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いつも隣にあったもの(前編)

わりと長文になりそうなのでパート分けしたいと思います。
いつも隣にあったものの紹介です。

演劇

小中高大、かれこれ12年間、断続的に続けたものです。
小中は地元の自治体がやっているミュージカル、高校は県内で公募していた偉人劇、大学は部活として。色々な形の演劇をやりました。
12年間の向き合い方や気づき方を一つ一つ追うとありえないほどの長文になると思うので、前中後編の三本立てにする予定です。残り2本は近日公開のはず。

ということで、前編は小中通して参加していたミュージカルについて書いていこうと思います。ミュージカルとなると10年近く前の話。思い出せるかなと思ったのですが、中学時代の手記にミュージカルのことが詳しく書かれていました。それを参照しながら書きます(自分の過去の文を参照するのはくすぐったいですね)

きっかけは憧れ

「知り合いのお姉ちゃんが舞台出るってよ」
母に誘われてその舞台を見に行ったのが演劇との出会い。それ以前にも人形劇などは見たことがあったはずだけど、知り合いが出ていることが印象深かったのか、生の演劇の迫力を知ったのか、記憶上の最古の観劇はこの劇。小学校中学年から参加出来ると聞いて、その学年になるとすぐに参加したくて親に相談しました。

他学年と交流出来て学校と違うことがしたい。
ミュージカルを始めた理由はこれだけです。

中3の私が懐古していました。
地元の市町村にある小中学校全てから応募で集まった児童生徒が、三、四ヶ月の稽古を通して1時間半のミュージカルを作り上げるプログラムです。学校生活と違う集団というのは当時の私にとって魅力的でした。知り合いのお姉ちゃんに会える、友達が増える。そんな場所でした。
このプログラムは、演者が小中学生ということ以外は、演技ダンス歌のそれぞれの先生、大人の音響、照明、衣装さん、メイクさん、有料公演、まさにプロの大人の裏方に支えられて主役の子供たちが魅せるものでした。その本格さも、ひと公演を通して魅力的なものになっていきました。

役に向き合うということ

2年に1度のこのプロジェクト、初めてセリフのある役を貰ったのは参加して4年目、2度目の本公演の時でした。それまでは群読や合唱、群舞でしか声を出してなかった。しっかりとした役がついたんです。しかし、その役は、悪役のボス。主人公達に倒される役でした。当時、“拒絶に近い抵抗感”を抱いた私は、色々悩みました。 悩んだ末に、ある考えに至りました。

セリフのない人だっている。
小5の時の自分だってセリフのある役に憧れた。
その人達から見れば、
“悪役だからやめる”
というのはワガママ過ぎるのではないか

セリフのない悔しさ、セリフのある役への憧れ
それは同年代は前の公演からセリフを貰っていて、1人だけセリフがなかった私だからわかる悔しさで、憧れだった。
2年前の自分に誇れる自分であるか。
役を受け入れるきっかけは、過去の自分との対峙でした。

役作りをしていく中で、
「悪役が嫌」という気持ちが薄れはじめ、
「悪役って面白い。この役でよかった。」
と思えるようになりました。

今思えば、この瞬間が演劇を一つ深く楽しめるようになったのではと思いました。

中3、3度目の公演は、2度目の公演と同じ演目をやることになりました。私はそこで、もう一度、悪役を演りたいと宣言したのです。当時の演出家であり演技指導の先生が驚いていたのを今でも覚えています。

今年のミュージカルは同じ内容で同じ役でも
前回表現できなかった部分、恥が邪魔して
悪を演じきることができなかった部分を自分らしく
演じれるように頑張ります。

これは3度目の公演まで1ヶ月を切った時に書いた決意表明です。我ながらよく分析できてるなと昔の自分を褒めてあげたいですね。演技力については雀の涙ほどの成長だったと思いますが。

公演後も手記が残っていました。

小学校の卒業式より泣いてたし、
中学の卒業式より多いと思う。
それだけ熱を入れたから、
これからどんなに辛くても、この日を思い出そう!!

学校よりも部活よりも楽しくて達成感があって、何ものにも変えられない体験と思い出を得ることが出来たのが、ミュージカルだったのです。

でも当時中3の私は知りません。
私の演劇人生はこれで終わらないことを。

中編に続きます。

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