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それでも、編集者をやめなくてよかった

自分にしかできないことって、なんだろう。自分だからできる「仕事」ってなんだろう。そもそも、仕事って生活のためにするものだよな。なんで今の時代って、仕事に対してこんなにも「やりがい」とか「意味」とか求められているんだろう。なんか、窮屈だな。

最近、家の中でリモートワークをしながら、こんなことをずっと考えていた。陽の光が不足していたせいで、暗い考えになっていたのかもしれない。ひきこもるのが当たり前になって、外に出るタイミングといえば、ゴミ出しの日とスーパーへの往復だけ。最近は少しだけ友人と会うようになってきたけれど、会った数日後の不安と謎の罪悪感には勝てなくて、コロナが憎くてたまらない。会いたい人に会っているだけなのに、どうして後ろめたくならなきゃいけないんだろう。お互いの安全を守るためには「会わない」という選択が一番正しいと言われてしまうのだろうけれど、それでもどうしても会いたい人がいる。顔が見たい。声が聴きたい。堂々と大切な人に会えない今の世の中が嫌いだ。嫌いでしょうがないのに、解決の糸口を探すことすらできない自分も嫌いだ。

ずっと、文句しか言っていない。自分が無症状でかかっていたら怖いから、特にわたしの家族は身体が強くはないから、実家に帰るたびに自費でPCR検査を受けている。総額は最早いくらになったかわからないけれど、確実に私の年齢は超えた。このお金は、本当はなんのために使われる予定だったのだろう。

就職活動の時に嫌というほど聞かれた「あなたにしかできないことは、なんですか」という質問。それなりに社会で働いてきたのに、正解が未だにわからない。
あの時のわたしはまだ社会のことなんて何も知らなくて、バイトをしてちょっとだけ働く意味についてわかったつもりでいて、社会に対して過剰な夢を抱いていた。インスタやツイッターで見る輝くインフルエンサーみたいに、社会で働く人々の大半が希望をもって仕事をしているものだと想像していたのかもしれない。
就活で出会った大人はやけに立派に見えて、優しそうな顔をしていて、でも信じられないくらい残酷だった気がする。わからないなりにも就職はしなきゃいけなかったから、面接で聞かれた質問には大人が納得しそうな単語を淡々と並べて、これまでの自分の存在意義を正当化しようと必死だった。

気が付けば、社会人5年目。出版社で働きお給料をいただき、編集者として生きてきていつのまにかこんなに時が経った。わたしはもう四捨五入をしたら20代ではなくて、それでも社会ではまだまだ若造と呼ばれる存在で、でもなんだかもう若くない。
最近はリモート面接が主流になったらしくて、スーツを着ている就活生を街中で見ることが少なくなった。学生のみんなは、今頃どんな思いで過ごしているのだろう。どんな思いで、就活をしているのだろう。若い子に対して「若いなあ」とまだ思えない自分が、未熟で恥ずかしくなる。

大学生だったわたしの就活は、周りと比べたら長かった。大学3年生の夏からインターンに参加したりして準備をしたものの、結局内定がなかなかもらえなかった。

「出版社で働きたい」。高校の時から漠然と考えていた想いが、大学生になってはっきりした。
中学3年間、学校でいじめられていた。両親は共働きで兄は塾に通っていたから、家に帰っても誰もいなかった。学校の先生も味方なんてしてくれなくて、ずっとひとりぼっちだったわたしを救ってくれたのは本や漫画だった。決して裕福ではなかったけれど、誕生日にはお母さんが本をくれた。図書館で青い鳥文庫を読んだ。ドラえもんやクレヨンしんちゃんで、家族の愛を学んだ。
中学3年間いじめに耐え忍んで、卒業間際に弁論大会で学年全体の前でいじめられていたことを暴露してやった。教壇からみた、わたしをいじめていたやつらが顔を真っ青にした光景を今でも覚えている。助けてくれなかった教師が嘘みたいに泣いていて、吐き気を覚えた。言えなかった本音を作文に書いたら、言えた。
その日から、わたしにとって書くことは自分を表現することになった。言えないことも書けば、言葉になるってわかった。世間にあるあらゆる作品は、言葉にできない何かから生まれるのかもしれないと、その経験から感じ取った。

