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【小説】ナナの記憶から

『見えないけど、分かるの。
わたしにとって、よくないものだっていうこと。
近付いたらいけないこと。

だからわたし、近付かずに逃げるんだ』


クラスの子達なんか、そんなこと気にしたこともないみたいだけど、「それ」は、どこにでもいる。
教室の隅っこだったり、電信柱の陰だったり、スーパーの果物売り場だったり、家の中だったり。
わたしが見る限りでは、わたしの前の家が一番多かったみたい。
といっても、わたしも見えてる訳じゃないの。さっきも言ったっけ。ただなんとなく、ぼんやりと、「あぁ、いるなぁ」っていうことが分かるだけで。

お母さんに言っても全く信じてもらえなかった。信じてもらえないどころか、怒って、「やめてちょうだいよ、あなたまで!」って子供みたいに泣きわめくから、もう言わないようにした。
お母さん、いつもは普通の良いお母さんなんだけど、そういう話と、伯母さんのことと、……源九朗げんくろうちゃんのこと話題にすると、人が変わったみたいになるから、しないようにした。
お父さんのことも。
家族なのにね。
今の家に越してきて、そんなことも無くなったから良かったけど。

お母さんはよく、「ナナと八彦やひこだけはそのままでいてね」って言う。
でもね、八彦だって分かってるのよ?
八彦はわたしと違って、ちゃんと見えてるんだから。お兄ちゃん達みたいに…でも、でもね…



七生ななおはそれでいいんだ。近付いてはいけないことが分かるナナは偉いよ。怖い奴等から上手に逃げなさい。』

「…うん…」

『八彦のことも、頼んだよ。八彦はまだ分かってないかもしれないから、お前が手を引いてあげるんだ』

「うん。あのね、また電話してもいい?」

『もちろん、いいよ。もし逃げきれなくなったら…困ったときは、いつでもお兄ちゃんに言うんだよ。すぐ助けに行くから』

「うん。お兄ちゃん、大好きだよ。またね」


それから少しして、機械の音に変わった。


大好きなのだ、本当に。

でも、わたしが一番怖いのはー


伯母さん的には、お兄ちゃんみたいな人は「女が幸せになれないから、ひっかかっちゃダメなタイプ」って言っていたのだけど、お兄ちゃんは、わたし達には優しい。
伯母さん達の前ではつんけんしてるかもだけど、わたしや八彦と目が合うとこっそり微笑んでくれた。電話越しにだって、いつもの笑顔で話してる姿が想像できる。
必要最低限しか会話はしない人みたいだから、きっと誤解されやすいのよね。

それでも、
冷たい手をした優しいお兄ちゃんから感じていた、得体の知れない、大きな気配、あれだけは、怖くてたまらない。
そこら辺にチョロチョロしている小さなキモチワルイ気配なんて、あれに比べれば可愛いもの。
あの小さいやつらだって、お兄ちゃんのことは避けていたみたいで、蜘蛛の子散らすように逃げていっていた。

お兄ちゃんには、何か憑いているんだろうか?
お兄ちゃんはそれで、何かをしているんだろうか?
小さい源九朗ちゃんまで、何かやらされてることがあるんだろうか?

でも、それが分かったところで、わたしに出来ることなんて何ひとつないんだろう。
多分…。

見えないけど、分かるの…。





「ごめんね…」

もう聞こえるはずもないのに、

謝ったってどうにもならないのに、

誰に向けての謝罪かも分からないのに、


謝らずにはいられなかった。

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