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人物裏話——一要篇。

 山田一要は上条グループ系列の会社社長の息子で、何不自由なく育った為、おっとりとした性格をしている。『もてあまして、わけがわからなくて』では、本当に訳が判らない人物として描かれているが、実は温順しい男の子なのだ。
 この話は当時ホームページを見てくれていた女性に、「恐い話」だと云われた。慥かに謂われのない暴力を無言で揮う存在というのは恐ろしいだろう。
 彼の話は『もてあまして、わけがわからなくて』『平気な顔をして羽が生えている』『ぼくの好きな女の子』『スウィート、スウィート・ベイビー』『おぢぎしてまいりましょう』(本来はこの順番)の四作。『ぼくの好きな女の子』では、「変なお兄さん」的な役割で顔を出している。『平気な~』では性行為の実況中継のような部分があるが、会話のみなのでそれほど卑猥な感じにはならなかったと思う。
 加奈子は二十七になる頃には痩せ気味ではあるが、明良に拾われた頃ほど貧相ではない。性格は十六才の頃と殆ど変わらず、無邪気で世間知らずで、なんでもかんでも「アキラ君」を基準にして考える。
 そんな彼女を一要は可愛いと思いつつ、やはり面白くなかった。最初、一要は自分の気持ちがどんなものか判っていなかったので、それを持て余していた。
 何故、彼女が明良さんのことを持ち出すと腹立たしく感じるのだろう、と。
 加奈子は一四三センチとかなり背が低く、一要とは二十七センチもの身長差がある。童顔で小柄な加奈子と、華奢で目つきは悪いが女にもてたくらいなので整った顔立ちの一要は、そこら辺を歩いたりすれば、かなり目立つカップルだったであろうが、あいにく近くの「ヒヨリ」と謂う喫茶店しかふたりで赴くことはなかった。
 その店は加奈子が明良と唯一、外出した場所だったのである。
 一要が自分の気持ちに気づいたのは、子供が出来た時である。妊娠が発覚した時は、ただただ戸惑って混乱していたが、落ち着くと実に甲斐甲斐しく気遣っている。腰が痛いと云えば擦ってやり、手足が浮腫めば風呂で揉んでやりと。
 小島孝次に乱暴を働いていたのは、本当に気の迷いだったのである。もともと、蟲も殺せないような性格をしていた。

 一要は「睡り病」である。医学的にはナルコレプシーとされるのだろうか。
 加奈子が妊娠したことに彼は驚いていたが、そう謂った発作が理由だったのかも知れない。一要は必ずコンドームで避妊していたのだから、妊娠する可能性は極めて低い。朦朧とした状態で交接したことがあったのかも知れない。
 気の毒な話ではあるが、己れが恋しく思う相手だったのは不幸中の幸いだろう。彼の場合、女性に対しては常に受け身だったので、特に好きでもない相手と肉体関係を結んでいたのである。
 ふたりが同棲をはじめた時、一要は二十一才で、加奈子より六つ年下である。が、彼からすると彼女の言動がとても幼く感じられるので、同じ年、若しくは年下くらいの感覚でつき合っていた。
 女関係が入り乱れる中、年上の者と関係することも多かったので、一要は初心な加奈子を年下のようにしか思えないのも無理はない。そう謂う態度が彼女を怒らせることもあった。
 加奈子は自分を拾い上げて新市に連れて来た明良に心酔していた。彼女にとって明良は、神にも等しい存在だったのである。実際、加奈子の存在の半分以上を造り上げたのだから、それは的外れな感情ではないだろう。
 彼女がいつまでも明良のことを口にするのを快く思わなかった一要であるが、次第に慣れてゆき、それは何かから引用するのと同じことなのだと思うようになった。
 手を繋いで、ヒヨリまで歩いてゆく。明良が裸眼ではいられなかった明るい陽射しの中を、ゆっくり歩いてゆく。とりとめのないことを話しながら、時々笑い合うこともあった。通りすがる小さな公園で花見をしたこともある。
 そこは明良が死んだ後、加奈子が彼の夢を視た時に現れた場所であった。桜の樹の下のベンチで、明良は約束を果たす為に彼女の前に現れたのである。
 自分はもう死んだのだと伝える為に。
 桜の樹は、明良がたったひとりだけ愛した少女の灰が巻かれた場所にも生えていた。彼はその少女が死んだ時、自分のほぼすべてを喪くしてしまった。精神を、気力を、生命を。
 その少女の名はカナコといった。
 そのことを一要は知っていた。加奈子は知らない。明良はその名を口に出来ず、養女にまでした娘を「カナ」と呼んでいた。彼は加奈子のことをどう思っていたのか。それは兄ですら判らなかった。
 どのような愛情を持って接していたのか。死んだ恋人と同じ裏町に住んでいた、同じ名前の少女を。
 ふたりの写真が書斎の机の抽斗しに残されているのを、一要は見てしまったのだが、そのことを加奈子には話さなかった。
 明良のことが忘れられないのなら、彼とは違う愛情で加奈子を愛そうと一要は思ったのだ。どのようにすればいいのかは判らなかったが、真摯にすればいつか伝わるだろうと。
 切ない愛である。