だから、文字が好きだ。言葉が好きだ。少しでも多くの人に、表現を届けたい。そんな気持ちを捨てきれなくて、どうしてもこの仕事がしたくて、でもどうしても面接がうまくいかなくて、夏になってもスーツを着て就活を続けていたっけ。SPIや筆記試験は努力でなんとかなったのに、面接になると大人の前でうまく話せなくなって、最後にはお祈りメールがきて、その繰り返し。
結局、希望の業界からはいつまでも内定がもらえなくて、でも夏が終わる頃にひとつだけ別の業界から内定をいただいて、一瞬だけ安心をした。自分が社会に必要とされたことがうれしくて、ホッとした。社会のことなんて何も知らないのに就活をしなければならない自分が嫌だったけれど、裏を返せばわたしは社会のことを就活をするまで知ろうとしていなかった。たとえ奨学金を使ってでもわたしは大学に行かせてもらえたし(今は毎月降りかかる返済に心がすり減るけれど、それでも大学に行った価値はあった)、学生時代はバイトという身ではあったけれど様々な場所で働かせてもらっていた。
社会で働くことについて考える機会はきっといくらでもあったのに、甘えていたのだろう。
いざ就活生になって、面接で容赦なく落とされるようになって、急に被害者面するようになった。落ちる理由を考えて何度も反省をして、面接の練習をして大人に媚びを売る。

今ならわかる。

わたしは、特別でも何でもない。
才能もなにもない。
平均以下で、人の何倍も努力をしないと、きっとまともに仕事なんてできない。
凡人以下だ。

きっと、どこかでうぬぼれていた。自分には「自分らしさ」があるって。大人が気づいていないだけで、わたしにはわたしにしかできないことがあるって。社会で働く価値がある人間だと、謎の自信があったのだ。やりたいことがある自分に酔っていた。

滑稽だ。

そんな馬鹿なわたしでも、今の仕事をやりたいと思う気持ちは今までにないくらい強かった。どうしてもどうしても諦めきれなくて、どうしてもどうしても編集の仕事をしたくて、大学4年間、永遠と就活を続けた。文字を、言葉を、写真を使う仕事がしたくて、とにかく編集の仕事がしたくて、卒業間際まで就活をした。
同世代が立派な企業に内定をもらって内定者懇親会で盛り上がる中、とうとう後輩たちの就活が始まった。「さくさんも就活仲間ですね!」なんて無邪気に言われるものだから、恥ずかしくてたまらなかった。よれよれの着慣れたスーツを着て、無駄に就活メイクに慣れてしまった自分が惨めだった。どんなセクハラにあっても、どんなに馬鹿にされても、それでも頭を下げ続けた。
あの執着心、我ながらちょっときしょい。

卒業間際の2月。今の会社の求人を見かけたときに、迷わず飛びついた。それは新卒採用ではなくて中途採用だったけれど、応募資格がわたしにもあるものだった。面接には「自分らしい恰好できてください」と言われた。もしも会社に入ったらどんなことがしたいか、今の自分が考えられる範囲でいいから企画を持ってきてくれと言われて、わくわくしながら考えた。その面接のときに出会ったのが今の編集長で、その方がわたしを採用してくれて、今のわたしがいる。

いただいていた内定の会社に就職したら、この会社には行けなくなってしまう。でも、ここに就職できるなんて確証はない。
3月末、大学を卒業してすぐに行われた二次面接を通過した時、すごく迷った。下手したらニートになる。このまま素直に就職すれば、順当に社会人になれるし、同期も研修もある。
でも、どんなに悩んでももう心は決まっていた。
わたしは、ここの会社に行きたい。ゼロからでも、編集の仕事がしたい。
3月30日、内定を辞退させていただいた。会社員になった今思えば、採用の面接をこんな時期に断るなんてとても迷惑なことで、それを受け入れてくれたあの会社には本当に感謝しかない。最後まで返事を待ってくれて、温かい言葉をくれた人事の方。一緒には働けなかったけれど、いつかどこかできちんとお礼が言いたい。

