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チクタク

 ぼくはいま、びょういんのなかにいる。パパがここにいれたのだ。
 パパはぼくにいった。
「君が入院しなければ、ママが病氣になってしまうんだ。だから暫く此処で我慢してくれるね」
 ぼくはだまってパパのいうとおりにした。なぜならぼくは、ママのことをとてもあいしているから。
 けれど、ぼくのびょうきとはいったいなんなのだろう。からだのどこもいたくはないし、しょくじだっておいしくたべられる。びょうとうのほかのひとたちは、あきらかにどこかおかしなひとたちばかりだ。
 まどからみえるなかにわにいるひとたちなんかは、まるでゾンビのようにふらふらとあるきまわってる。かおじゅうをおおうできものをひとつひとつゆびでつびしているものや、あおじろいかおをしていちにちじゅうかいだんをあがったりおりたりをくりかえしているひともいる。
 おいしゃさんはぼくのくちぐせさえなおればすぐにでられるといった。これがなおるひがくるのだろうか。なおらなければ、ぼくはいっしょうこのきちがい びょういんのなかからでられないというわけなのか。このいまいましいくちぐせのおかげで、ママはみまいにもこられない。

 あれははんとしくらいまえのことだったか——。
 とてもさむいひだったけれど、ひざしはあかるかった。いえにとじこもってばかりではけんこうによくないので、ぼくはこうえんへさんぽにでかけた。こうえんは ドームにおおわれ、いつもかいてきなおんどにたもたれている。うわぎをぬごうとしたそのとき、ぼくはむこうからあるいてくるおとこのすがたをみとめた。やせぎすのせがたかい、しんけいしつそうなおとこだった。
 おとこはせかせかとこまたにあしをはこびながら、ぶつぶつはやくちでなにごとかをつぶやいている。ぼくのそばをすりぬけたとき、みみをそばだててきいてみると、かれはとけいがびょうをきざむおとをまねていた。

 チクタクチクタクチクタクチクタク……。

 おとこはまたたくまにぼくのまえをとおりすぎていった。ぼくはあわててそのあとをおいかけていった。なぜだかはわからない。いまではそんなことをなしなければよかったとおもう。かれをおいかけたがために、ぼくはここにいるのだ。
 まさにゲートをとおりぬけようというときに、ぼくはおとこのふくのはしをとらえた。かれはぼくがふくをつかんでいることにきづかなかったのか、ほをゆるめなかったので、そのまま、まえのめりにたおれてしまった。それでもくちはときをきざむのをやめなかった。ぼくはかれにあやまってから、なぜ「チクタク」というのかたずねた。おとこはぼくのいった「チクタク」ということばをきいて、でんりゅうがはしったようなはんのうをし、すばやくおきあがった。
 そして、とうとつにえんぜつをぶちはじめたのだ。
「世界は終末に近づいている。この薄暗い空を見よ、灰色のスモッグが垂れ込めている。蛇口を捻っても出てくるのは毒された水だ。濾過器、浄化剤! 吾々は満足に、清浄な水を飲むことすら出來ないのだ。地上は病んでいる。足元から這い上がってくる蛆蟲に氣づかず、生きながら喰われるのだ。時は迫っている。もはや秒読みの段階にあることに何故、氣づかないのだ。時計を止めても無駄だ! 砂時計の砂のように、時は指の隙間から零れ落ちてゆくのだ。周囲を見渡せ、青白い顔の人間どもを見よ。彼らは既に死にかかってる。否、もう死んでいるのかも知れない。誰も氣づかぬうちに神の警鐘は鳴らされた。時間の過ぎ往く音に耳を傾けよ。 チクタクチクタクと刻む音が、吾々を刻みつける音だと思い知るがいい。嗚呼……!」
 おとこはぜっきょうして、ふたたびじめんにたおれふした。きぜつしたらしかったが、それでもくちもとはれいのじゅもんのかたちにうごいている。
 ぼくはぼうぜんとして、しばらくそのばにたちつくしていた。
 さんぽするきぶんもすっかりそがれてしまい、たおれたままのおとこのながいからだをまたぎこして、ゲートをくぐりぬけた。そのとき、ぼくはみょうなことにきがついた。あのチクタクチクタクというこえが、みみのすぐそばできこえるのだ。あたりをみまわしてみたが、だれもいなかった。あのおとこのこえとはべつの、なにかいやなかんじがするこえだった。
 そのとき、あたまのなかではもんのように、あるかんがえがひろがった。
 なにかがむねのおくでぱちん、とはじけたようだった。そしてそれはうたがうよちのないしんじつだったのだ。からだじゅうのひふが、ざわざわとあわだつのがわかった。
 それは——ぼくじしんのこえだった。
 ぼくのくちは、こわれたじどうにんぎょうのようにパクパクとうごいて、

 チクタクチクタクチクタク……。
 
 と、となえていたのだ。


(1982 年)


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