 明良が改装して住んでいたホテルの最上階の部屋は、殺風景と云ってもいいほどで、家具はソファーと卓子セットと寝室のベッドとサイドテーブル、書斎の机と椅子だけであった。
 加奈子は彼の死後、何処も弄らずそこに住み続けている。殆ど外出もしなかった。明良の生きていた場所をなぞるようにして生きていたのである。
 一要も彼女を尊重して、何かを変えようとはしなかった。彼の荷物は、書斎と明良の服を片づけた後のクローゼットに納められた。
「明良さんの使ってたとこにぼくのものを入れてもいいの?」
「いいよ、だって他に入れるとこないもん」
「隣の倉庫に入れてもいいんだけど」
「何か要る時、いちいち出て行かなきゃなんないじゃん。遠慮しなくていいよ」
「ごめんね」
「なんで謝るの?」
「だってカナちゃんにとって、明良さんの場所は大切でしょ」
「それはそうだけど。別にクローゼット使うくらい、いいよ」
 そんなことで感激してしまういじらしいところが彼にはあった。加奈子が外へ出ないので、彼も殆ど外出しなかった。それ迄はアパートの部屋にじっとしているのが堪えられず、知人の処へ用もないのに入り浸っていたのだ。小島孝次の処で厄介になっている時はあまり外へ出ないで、暴行三昧の日々を送っていたが。
 一要は涙もろい方ではなかったが、加奈子と暮らすようになってから涙を堪えることが屢々あった。涙を流すことはなかったものの、それがどんな感情に因るのか、彼には判らなかった。小島に暴力を揮ったり、いきなり口づけたりするのが判らなかったように、自分の気持ちが理解出来なかったのである。
 こみ上げてきた涙は、恋する者のどう仕様もない感情だった。悲しくて、切なくて、愛おしい気持ちが混ざり合って、押し寄せてくる。それが彼には判らなかった。まだ精神的に子供だったのだろう。
 裕福な家庭で甘やかされて育ち、躓きもなく大学も十八才で主席で卒業し、女関係は乱れていたが、相手が年上ばかりでちやほやされていた。気の弱い性格だったけれども、そこが周囲の保護慾を駆り立て、可愛がられていたのだ。
 恋したこともなかった。
 はじめて加奈子の許へ泊まった日、いきなり口づけてそのまま行為に及んでしまったのだが、彼女からキスする時はちゃんと云って慾しいと云われたので、その後、その通りにしたら大笑いされた。経験豊富でもこういうことをするので、女性に好かれたのだろう。
 そもそも一要は、世間擦れした部分が見受けられない。十代後半で千人斬りとまで噂されたにも関わらず、常に受け身で、自己主張が少ない人物なのだ。意味不明な行動をしたのは、ただひたすら、小島孝次に対してだけだったのである。
 彼らの娘であるりょうは亮二が名づけ親なのだが、彼女は「りょうパパ」と呼んでいた。パパってな。
 りょうは母親と同じように部屋から殆ど出なかったので、図書センターへ父親と一緒に行く以外、亮二に会うことはなかった。加奈子などは、亮二には一度も会わなかった。
 彼女は本当に、明良との思い出だけに生き、その場所以外を受け入れなかったのである。


基本設定

上条(旧姓、山田)一要

9月9日生まれ。
AB型。
家族構成→父、母、後に妻、娘。
170センチ、49キロ
ギターが得意で、バンドを組んでいたこともある。ベース、ウクレレ、キーボードも弾ける。ギターは独学で習得し、クラシックからジャズ、ロックまで弾く。ベースは友人から貰った。ウクレレとキーボードは娘の為に覚えたものである。
クラシックやフォーキーな音楽など、割合静かなものを好む。耳で聴けば大抵の曲は弾ける。ギターだけでなく、ベースやキーボードに合うようにアレンジも出来る。
飛び級を重ね、法学部を十八才で首席卒業。
料理は得意だが、加奈子と暮らし出してからは必要がないので作らなかった。
車の免許は持っていない。

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