学歴もプライドも全部捨てた。合格の連絡が来た時に、腹を括った。なにがあってもここで頑張るんだと覚悟をした。中途扱いだったから、やっぱり新人研修もなければ同期もいない。右も左もわからないまま社会人になって、会社に入って、とにかく現場にでて実践を積み重ねて勉強をさせてもらう日々だった。何も知らない、何もできない、そんなわたしにお金をくれて、勉強させてくれるなんて、すごく恵まれていることだと思えた。たった一年、就活で編集の仕事を得たわたしと比べたら、もっと早くから準備をしていた人だっていたはず。だからわたしはきっとラッキーだ。

この仕事をする中で、いろんな出会いがあった。
いろんな経験をした。
初めて自分が編集した本が本屋さんに並んだ時、泣き崩れた。
SNSで作品の感想を見て、ドキドキした。いい意見も悪い意見もどっちもあったけれど、誰かの心を動かす仕事ができて、嬉しかった。
どうしても作りたいものがあって、クライアントさんに手紙を書いて企画書と一緒に送った。会ってもらえて企画の実施が決まった時、手をあげて喜んだ。
ネット書店で総合一位をとった。会社も世間もみんなが喜んでくれて、とにかく幸せだった。
時には、思いっきり失敗もした。上司に頭を下げさせた。わからないことをわからないままにして、同じ失敗を繰り返したりもした。

振り返ればキリがないほど、濃すぎる社会人生活だ。
楽しかった。
できることが増えて、嬉しかった。
この仕事に就いたことに、何の後悔もなかった。

だけど、生きていくのに必死だった。
とにかく、生活が厳しかった。
好きな仕事をさせてもらっている一方で、とにかくお金がなくて、毎月必死だった。会社に入って一年後、自立をしたくて無理やりひとり暮らしをはじめた。毎日もやしを食べた。豆苗は三回まで再生することを知った。毎週作り置きをして、お弁当を作って持って行った。蒸し暑い部屋の中で、クーラーをつけるか迷う熱帯夜。友達のボーナスの報告をツイッターで見るたびに、心が荒んだ。休みの日も仕事で頭がいっぱいだった。振り返っても、ここ数年仕事しかしていない。

そうこうしているうちに、だんだん辛くなっていった。
楽しいはずの仕事が、楽しくなくなっていった。

仕事をしている自分が好きだった。
頑張れる自分が、嫌いじゃなかった。
そのはずなのに。

今年に入ってスランプに陥って、
わたしは働けなくなった。

本当は自分の限界に気づいていたけれど、意地を張って無視をし続けた。自分が選んだ道だからこれでいいんだって、言い聞かせて働き続けた。いつか大物になってやるって、わたしを落とした会社を後悔させてやるって、見えない何かに復讐するように必死に働いた。自分で「必死」なんて言うのは格好悪い気がするけれど、そう表現するくらいには真剣に仕事と向き合ってきた自信がある。どんな時も、仕事をした。恋もオシャレも、いつの間にか諦めるようになった。今はその時じゃないって言い聞かせて働いた。
いつか、いつか、きっといつか。
全てが報われる日が来る。
ヒットを出して、世界を元気にできるような、そんな一冊を編集できるようになりたい。誰かの生活が少しでも楽しくなるようなものが作りたい。本屋さんを、守りたい。
東京の真ん中でド底辺な暮らしをしながら、毎日夢見てた。どんなに悔しくても疲れていても、自分のちっぽけな意地と「好き」という思いだけで仕事をしていた。気が付けば、一冊つくれるのは当たり前になって、売れるものをつくるのはもっと当たり前になって、期待をされる存在になっていた。「すごいね」って、言われるようになった。正社員になった。お金もそれなりにもらえるようになった。



