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日記再読の風景 かおりさんへのインタビューはどのように実施されたのか

2010年6月11日に初めての出産を経験した、仙台在住のかおりさん(仮名)。彼女はその日から育児日記をつけ始めます。回想録『わたしは思い出す』は、11年間の育児日記を彼女が再読した経験をとおして、大地震からの月日を振り返る試みです。私(わたくし)の記録から回想された言葉は、どのように編まれたのでしょうか。

企画立案からかおりさんへのインタビュー、編集を担当した松本篤(AHA!世話人)への一問一答〈インタビュー篇〉。

編集については〈編集篇〉、書籍での出版については〈出版篇〉(近日公開予定)に掲載しています。

* 本企画は仙台・神戸で実施した展覧会をもとに書籍化されました。この問答は、展覧会の関連企画(トークイベント/ワークショップ)の参加者や報道関係者からのご質問、書籍刊行に際して寄せられたご質問などをもとに作成しています。
[最終更新=2023年1月2日]

企画立案と予備調査について

Q.『わたしは思い出す』を制作するきっかけは?
2020年7月5日、せんだい3.11メモリアル交流館から「10年目の3.11の迎えるにふさわしい企画を」と企画展のご相談をいただいたこと。

Q. 企画を練るために最初にしたことは?
8月28日から9月1日にかけて、仙台市内にて予備調査を実施した。

Q. 予備調査のヒアリング先は?
「海辺の図書館」「3.11オモイデアーカイブ」「海岸公園冒険広場」「3がつ11日をわすれないためにセンター」、沿岸部(荒浜)で創業された看板会社、市街地の老舗写真館、地震後にラーメン店を開業した方などにヒアリングを行った。

Q.「育児日記」という私的な記録に着目したのはいつ?
9月8日にAHA!が提出した企画書に「育児日記」というキーワードが初出。その後しばらくは、複数の別案とともに検討が重ねられる。どの案についても、何らかの私的記録を10年間残し続けた人を探し出すというアプローチを想定していた。

Q. いつ「育児日記」を扱った方向性になったのか?
10月9日に「育児日記」をテーマに絞った案についておおまかの方向性が認められる。

企画立案のくわしい経緯や背景については、当時、メモリアル交流館スタッフとして本展を担当された飯川晃さんと企画者の松本篤との対談でお話しています。>> かおりさんの育児日記が問うもの─『わたしは思い出す』展ができるまで

『10年間の育児を振り返るワークショップ』について

Q. 具体的にどんな準備を始めたのか?
育児日記を書き続けてきた人を探すため、展覧会開催に先駆けたプレ企画『10年間の育児を振り返るワークショップ』(以下、ワークショップ)を実施することを決定した。

Q. ワークショップの広報はどのように行った?
2020年10月14日から参加者の公募を開始。津波の被害があった沿岸部の複数の小学校3、4年生(合計およそ600名の10歳児)の保護者に対して配布した募集チラシ、またウェブサイトを通じて事前の説明会の開催を周知した。

Q. ワークショップの説明会はいつ、どのように開催した?
10月30日、31日にワークショップの説明会を開催。また、両日ともに予定が合わない方に対しては、29日に個別に対応した。説明会当日には、子育てに関する記録(エコー写真、日記、写真など)を持参いただいた。

また、事前に送付した15の質問からなるアンケートの回答用紙を持参いただいた。説明会の司会進行や質疑応答は松本が務めた。説明会を経て、合計3名の正式な申し込みがあった。

Q.ワークショップはいつ実施した?
各参加者につき、2−3回のワークショップを実施。第1回目は、11月17日から20日にかけて実施(対面)。また、参加者ごとに随時、2−3回実施(3回目を実施した際はオンライン開催)。

Q.ワークショップはどんな進め方だったのか?
3名はそれぞれ個別に参加。参加者が語り手、松本が聞き手となって、90分程度のインタビューをメモリアル交流館内にて実施。

参加者には、いくつかのワークもお願いした。最初にお願いしたワークは、参加者自身に自分の仮名を名付けてもらうことだった。また、参加者の10年を年表にしてみるワークも行った。計2−3回のインタビューを文字に起こし、その抄録を製本し、贈呈した。

かおりさんへのインタビューについて

Q.展示/書籍でかおりさんの育児日記に絞ったのは、なぜか?
3人の参加者の中に日記を10年間書き続けていた人が一人だけいた。それが、かおりさん(仮名)だった。11月18日のワークショップ(第1回/対面)でのかおりさんの言葉は、毎日残し続けてきた1日1日の記録に紐づけられていた。彼女が紡ぐ言葉はとても具体的だった。

これまで誰にも言わなかったこと、言えなかったことを言葉に紡いでもらう際、要約を求める問いかけや、過度に劇的に語らせるような誘導をどうすれば聞き手側が回避できるのだろうかと考えていた。かおりさんの10年間の日々の記録と記憶を媒介にすることで、日常に分かち難くとけこんだ「非日常」の微細な断片を拾い集め、それに輪郭を与えることができるのではないかと考えた。

11月24日のワークショップ(第3回/オンライン)を終えた時点で、日記の再読作業(下記詳細)をかおりさんに提案した。また、その再読作業の成果を展覧会に展示させてほしい旨を伝えた。かおりさんは、振り返り作業の意義を前向きに捉えてくれていたようだった。後日、承諾の意思を示してくれた。

Q. かおりさんはどんな人?
かおりさんは2010年6月11日に第一子を出産。その日以来、日記を書き続けていた。毎月11日の日記の見出しには「生後◯年◯月1日目」と表記されていた。地震は仙台市内の沿岸部(蒲生)の自宅で経験し、自宅は津波の被害に遭っていた。地震当時は夫と9ヶ月の娘の3人暮らし。夫は夜勤のある仕事。2人とも県外の出身。

Q. かおりさんとの日記の再読(インタビュー)はどのように進めた?
毎回2時間程度の再読(インタビュー)を約30回にわたり実施、2021年3月26日まで行った。そのほとんどは、メモリアル交流館(仙台)と松本の自宅(大阪)をzoomでつないだオンラインで実施した。かおりさんは次女のみどりちゃん(2018年12月生まれ)を連れての参加だった。交流館スタッフの飯川さん(当時)が毎回立ち会った。

Q. 日記の再読(インタビュー)はどのように行ったのか?
1回の再読につき半年分ずつ進めることを目標にして臨んだ。かおりさんの手元には日記(7年目以降は手帳)の原物があり、松本の手元にも日記のコピー(7年目以降は資料のコピーなし)が用意された。松本が印象的に感じた日記部分を音読したうえで、主に3つの質問を重点的に行った。

・毎月11日に記されているエピソード
・毎月11日からの1ヶ月間で、かおりさんが印象的だったエピソード
・日記には記されていない、かおりさんが思い出した印象的なエピソード

展示について

Q. 育児日記をそのまま展示しなかったのはなぜか?
育児日記をそのまま見せるのは2つの理由から難しかった。ひとつめは、プライベートな事柄がほとんどだったので、個人情報を保護する必要があった。ふたつめは、そのまま鑑賞者に見てもらっても、わからないと思ったから(編集という介在行為によってはじめて見えてくるものがあるのではないかと思った)。

インタビュー篇 / 編集篇 / 出版篇(近日公開)