だ。南アルプスとか富士山に挑む訳ではないが、大丈夫だろうか。バスは途中まで行くらしいが、目盲の老人がこなせる行程だろうか。清世に依ると、写真で見る登山道には階段があり、如何にも登山、と謂った服装のひとは写っていないらしかった。
 まあ、なんとかなるだろう。盲人の山岳部もあると謂うし、足腰を鍛えるのは悪いことではない。若い頃からこれと謂った運動はしてこなかったものの、バンドなどをやっており、これが傍から思うより体力を使う。荷物は重いし、立って演奏するだけでも結構疲れるのだ。
 しかしもう、ステージに立ってはいないし、日常的には近所の散歩くらいしかしない。とは謂え、トライアスロンをやる訳ではないのだから、消耗し過ぎて死ぬようなこともなかろう。山で行き仆れるのもいいような気もするが、それではひとに迷惑が掛かる。老人と謂うだけで迷惑なのに、屍体となって迷惑を掛けたら申し訳ない。
 清世があれこれ調べているので、わたしはすることがない。猫と遊んで鴉と話しているくらいである。ギターを弾いてバイオリンも弾くが、老人のすることはそう多くない。閑との戦いである。時間の経つのは早いが、一日は長く感じる。それなのに、一週間一ヶ月となると、瞬く間に過ぎる。
 相対性理論と謂うものだろうか。
 絶対的な時間の流れと、主観的な時の感覚には差がある。こなしてゆく時間は早く、夜になって眠りに就く頃には、今日は長かったと思う。それが蓄積してゆくと、今度はあっという間だったと思える。
 それがどのような感覚なのか判らない。子供の頃の時間は、すべてが早かった。長く感じられたのは授業くらいである。遊んでいる時間も、試験の時間も、まだ足りない、あと少し、と思った。バンドでステージに立った際は、予定を考慮して曲の構成を決めても時間が足りなくなった。調子に乗って演奏が長引いていたのだ。
 時間を守ってくれとスタッフに注意されることも屢々あった。自分より年下の若者に注意されるのは、情けないものがある。ライブ活動をやめる頃など、彼らは子供ほどの年であった。ニキビの痕が残るような青年に小言を云われる爺い、と謂うのは、見苦しいことこの上ない。
 六十七年生きてきて、振り返ってみると、早かったようでもあり、随分生きてきたものだとも思う。もういいのではないかと思うこともある。祖父も祖母も長生きをした。両親も平均寿命まで生きた。長生きの家系なのだろう。
 わたしもこれと謂った病気に掛からないので、あと二十年くらいは生きそうである。昔は人生五十年と云って、六十になったら還暦、七十になったら古希、七十七になったら喜寿の祝いをした。還暦は十干十二支が巡って元の干支に戻ることである。数え年で六十一になることを「本卦還り」とも云う。
 古稀は稀なる年齢と謂う意味で、喜寿は草書体の「喜」と謂う字をばらすと七十七になることから来ている。これらの祝いは日本古来のもので、数え年で行われるのが本来であるが、現在では満年齢で祝うことが多い。
 我が家は年中行事も祝い事もしないので還暦祝いなどしなかったが、しなくて良かった。赤いちゃんちゃんこを着て赤い帽子など冠りたくない。チンドン屋ではないのだ。
 バンドなどと謂うものは一種のチンドン屋と云えるかも知れないが、幟を背負って演奏しながら街を練り歩いた訳ではない。しかし、高校生の頃は街頭で演奏していたので、年寄りからはチンドン屋だと思われていたかも知れない。
 何かの宣伝をしていたのではないが、自分たちの宣伝をしていたとも云えるので、広報活動をしていると思われても仕方がないか。金をくれるひとも居た。

 寺には御開帳と謂うものがある。秘仏などを公開することで、股を開いて秘処を見せることではない。
 すみません、罰を与えないで下さい。