何かが壊れるのに、予兆はない。
人間の壊れる瞬間は、いきなりやってくる。
わたしの中の糸が、ある日プツンと切れた。
切れた音がした時には、遅かった。

これまでがむしゃらに仕事に夢中になれていたのに、どんなことよりも大事にしてきたはずなのに、仕事が突然できなくなった。パソコンを目の前にしても何も企画が浮かばなくて、会社に行くのもつらくなって、手を動かそうとすると頭が真っ白になる。何かを作りたいという意欲がめっきりなくなった。「めんどくさい」とか「だるい」と思ってしまうことは正直これまでに何度かあったけれど、したくても「できない」という状況になったことはなかったから、自分でもどうしたらいいかわからなかった。
それでもお金を稼がないと生活はできないし、守るものも守れなくなってしまうから、自分に鞭をうって仕事をしていた。その頃の自分の企画書をみると全然おもしろくなくて、楽しそうじゃない。AIの方がわたしよりも感情の込めたものがつくれるんじゃないかと思うくらい、ひどい。感情がなくなったら、こんなにも仕事ができなくなるんだって初めて知った。

夜も眠れなくなって、ごはんもろくに食べていなかった。それでもお酒だけは体に入って、落ち着きたいときにはたばこを吸った。ばかみたいに不健康な生活を続けていて、いつもより肌が青白くなっていく一方で、なぜか肌荒れは一切しなかった。とうとう酒とたばこが身体に順応したのかと、諦めと共に虚無が襲ってきて笑ってしまった。

会社に、上司に、言えなかった。言ったらもう戻れない気がして怖かった。だから壊れた自分を隠すように最低限のお仕事だけをするようにした。失敗しないように何度も確認をして、無理やり仕事をした。会社員として、やらなければいけないことだけをやるのに必死だった。

限界の限界を迎えたとわかったのは、企画を考えようと思ってパソコンを前に椅子に座った瞬間に思いっきり涙が出て、蕁麻疹が出て震えが止まらなくなった時。これはもう自分ではどうしようもないものだと諦めて、初めて精神科に行った。自分が思うよりも重症だったことを、そこで知った。「休むことを知りなさい」「真面目すぎるよ」、それほど感情のこもってない声のお医者はわたしの症状を淡々と説明し、当たり前のように処方箋を渡して来た。

薬をもらうなんて、流石にやばい。こんな自分、親にも友達にも言えない。どうしよう。
このまま仕事をしたらいつか仕事自体に影響が出てしまいそうで、それだけは本当に嫌だったから、上司に相談して少しだけお休みをもらうことにした。休職をしたいわけではない、ただ少しだけ、一週間だけお休みをくださいと頼んだ。有り余っていた有給を使って、わたしはとうとう会社を休んだ。

どうしてこうなったか、頭の中でぐるぐると考えて、自分でも理由はわかっていて、ただ自分の心の声をひたすらに無視していたからだと、痛感した。

昔からそうだ。
風邪のひきはじめには気づかない。
熱がでても気づかない。
泣きたい時に、泣けない。
本当はわかっているのに、自分の心の声に耳を塞ぐ。うるさいなお前って、蓋をする。
そうして我慢し続けて、最悪の事態になってはじめて自分の状態に気づく。

好きな仕事ができなくなって、生きる意味を失った。
仕事しかしてこなかったのに、仕事がなくなったらわたしがわたしでなくなるようで、怖かった。
怖い。死んでしまいたい。
毎日薬を飲みながら、
生きているようで死んでいるような
いつもよりも寒すぎる冬を過ごした。

焦っていた。
会社に入った時からずっと。
早く一人前にならなきゃって、早く稼げるようにならなきゃって、ずっと焦っていた。焦りと共に大きくなっていくプライドに、いつも負けそうになっていた。お金がなくなったら、守りたいものも守れなくなる、親ももう若くない。だからわたしが稼がなきゃと、自分のキャパを無視して、気持ちを殺して働くようになっていた。本当に好きな仕事をしていたはずなのに、夢も目的を目標も失っていた。
同世代はあまりいない会社。一番近くにいる上司はなんでもできるベテランで、追いつこうと必死だった。
考えたら、一回り以上も上の先輩と張り合おうとして躍起になるなんて、あまりにも無謀だった。背比べをするなんて、間違えていた。
作品は比べるものじゃないのに。
仕事なんて、上をみたらきりがないのに。

