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カレンさんの話。

この世で一番大好きな女性のお話をひとつ。
早稲田大学のサークルで出会った、お年がひとつ上のカレンさん。お歌が上手で、オシャレで、とっても優しい素敵な女性。紹介するときりが無いから、全員に直接会って話をして欲しいくらい。インタビューでも明らかになったけれど、今は地方で働いているから、年に数回しか会うことができない。たまに東京に帰ってきたかと思えば、いつも連絡なしでいきなり「今東京なんだけどさ」なんて言ってくる。そんなマイペースさに「もっと先に教えて欲しい」とわたしはちょっぴり怒ったりもするが、幸運なことにカレンさんが東京に来るタイミングで、わたしの予定はいつも空いている。このリズム感もぴったりで、嬉しい。神様が、カレンさんに会いなさいよと言ってくれているのだろう。迷った時に、なぜか目の前にカレンさんが現れる。

カレンさんは、わたしにとって、少し不思議な存在だ。出会いのきっかけは大学で、年齢も上だから、側から見たら「仲が良い先輩」なんだろうけれど、それだけでは説明ができない。もしもわたしにお姉さんがいたとしたら、カレンさんみたいな人がいいなと思うから、きっと家族みたいに近い存在なんだろう。
それでもやっぱりカレンさんが他人であることに変わりはない。家族よりも家族みたいなのに、でもどこまでいっても他人。仲が良くて、憧れで、大好きな女性だけれど、わたしとは違うものを見て、食べて聞いて触って、これから先も違う人生を歩んでいく他人だ。
寂しいような切ないような、その距離感に安心するのも不思議な話。

何か嫌なことがあって、どうしても誰かに話したくなった時、わたしは一番にカレンさんに電話をする。電話に出たかと思えば、ワインを飲んでいて酔っ払っていることもあるし、なんか寝ぼけている時もあるし、猫がブシャーって唸っていたりもする。だいたいマイペースなので、電話したくない時にはしてくれない。実に、彼女らしいのである。

泣きながら電話をしたときには、「さく、また泣いてるよ〜」なんて最初は笑うくせに、わたしが話をするといつも真面目に聞いてくれる。わたしが間違っていれば怒ってくれるし、時にはわたしの代わりに相手に怒ってくれたりもする。わたしが言えないことを、わたしが発するよりもはるかに優しい言葉で言ってくれる。そうやって、心の中にあるぐるぐるとした黒い気持ちを、カレンさんはいつも綺麗に洗ってくれる。

迷った時に、カレンさんならなんて言うかな、って考えたりもする。考えてもわからない時には、いきなりラインをして本人に答えを聞く。
迷っていることも、わからないことも、立ち止まっていることも、全部受け止めて、その上で自分の意見を添えてくれる。最後は笑って背中を押してくれる。

カレンさんが東京を離れて地元に帰ると聞いた時、お前は赤ちゃんかというほど泣きまくった記憶がある。幼かったわたしは、何度も行かないでと言ってしまったけれど、そのどれもがカレンさんを引き止める術になどならないことも、わたしはどこかでわかっていた。

一度決めたことを、貫く意思のある人なんて、実はこの世の中に一握りしかいないことを、わたしは知っている。自分の意思を、自分の将来を、それらすべてに自信がなくていつも手探りだとしても。
周りに流されずに、なりたい自分になろうともがいて、常に前へ進もうとするその背中は、いつだってかっこいい。敷かれたレールを自分で用意したかのような顔で当たり前に歩いて、目の前にある半分答えがわかっているであろう未来に安心をして、本当の自分と向き合うことを避ける人がたくさんいる中で、カレンさんはいつでも。
かっこいい。地に足がついている。
もっともらしい意見が飛び交い、常識を押し付け合う愚かな戦場でも、カレンさんは自分の道を自分で選んで進んで行く。たとえ誰かに後ろ指を指されても、己の強さで全てを乗り越える人だ。
東京を離れて数年経ち、地元で働くカレンさんの横顔は、いまとても美しい。優しさに溢れた顔でくしゃりと笑う。酔っ払うといつもより口が悪くなるところも、人間らしくて大好きだ。

カレンさんのご家族も、これまた素敵なのである。お父様にお母様、それにお兄様。
わたしは一度、地方に住むカレンさんのもとへ、飛行機で会いに行ったことがある。若干運転の荒いカレンさんの車で、カレンさんの地元巡りをした。途中、運転が荒すぎて、山道で一回死にかけた。

お母様は不思議な方で、話せば話すほど全てを見透かされている気がした。あ、カレンさんのお母様だな、と思う強さと、核心をつく人を見る目、そしてやっぱり優しい。
カレンさんの笑った顔は、お父様によく似ている。初対面のわたしにもグイグイ話しかけてくれるけれど、やっぱりマイペースなところは、カレンさんとそっくりだった。
甘い顔立ちのお兄様は、カレンさんと雰囲気がとてもよく似ていた。やっぱりおしゃれで、きっとカレンさんの自慢のお兄さんなんだろうなと思った。お兄様が運営するファッションブランドはすっかりわたしのお気に入りで、ファンのわたしは何着か既に着まわしている。

