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言葉の力、書くことの意義

お疲れ様です。アヒルです。前回あまり書かない書き方で書いてみたのですが、また戻して真面目?な形で書いてみようと思います。

こちらの形の方が物事を客観的に書けるかなと思うのですが、実際にはそうでも無く、丁寧語を使わない、自分の思うのままで書いた方が思考はシャープになっているような気がします。恐らく、文体が思考に影響を与えているのでしょう。

言葉と思考が同一のものかという問いがあり得ますが、両者は全く別個なものです。勉強をしたことがある人ならわかるはずですが、わかるは言葉より先に来ます。いわゆるひらめきというやつです。言葉は思考を後から後からえっちらおっちら追いかけてくる、思考の残像に過ぎません。

ですが、言葉の力というものはなかなか侮ることができません。言葉は思考の残像にすぎませんが、言葉にすることで、原点たる思考とは別の力を手に入れることができます。。。今回は自分の思考を書きだすことの利点をいくつかピックアップして書いてみることにしてみました。

自分の思考を客観的に見れる

恐らく一番に来る理由はこれだろうと思います。人間のワーキングメモリには限界があるので、自分の思考を頭の中だけで整理するのは至難の業です。実際に思考を書き出してワーキングスペースに空きを作ることで、自分の思考過程を客観的な目線、第三者としての目線で見ることができます。こうすることで、自分の思考のどこに穴があるのか、欠点や抱いている偏見は何かを見て確かめることができます。

仕事で何か新しいことを求められたとき、何も思いつかずワードの前で立ち往生ということがひょっとしたらあるかもしれません。その場合はまず何でもいいので頭に浮かんだ思考の切れ端を書き出すことをお勧めします。書くということで自分の思考のブロックの一段目を重ねられるからです。それに自分自身でフィードバックを繰り返していくことでなにがしかを作ることができると思っています。

他者の意見を求められる

最初の見出しと関連しますが、自分の思考を客観的に見ることができるだけでなく、自分の思考をオープンにすることで、他の人たちからフィードバックを受けることができます。もちろんすべてのフィードバックが傾聴に値するわけではなく、中には誹謗中傷も混じっているかもしれませんが、自分の考えに他者の視点を取り入れることは、うまくやれば値千金の価値を持ちます。およそこの世にある議論の類のものの本来的な意味はここにあるものと思います。

記録に残せる

当たりまえすぎることですが、人間は実際に思考を書き留めることで、それを後から再利用することができます。思考は頭の中を去り行く雲のようなもので、ふとしたことで思いついた思考は、あっという間に彼方へと消え去ってしまいます。その思考を現世につなぎとめるためには、言葉という呪詛が必要です。言葉を使い自分の思考を書き出すことで、私たちは消えゆくだけの思考に命を吹き込むことができます。

他者に影響を与えられる

頭の中に思っているだけでは言葉は力を持ちません。実際に語るか書くかすることで、言葉は他者に影響を与え、彼らの存在を揺るがすことができます。書き物も語りもどちらも他人に影響を与えることができますが、個人的には語ることより書くことの方がより不特定多数に正確に自分の意図を伝えられると思っています。書くことで、その文章の作り手の意図を語ることよりも明確に伝えることができます。言葉の力は偉大です。ヒトラーの「我が闘争」のように、ある言葉が大勢の群衆を駆り立てることもあり得ます。幸いにして私は言葉にそれだけの力を宿すすべは知りませんが、書くことで何かが伝わればよいなと願っています。

こんなところでしょうか。ここのところ時間がなく、サクッとしたものしかかけていませんが、言葉の力、書くことの意義ということで書かせていただきましたアヒルでした。

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