誰よりも仕事に、結果とやりがいを求めていたのだと思う。自分が決めた道だから、自分が求めたものだから、その道から逃げちゃいけないって強がってた。
でも、成功すればするほど孤独を感じて、それがまた辛かった。頑張れば頑張るほど、自分がなくなっていく気がした。
辛さを隠すために、何かが起きるたびに言い訳をするようになった。できない理由を探して、文句を言って、逃げるようになった。今日はできない、明日から頑張ればいい。今日はもうこれでいいや。こうなったのは自分の管理ができなかった自分のせいだって思うと、これまでやってきた自分を全否定するみたいで、悲しくてたまらなかった。

生活のためにはお金が必要なのに。
わたしには、働く理由が自分以外にもあるのに。
逃げたいって、本気で本気で思った。
こんなに辛いなら、やめてしまえと思うのに、この仕事をやめるという選択肢はとりたくなかった。

お酒は毎日飲めるのに、
ごはんはずっと食べられなかった。

いろんな感情を持ち続けて半年。
6月になっていた。

なかなか長かったと思う。年明けすぐにスランプになったから、まる半年真っ黒な日々を過ごしていたことになる。季節がひとつ移ろって、今度は夏が来ようとしている。

しばらく出社していなくて、でもその日はどうしても会社に行かなきゃいけなかった。久しぶりに見た自分のデスクは信じられないくらい散らかっていて、あまりの荒れ具合に唖然とした。なにこれ。
気づいたらいきなり大掃除をしたくなって、ゴミ袋をもらって投げ捨てるように物を廃棄した。心の状態は、机に出る。ガラクタを揃えたかのようにきったねえ机を見て、自分がいかに盲目だったかを知った。
昔に描いたラフ、なんども連絡をしてやっと実施に至った企画書、上司からの赤字が入った台割。今まで自分がつくってきたものがたくさんでてきて、あれ、自分が思っているよりももしかしてちゃんと仕事をしてきたのかも、なんてしみじみに感傷に浸っていた時。

一通の手紙がでてきた。

それは、随分前にひとりの読者さんからいただいたもの。
編集者である「わたし」に送られたものだった。

そもそも、編集者は裏方だ。
作家さんやクライアントさんがいて初めて仕事ができる。世の中では編集者といえば少しキラキラしたイメージがあるみたいだけど、実際はかなりシビアだ(現に就活をしていた頃のわたしも、そうだった。編集に夢を抱きすぎていた)。ドラマや漫画で語られる世界とは全然違う。語るときりがないけれど、編集者である自分は主人公ではない。

作家さんやクライアントさんへの感謝の手紙が編集部に届いて、それを代わりに渡すことはこれまでに何度かあった。
でも、わたしに。
編集者であるわたしに手紙がきたのは初めてだった。「作ってくれて、ありがとう」と書かれた手紙。
もらったのは一年前。これをもらったとき、わたしは喫煙所で大泣きをした。知らない誰かが、知らないところで稼いだお金をだして、わたしが編集したものを買ってくれて。
喜んでくれて、手で文字を書いて手紙をくれた。


これって、奇跡だ。
一年前の手紙を見て、涙が止まらなかった。

誰かの仕事に生かされて、誰かのために仕事をする。自分の仕事の先には、誰かのお金と生活、そして感情があるんだと思い出した。仕事は自分の生活のためだけれど、誰かと繋がるものでもあった。
就活をしたときも、そうだ。わたしは何もわからないなりにもずっと、「誰かの心を動かすヒットをつくりたいです」って、恥ずかしげもなく言っていたんだ。手紙をくれた読者さんが言う商品は確かに売れて、SNSでもバズった。わたしのおかげではない。
でもまさか、裏側にいるわたしにメッセージがくるなんて思わなかった。見えないところにいるわたしに思いを馳せてくれる誰かがいるなんて思わなかった。こんなわたしの存在に、気づいてくれた。

働かなければお金は得られない。
働かなければ生活はできない。
仕事は自分のためにするもの。
でも、仕事は誰かがいないと成り立たない。
自分の仕事を必要としてくれる誰かがいて初めて、仕事になるのだ。

