日記 4/12 庭いじりを始めた話

昨年から暮らし始めた家には庭がある。
前の住人がとても丁寧に手入れをしていて、様々な花や野菜が植わっていた。
引っ越してきた当初、結構な広さのその庭を見てひるんでいた。
わたしには、早起きをして田畑の世話をするようなずくが備わっていない。というか、早起きをする能力が備わってない。
地域柄、多くの人が家庭菜園や兼業農家をしているが、皆、夏になるとやたら早起きをして野菜の世話に余念がない。朝にめっぽう弱い自分には一生無縁なこと、とその姿を横目で見ていたが、にわかに庭の手入れという義務が生じる可能性が出てきてしまった。
幸い、夫が畑をやると張り切っていたので、「ご自由にどうぞ。わたしは一切手伝いません」のスタンスで庭とは一定の距離を保っていた。
前の住人が去ってから1年近くが経ったその庭はすでに草が伸び気味だったが、夫が張り切って購入したビーバーであらゆる植物をなぎ倒し、何となく平地っぽい状態になって冬を越した。

春が来た。夫がなぎ倒した草たちは枯れ果てて庭に敷き詰められている。未だに庭と畑プロジェクトに乗り気になれないわたしと違い、夫は枯れ草を片付け、土を耕し、畑の畝を作り上げた。やる気に満ちている。
同じ頃、庭のあらゆるところで植物がグングン成長し出し、花を咲かせるようになった。
前の住人が植えていた植物の球根や根が育ち、春になって再び顔を出したようだ。
最初に目についたのはスイセンだった。黄色い立派な花を次々に咲かせる。…というか、スイセン以外の花たちは名前が分からなかった。というか、前の住人が植えたものなのか、雑草なのかも分からなかった。
わたしは植物の生命力と、美しい花々に、正直に言えば感動していた。花の美しさに感動するなんて、すっかり感性がババァになったものだ。
庭にやや好意的な感情が芽生え始めたので、夫とともにホームセンターへ出向き、(夫が)耕した畑に植える花の苗や野菜の種を選んだ。
手当たり次第に、白菜とレタスの苗、ほうれん草、唐辛子、いんげんの種などを買う。呆れてものも言えないが、「テンションが上がって買ったが、ポットに表示が書いていないので何の苗だか忘れてしまった野菜の苗」もある。確か、スナップエンドウか、ししとうか、そういう緑色の何かだった気がする。先行き不安である。そしてその不安は的中、「何の苗だか忘れた野菜の苗」は畑に植え替えて数日で萎れてしまった。恐らくこの先も生き返ることはないだろう。合掌。
白菜とレタスは、ホームセンターで売られていた頃から特に変化は見られないが、とりあえず生きている。ほうれん草は芽を出したが、他の種は発芽の気配がない。

花の苗も3種類買った。ひとつはビオラ、ひとつはボンザマーガレット、もうひとつは、ご多分に漏れず、名前を忘れた。小さくて可愛い花だ。ボンザマーガレットは見た目の可愛らしさと、名前の語感の良さで選んだが、土が合わないのか気温が低いのか、開花がなかなか進まない。

この先、気温が上昇して庭はどのような変化を見せるのか。素人が何となく適当に作った畑に何となく適当に植えている植物たちは生き残ることができるのか。わたしは飽きずに庭いじりを続けられるのか…。検証を続ける。

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