 高野山は空海が開いた真言密教の聖地である。明治以前は山全体を総本山金剛峯寺と呼んでいた。点在する百十七の寺は、塔頭寺院と云う。その内の五十二の寺が宿坊として、一般の参拝者を宿泊させている。
 で、春と秋に「御開帳」が行われる訳である。
 開こうが閉じようがわたしには見えないのだが、普段見せてもらえないとなると、ひとは好奇心を抱くであろう。何が入っているのか、それには価値があるのか、写真を撮ることは出来るのか。そうした好奇心は下世話ではあるが、下世話な方が長生きする。
 開いて仏像ではなく、天鈿女命が躍り出てきたら吃驚するだろう。もろ肌脱ぎで踊り狂っていたのならば、そちらの方が愉しいに違いない。なんなら後ろで演奏してもいい。
 恐らくわたしは相当長生きするであろう。
 女性にご利益のある寺もあり、それは女人高野と呼ばれる。年を喰っても女は女なので、清世もそこを熱心に参れば良いのではなかろうか。墓地には有名人の墓もあり、人気があるらしい。墓に人気があると謂うのもおかしな話だが、ロック・ミュージシャンの墓にファンが参拝することは能くあるので、それと変わりはしないのであろう。
 ジム・モリソンの墓など、一年中花に埋もれていたそうな。赤の他人の、しかも死んだ人間の為に金を掛けるとは、もの好きと謂うか、裕福と謂うか、はっきり云ってただの馬鹿としか思えない。
 ミーハーな人間は何処へでも行く。そして騒ぐ。
 聖地のことを、最近は「パワースポット」と云うらしい。何やら如何わしい響きに感じるのはわたしだけだろうか。別にわたしは常にシモのことを考えている訳ではない。如何わしいと云って悪ければ、胡散くさい。
 宗教には常に胡散くささがつきまとうように思うのは、わたしが無神論者だからであろうか。天然自然の事物に神が宿ると謂う考えには馴染むが、それは迷信を信じないまでも無視は出来ないのと同じで、系統だった道を持った神はどうしても信じることが出来ない。
 科学的な思考を持っている訳ではないが、神が世界を作ったと云われても、嘘こくなと思って仕舞うし、ひとびとを救う存在が居るのならば、何故戦争がなくならないのだろうか、寝ているのか、と思って仕舞う。やりたい放題やらせておいて、気の遠くなるような未来に救済に来るとは、巫山戯ているのか来るつもりなどないから適当なことを云っているのか、としか感じられない。
 捻くれている訳ではないと思う。
 こんなことで聖地を訪れてもいいのだろうか。資格審査に落ちるのではなかろうか。そんなものは無いか。しかし、仏の怒りに触れて奈落に墜ちるかも知れない。観念的な奈落ではなく、現実にある奈落だったら不味いだろう。わたしとしては即死だったら一向に構わないが、清世や旅行会社、高野山在住のひとびとに迷惑が掛かる。
 ううむ。どうも旅行したくない気配に満ちみちている。余計なことを考えないように、さっさと予約してもらおう。日附けはいつでもいい。老人に予定は無い。

 ひとが集まらない平日に行くことになり、当日は牧田が駅まで送ってくれた。馬鹿げたスポーツカーはやめて、ジープにしたらしい。その手の車は好きだが、両極端過ぎやしないか。買い替えたのは、瑛子に文句をつけられたからだそうな。彼は瑛子には弱いようだ。
 わたしは瑛子のような女には強い。弱いのはどちらかと云うと清世である。厳しいことは何も云えないし、腹が立っても怒る気持ちが失せるほどである。まあ、腹を立てたことはないが、呆れることは屢々ある。
 呆れても、それを口に出しては云わない。喉まで出る前にその気持ちが消え失せるのだ。老人向けの女ではあるが、若い頃からそうだった。恐らく死ぬまでそうだろう。最後に見た時は容姿も殆ど変わっていなかった。
 もしかすると人間ではないのかも知れない。