今の世の中では、仕事に過剰に意味が求められる。やりがいが追求される。表立ってキラキラした仕事が「すごい」って思われる。憧れの存在になる。だからこそ、キラキラできなくなって、見失った時には自分が壊れそうになる時もある。壊れる足音はすぐそばにきているかもしれないのに、ごまかして頑張ってしまう人が多いんだろう。
わたしもそうだった。見失った。壊れた。自分は何者なのか、自分になにができるかわからないから、埋まらない心の穴を埋めるように仕事にすがった。頑張ることが美しいと思っていた。誰かに語れるような仕事をしないとって、早く成功しないとって、バカみたいに自分を押し殺して働いた。会社員である前に人間なのに、自分を殺して社会の一員になろうと必死だった。

でも仕事は、どうしたって自分のためだけではできない。たとえ趣味や好きなことが仕事になったとしても、お金が発生する以上そこには一定の責任が産まれる。食っていくために、生きていくために、お金がいる。稼ぐのは簡単なことじゃない。自分の仕事にお金を払ってくれる人がいて、意味がないと思う行動の先にも、誰かがいる。無駄だと思う作業の先にも、人がいる。感情をもった人間がいる。人間が人間に向けてすることが、仕事だ。

その手紙をもう一度読んだ時、世界が色づいた。

何気ない日常が、全て誰かの仕事で成り立っていることを思い出した。わたしの仕事が、誰かの喜びになった。わたしは、仕事をしていたんだ。

少しだけ空気がいい、始発の電車。
「おはようございます」が温かい駅前のスターバックス。
お昼に賑わうお弁当屋さん。
当たり前みたいに動くATM。
休日に行われる水道の工事。
たまに遅れる都会のバス。
いつも呟けるツイッター。
真夜中を駆け巡るタクシー。
世界を助けてくれる医療従事者の方々。
いつもは厳しいけれど、尊敬する上司。

この世界が動くのは、誰かの仕事のおかげだ。当たり前に見える景色は、人が動くことで作られている。見えないところで働く誰かのおかげで、日常がある。
わたしはまだ手も足も動く、目も見える、もう少しだけきっと、両耳がきこえる、声がだせる。体が動く。だから働く。心の内から働きたいと思っても、思うように働けない人がいることを知っているから、この身が朽ちるまでわたしは働く。わたしは働くことで、社会と、人と関わりたい。

泥臭くてもいい。
馬鹿にされたっていい。
格好悪くてもいい。
プライドが高いって揶揄されてもいい。
わたしの代わりはきっといくらでもいる。わたしの仕事は誰にだってできるかもしれない。それでも、わたしは生きるために、わたしと守りたいものが生きれるように仕事をする。したい。その仕事は、今までしてきた編集の仕事がいいって、また心から思えるようになった。今つくっているものが、しかるべき誰かに、届けたい人に届くように仕事をする。

そう思えるようになった出来事が、実はもうひとつある。

わたしは、一時SNSに現実逃避をした。

落ちに落ちたその時期に、仕事以外でもいろんなことに空回りをしていて、覚悟を決めたことに心が揺らいでいて、かといってそんな状況を友達に話す勇気もなかったから、あるSNSに逃げた。そこでは、まったく知らない人との出会いがたくさんあった。ある程度距離があって、わたしの今までを何もしらない人だからこそ話せたことが、たくさんあった。ネットの関係性をなめていたとか、どうでもいいから話せたのではない。わたしがどんな人かを知らなくても真剣に話を聞いてくれる、そんな世界に救われたのだ。話している相手はわたしの知らないどこかでいろんな経験をして、わたしが知らないものを見てきた「人間」で、感情を持っていて感性を持っていて、それぞれの日常がある。自分も相手も最初は見せたい部分しか見せていないことはわかっていたけれど、それでもだんだんと人間性が見えてきて、なんだか不思議だった。そこでいろんな人とお話ししていくうちに、なぜだか段々と仕事をしたいと思えるようになった。
もしかしたら、この人たちにもわたしがしている仕事が届くかもしれない。
そう考えたら、面白くなった。楽しくなった。