また、会いたいなと思う。温かいあの家族に、また会いに行きたい。

カレンさんを泣かす男は、全員ゴミクズだと思ってる。たくましい彼女のことだから、弱音なんて吐かず、ましてや弱った姿なんて相手になかなか見せないのだろうけれど、本当はすごく繊細で、人知れず泣き、悲しむことだってあるのだ。カレンさんを泣かす当の本人は、その姿を知っているのだろうか。
カレンさんが泣くたびに、クソつまんねえお前ごときがカレンさんを泣かしてんじゃねえよ、とわたしは相手に対してこれでもかというほどイライラし、思いっきり口が悪くなる。わたしのイラつきっぷりで、泣いていたカレンさんが笑い出すほどである。

どこまでも相手を思い、受け止める。自分の気持ちよりも、相手に寄り添って放つ言葉を選べるカレンさんのその強さがわからず、カレンさんを泣かせるそいつは一体何を守ろうと言うのか。もうとっくに、失ってはいけない存在だとわかっているはずであろうに、よくわかんないプライドのせいで、本当にカレンさんがいなくなったとして。多分その世界は、とてもつまらないものだと思う。とはいえ、これはわたしには関係がないことなのだろう。カレンさんが幸せであれば、わたしはそれでいいのだ。わたしはカレンさんを幸せにはできないけれど、不幸になるのを見ているだけの使えないお人形さんでもない。
カレンさんが、大好きな人と結ばれれば、それでいい。きっと、その相手も愛に包まれて幸せになれるはずだ。

この上なく、超絶いい男と結婚してほしい。超絶いい女には、超絶いい男しか似合わない。
ウエディングドレスに身を包む暖かいその日が来たとしたら、わたしは結婚式で嬉し泣いてしまいそうだ。想像するだけでも泣けるから、もうこの話はおしまい。

カレンさんは、わたしによく言う。
「さくには、愛しかないじゃん」と。
カレンさんがそう言うなら、わたしはもう大丈夫な気がするのだ。

わたしの生い立ちも、忘れられない暗い過去も、長年積み重なった幼い頃からの男性嫌いの理由も、全部全部。言葉で説明できるわたしのことは、カレンさんはきっともう全部知っている。家族に話せなかったことも、この先結婚するかもしれない相手にもさえも話せないであろうことも、わたしはカレンさんにごく自然に話せた。ずっと、誰かに聞いて欲しかったんだと思う。それが、カレンさんだったのかもしれない。

そんなカレンさんは、わたしに対していつも丁寧に、酔っ払えばそれなりに雑に、そしていつも尊敬の念を持って接してくれる。後輩として接することもなく、妹のようでもなく、かと言って親友でもなく、なんだろうか。この関係性は、まだきっと今の世の中にない言葉で表される気がする。

何をしてもカレンさんはわたしを受け止めてくれるかもしれない。でも、いつか何かの拍子で離れてしまう日が来るかもしれないとも思うから、絶対に失うことのないよう、この関係性を繋いでいきたいと思う。親しき仲にも礼儀ありで、一方通行の愛なんて、もはや愛が無いに等しいのだ。
受け止めて、受け止められて、一歩引いて、また近づいて。そうやって、カレンさんの人生に関わらせていただきたいと思ってる。

カレンさんが大好きだ。

出会えてよかった。本当に。
今のわたしは、24年生きてきた中で、一番と言っていいほど最高の状態だ。自分が本当になりたい姿や、一緒にいたい人、どうあるべきかがわかる今。
それでも昔と変わらず、カレンさんが大好きだ。

1秒先で、今目の前にいる人が突然自分を裏切るかもしれないこの世界で、信じて期待するだけ傷つくとわかっている無残な人生で、わたしはカレンさんに出会えて心から良かったと、大声で叫びたい。その強さと、包み込むような優しさで、わたしは救われた。男も女も植物さえも嫌いだったわたしの真ん中に触れたのは、紛れもなくカレンさんなのだ。

どんなにわたしが有名になったとしても、叶えたい夢を叶えても。
これからも、わたしの一番の憧れの女性です。カレンさんを泣かす男は大っ嫌いだけど、カレンさんが愛す男は、悔しいけれどとても魅力的な人なんだと思う。
今のわたしがあるのは、カレンさんのおかげです。
いつもありがとうございます。

突然のラブレター。
愛に重さがあるのなら、きっとこの記事は重いけれど。
愛に重さがあるなんて、素敵だとすら思うのです。目に見えないのに、心は重さがわかるなんて、人間って面白い。

東京の隅っこで。sakuより。

#あなたに出会えてよかった

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