 動物たちを頼むと牧田に云い残し、我々夫婦は黄泉路に旅立った。違う。或る意味そうかも知れないが、死ぬ訳ではない。確実に死なないとは云えないだろうが。
 ツアーは恐れた通り、わたしたちだけであった。人気がないのか、平日だからか。若そうな添乗員が、あれこれと世話を焼いてくれた。斯う謂うことは目の見える時にやって慾しかった。目が見えていたらやってくれないか。
 バスガイドと云ってはいけないのかと訊ねたら、そんなことはありませんよ、と鈴を転がすような声で答えた。
 ひょっとするとこれはセクハラになるのだろうか。はっきりセクシャル・ハラスメントと云えることもしたが、目が見えないので許されるだろう。別に触りたくて臀部に触れた訳ではない。そこにあっただけである。そこに山があるように。
 喜ばしけれ、天気が麗しいようである。目が見えなくとも雨が降っていたりすると、鬱陶しいことには変わりない。杖をついて傘をさすのは大変なのだ。ギターを持っている時もそう思った。最近は牧田が荷物を持ってくれるのだが、凡ゆるひとに甘えているような気がする。
 失明する前は誰かに甘えることなどなかった。ならばいいではないか。年をとったら開き直ることが肝要である。生まれた時から開き直っていた。母の一部を開き、目を開き、手のひらを開き、雨が降れば傘を開く。
 誰しもそうか。
 バスガイド嬢が、何か唄いますか、と訊ねてきた。観客もおらず、金も貰えないのに誰が唄うか。清世に唄ったらどうだ、と云ったら、きっぱり「唄いません」と答えた。こう謂うことだけははっきり云う。わたしの前で一度も唄ったことがない。わたしだって恥を忍んで唄っていたのだ、自分だけ恥をかきたくないと謂うの狡いのではないか?
 別に構わないが。
 高野山は和歌山にあるのだが、和歌山の名物と謂ったら梅干しくらいしか思いつかない。酸っぱいものは好きだが、旅先で梅干しだけと謂うのは淋しい気がする。「梅干し食べてスッパマン」とでも云えばいいのか?
 わたしはお笑い芸人でもなければ、鳥山明でもない。お笑い芸人のようだと云われたことはあるが、なりたいと思ったことはない。漫才より落語の方が好きなのだ。噺家にならなってもいいが、今更遅い。この年で座布団運びは辛い。尊敬出来る噺家も全員死んで了った。
 無論、本気で考えている訳ではない。
 喰いものに関しては、まったく以てどうでもいいので清世の好きなようにすればいい。そもそもすべてに於いてどうでもいいので、何もかも決めてもらいたい。そんなことを云ったら無責任極まりないか。しかし、興味も沸かなければ、意慾も沸いてこない。
 ならば旅行などしなければいいではないか、と思われるだろうが、そこはそれ、清世の為を思って計画したことなのだから、この志だけでも褒めて戴きたい。この心優しさを、無私の志を。
 無視しないで。

 高野山は思ったほど高くはなかった。高くはないが、登りゃ疲れるさ。こちとら六十七の老人である。食も細って、体も痩せ細っている。見た目だけならいつでも仙人になれる。髪は白く、しかも長い。これで山羊髭でも生やしていれば、日本仙人協会から選出されるだろう。無ければわたしが発足させてもいい。
 それでも、樹木のある場所と謂うのは清々しい。秋の気配と共に空気がピンと張りつめ、周囲の隅々まで沈黙がゆき渡っているような感じがするものの、その清々しさとは違って温かみがある。何処かしら心があるような気がする。
 それは俗世間から離れ、信仰に身を捧げた男たちの心であろうか。ちょっと衆道じみて気色が悪い。
 すみません、すみません、すみません。口が、ではなく、思考が滑りました。上滑りしました。だだ滑りしました。もう考えません。
 あれこれ考えないでおこう。どうも不敬なことへ思考が横滑りする。仏様が怒って地滑りでも起こされたらひとに迷惑が掛かる。これだけ迷惑を掛けないよう心を砕いているのだから、仏もきっと赦して下さるだろう。ありがとう浜村淳です。