動かなかった手が動くようになった。
やりたくないと思っていた仕事が、やりたいと思えるようになった。
普通に生きていたら出会わなかったかもしれない誰かと出会って、世界が広がった。逃げ場だったそこで悩んだり泣いたりしたこともあったけれど、今関わる人は全員わたしにとってかけがいのない存在だ。
出会えてよかった。
話せてよかった。

世界が広いと知って、それぞれが違う現実で生きていることを知った。いろんな想いを抱えて働いていることを知った。

そういえば、友達から来ていた連絡も、格好悪い自分で話したくなかったから無視してしまっていた。だけど、この世界の広さを知って、近いところにいてくれる友人の大切さも改めて思い出した。
もっと周りとも関わってみよう、閉じこもっていた心が前向きに変わった時、驚くように知人からたくさん連絡をもらった。「元気?」とラフに聴いてくれる人もいれば、なんとなく連絡したくなったと言ってくれる先輩もいて、人生のタイミングってすごいなと感動した。

それこそnoteも。自分がどん底だったから、書けなくて、でもそろそろ書きたいなと思っていたら、友人から出店のお誘いをいただいた。
そうしたら、「今書かなきゃ」って反射的に心が動いて、すぐにタイトルも構成も思い浮かんだ。

だから、書く。
書きたい。
いままで書けなかったものが、浮かばなかった言葉が、いまならたくさん浮かんでくる。

わたしを強く変えてくれた人がいる。
忘れていたことを思い出させてくれた人がいる。
弱いわたしも、意地っ張りで格好悪い自分も、人に言えないみじめな過去も、無駄に強く固めてしまった覚悟も、捨てきれない自分の闇も、全部優しく聞いてくれた人がいる。うまく泣けなかったのに、誰かに自分のことをわかってほしいなんて、もうしばらく思うことなんてなかったのに。自分以外は所詮他人だって諦めていたのに。
優しさをくれた人がいる。
きっと本人は気づいていない。自分がどれだけ頑張っているか、どれだけ人を救っているか、わかっていない。

誰がなんと言おうと君は恰好いい。誰がなんと馬鹿にしようと、わたしは君の味方でいる。素敵だよ。立派だよ。声色に感情がないように見えて、いつも平行線みたいに聞こえるけれど、もう全部わかるよ。本当に楽しい時の笑い声、うれしい時にニヤニヤするところ、怒っているときになんとなく眉毛が傾くところ、酔っ払うと喜怒哀楽が豊かになるところ。

その背中を見たから、頑張ろうって思えたよ。悲しさや辛さ、抱えているもの、全部を覚悟して背負っているその背中。強いようで繊細で、そんな君に憧れた。優しい人がつくるものって、優しいんだね。お腹がすくって、幸せなんだね。おいしいって、奇跡だよ。
この感謝を、これからわたしは自分の生き方で表現したい。君に対する恩返しは、自分の生き方でしか表せない。それしか、術がない。わたしに生きたいと思わせてくれてありがとう。頑張ろうと思わせてくれてありがとう。

仕事に夢中な自分でいたい。
この先きっとまた迷うのだろうけれど、苦しくなるだろうしスランプに陥るかもしれないけれど。それでも、届けたい人がいるから。手紙をくれた読者さんのように、待っていてくれる人がいるから。まだまだつくりたいものがある。わたし自身も、守りたいものがあるから。胸を張って会いたい人がいるから。会えた時に、恥ずかしくない自分でいたいから。わたしはまた頑張る。頑張れる。また限界が来たら、少しさぼってお酒を飲んで大笑いして、また頑張る。それを繰り返して、生きていく。

社会をつくるちっぽけな存在だとしても。

わたしは、これからも誰かのために仕事をする。それが、わたしのプライドで、これがわたしの生き方だ。自分らしさなんて、語らない。自分らしさなんて、自分がわかっていればいい。いつか死ぬとき、自分が自分でよかったって語れることが「自分らしさ」だ。

今は、仕事が楽しい。
仕事がしたい。そうなるまでに、半年かかった。
でももう、逃げない。

社会人5年目。編集者をやめなくて、よかった。
これからも、仕事をやめない。まだもう少し、編集者として生きていきたい。
生きたい。

いつも応援ありがとうございます。