Le style est l’homme meme.

“文(文体・文章)は人なり”

 フランスの博物学者、ビュフォンの言葉だそうです。
 私自身、noteを書き始めた理由は、「自分自身が素直に表れる文章が書きたい」から。誰かの文章をそっくりそのままではなく、自分の言葉で書くこと。そうすれば必然に自分らしさが表れてくるはず。

 もちろん、いろいろなことに影響を受けることはある。その時読んでいた本、観ていた映画、聴いていた音楽。選ぶ言葉も文章のリズムも大きく影響され、一定ではない。特に私は影響を受けやすい。そのため、映画を観たらまっすぐ家に帰ることにしている。

 他人から見た自分の印象は、自分ではわからない。どのように感じるかはその人次第だから、自分で「こんな印象を持ってほしい」と思って接しても、その通りにはならない。

 “人”を表す文章も同じように、読む人によって受ける印象は違うはずなのだが、そもそものところで、書き手本来の姿を隠したり偽装したりするのは難しいと思っている。

 他のこと、例えば化粧なら印象は大きく変えられる。他人に与えたい印象を操作するために、己の顔を操作することができる。とはいえ、目指す印象に近づけられるかどうかはその人の腕次第なので、クールビューティーを目指してメイクをしても、ただ冷淡なだけになってしまうことはあるが。

 文章での印象操作は難しいと思う。たとえ操作しているつもりでも、全体として不自然になりがちで、統一感に欠ける。自分の言葉ではない箇所は他と馴染まず浮き出てしまう。

 教養や知識の問題ではない。言葉の選び方、漢字や読点の使い方、一文の長さ、文章のリズム……。すべてを総合して感じる印象が書き手そのもの、ということ。

 私は「この文章、なんだか好き!」とか、「この人の文章、苦手。棲む水が違う」と感じることはよくある。そしてその印象は実際にお会いしてもだいたい間違っていない。印象操作しているなと感じる文章は苦手だし、素直に書いている文章でも、なんとなく自分と寄り添ったところがない場合も苦手だ。
 「この文章はすごい。こういう書き方をしてみたい」と感じる文章を書く人は、実際お会いしても印象は違わず、目標としたい人柄なことが多い。

 さて、自分は素直に書けているだろうか。実物を偽った文章を創っていないだろうか。

 

 私の文章を読んで、「なんだか気になる」と感じてくれた人に実際お会いした時、

「安心した。文章の印象そのままの人だ」

 と、満足してもらえるような文章を書きたい。

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