 すみません。
 駄目だ。芯から巫山戯た人間なので、真面目なことが考えられない。何か深刻なことを——あるではないか。わたしは立派な障碍者。押しも押されぬ明き目盲である。明き目盲と云っても、文盲ではない。文字はひと一倍読めた。
 最後にぼんやり見えたところでは、外見は普通だった。恐らく今でも黙っていれば、目が見えないとは思われない筈である。黒眼鏡を掛けているから、ただの柄の悪い爺いだと思ってくれるだろう。
 目の不自由な老人と、痩せ衰えたヤクザ崩れの爺いと、印象としてどちらが良いのだろうか。前方から来て恐いのはどちらか。
 ヤクザに決まっている。
 しかし、わたしはヤクザではない。チンピラだったことすらない。これだけは自慢出来るが、真面目なことにかけては天下一品であった。天下一品ラーメン屋である。
 ラーメンは嫌いだ。
 大丈夫だろうか、自分が恐くなってきた。これほどまでに思考が散漫では、まともに生きてゆけない。平均寿命からして、短くともあと十年生きたとする。今現在、此処までとっ散らかった考えをしていると謂うことは、一年一年悪化して行ったとして、十年後にはどうなっているか。
 砂嵐のようになってはいまいか。これはもう、砂かけ爺いとして生きてゆくしかないのかも知れない。友人の江木澤閎介に「猫親父」と云われた時、妖怪みてえと笑ったが、みたいではなく、真の妖怪として精進してゆけばいいのだろうか。
 そう謂えば、清世が精進料理を楽しみにしていた。
 店が精進料理と称するものを食べたことはないが、要するにナマグサを使わない料理であろう。それならば日常的に食べている。出来ることなら、油っこくないものを希望する。恐らく野菜のさっぱり感を補う為に、油を多用している筈である。この年になると天麩羅はきつい。
 慥か禅寺の坊主が肉を喰いたくて、大豆を加工して肉擬きを考案したと謂う話を聞いたことがある。必要は発明の母と云うが、そこまでして食べたいのなら山を下りればいいではないか。痩せ我慢と修行は同義ではなかろう。肉や鰻が喰いたければ宗教を棄てろ。それが出来ないなら喰いたいと思うな。
 仏よ、わたしの思考を笑って赦すがいい。
 すみません。郵便ポストが赤いのも、電信柱が長いのも、みんなわたしが悪いのです。そんな訳はない。仏ほっとけ。さいですか。

 牧田はもともとよく喋る方だったが、周りのものを説明する為に更に喋るようになった。清世はそうお喋りではなかったのに、やはり外出するとあれこれ話すようになった。今回も、ぽつりぽつりではあるが、何や彼やと周囲のことを喋っている。
「参拝の方は、地元のひともおられるのでしょうか。年配の方だけではなく、若いひともいらっしゃいます。大学生らしい娘さんもおられますよ」
「紅葉がとてもきれいです。花が咲く樹ではなさそうですけれど、どの季節でもきれいだと思いますよ。冬なら雪が積もっていいのではないでしょうか」
「寺院の柱なんかが赤くて、素敵です。昔のままの建物なんでしょうか」
「足許に気をつけて下さいね。段の縁は細い丸太になっています」
「お腹は空きませんか」
 ひとに気を遣われるのにもいい加減慣れたが、相手に無理をさせているようで心苦しい。此方も話し掛けられたら答えねばならないので草臥れる。わたしは無口なのだ。
 ツアーと云っても、バスから降りたら自由行動である。わざとそう謂うものを選んだ。他人とぞろぞろ歩き廻るのが厭だったと謂うのもあるし、その方が料金が安かったと謂うのもある。高いプランだと、ふたり合わせて二十万以上になった。高いだろ。グアムに行けるではないか。
 行きたいとは思わないが。
 参拝客がうじゃうじゃ居る訳ではなさそうで、煩瑣く喋る者も居なかった。寺だからだろうか。静寂に包まれてると謂う訳でもないが。世の中には物音ひとつしない場所と謂うのはないのだろう。海底に沈まない限り。
 午飯は清世が食べたがっていた精進料理であった。案の定、天麩羅がある。わたしは天麩羅を喰う時は、子供の頃から山のように大根おろしを添えないと駄目なのであった。そうしないと胸焼けするのだ。
 取り皿をもらって、清世が食べ易くわたしが喰うごとにひとつひとつ載せているものだから、店のひとがひとり、その役を買って出てくれた。ああ、恥ずかしい。恥ずらかしい。恐らく他の客の注目を浴びているのだろう。いっそのこと口移しにでもしてくれ。
 それが厭ならわたしに構うな。
 わたしは時代劇に出て来る殿様になって、腰元と戯れたかった。長い帯を解いて、「あーれー」などと云わせたい。清世も和服を着るので出来ないことはない。目も見えないのにそんなことをして面白いだろうか。不埒な考えはやめよう。仏罰が下る。
 飯を喰って、墓を巡って、宿坊に落ち着いた。そこでも坊主に気を遣われた。若い坊主はわたしの手を取り歩こうとしたが、そうされるのは実を云えば少々恐い。盲人の手を引っ張ってはならない。目が見えないと自分で起こす行動以外は予測が立たないので、恐怖を感じるのだ。
 ボランティア、ワンポイント・アドバイスでした。
 典座が作ったと謂う晩飯は、午飯より好感が持てた。質素なのである。坊主が贅沢をする訳がない。していたら詐欺のような気がする。詐欺ではないか。しかし、ものを無駄に出来ないので、頂戴ものはすべて食べるらしい。キャビアやフォアグラでも平らげるのだろうか。その場合はワインを呑むのか?
 ちょっと変ではないか。
 寺なので雑魚寝かと思ったら、ちゃんと個室を与えられた。個室と謂う言葉は如何わしいと原田宗典が書いていたが、慥かにそんな感じがする。「個室長屋」「個室図書館」、「個室宿坊」ですら如何わしく感じられるではないか。何やら期待を抱かせる響きがある。何を期待するのかは、寺なので云わない。

 駅へ迎えにきてくれた牧田の車に乗って帰宅した。
 家内へ這入ると猫がわらわらと寄ってきたが、すぐ自分たちのことに熱中して此方のことは忘れ去る。牧田に訊いてみたら、老婆四姉妹も、三種の神器もおとなしく手間が掛からなかったそうである。連れ合いの瑛子も猫がかなり好きになってきたらしい。
 三羽の兎もケージの内でおとなしくしていたそうだ。この三羽の兎と三種の神器(猫のことである)は、姿を拝んだことがない。猫は今年の夏に、兎は秋のはじめに我が家の一員となったからである。そしてわたしは、定年退職して暫くしたら完全な盲目になった。
 まあ、見えなくても可愛がっているので向こうは満足していると思う。猫と兎、と謂う取り合わせは不味かろう、と思われるかも知れないが、兎はケージで飼っているし、放す時は猫たちに別の部屋へ行ってもらう。ひと部屋独占しても、あと三部屋ある。立派な家をタダでくれた親に感謝致します。
 旅行をすると、家が一番いいと思える。旅行に限らず、外出すると早く帰りたいとばかり思う。他人と過ごすのが嫌いではないものの、ひとりの気楽さには敵わない。単に我が儘なのかも知れないが、子供の頃からひとりで居るのが好きだった。
 老人と孤独はよく似合う。妻は三才年上とは謂え、男の方が寿命が短いのでわたしが先に死ぬだろう。清世は孤独に馴染むだろうか。猫が居るから大丈夫か。それほどわたしを必要としてはいないだろう。淋しさなど、慣れである。彼女をひとりにする前に、出来るだけのことをしてやろう。
 ああ、わたしは仏のように慈悲深い。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?