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ぼーっと厭世的、な生活の話

こんばんは。

前回のつづきのような、そうでもないような話を書きます。


ここ数か月の私の気分と生活の変化は、どうやら厭世的になったと言えそうなくらいなのですが、

どうしてこんな変化が起こったのかはあまり言語化したくないので置いておいて、

具体的に今どんな感じか、それをどう思っているかを書いて、自分の頭を整理してみます。 よろしければお付き合いください。


①食生活の変化

この記事のカバー写真(?)、最近のある日の朝ごはんの写真です。

私は学生で、東京でアパート暮らしで、こんな感じで適当ながらも自炊を楽しんでやってきたのですが、

この数か月で「ごはんをつくる、食べる」ということの比重が、生活の中でかなり大きくなってきたなと思います。

朝ごはんを時間をかけて用意したり、
(たとえばトーストを焼く+スキレットで目玉焼きやソーセージを焼く+珈琲を豆から挽いて淹れる+食後にヨーグルトを食べる)

お弁当をちゃんと用意したり、
(ずっとおにぎりが多かったけど、ちゃんと二段のお弁当箱にごはんとおかずを詰めて、スープボトルにお味噌汁を入れて持っていったり)

ごはんを寝かせ玄米にしたり、休日のお昼をパスタにしてみたり、パンの日はトーストだけでなくサンドイッチを作ってみたり。 ちょっと高いオリーブオイルやお酢を買ってみたり。

人によっては「それくらいするでしょ」って水準だと思いますが、私はちょっと前まで”何だかいつも忙しそうにしている学生”だったので、朝は基本的に時間がないし、それはつまり朝食とお弁当が雑になるということで、食に多様性など無かったのです。

・・・と、ここまで書いて厭世的というワードがあまりにも無関係そうでどうしたものかと思っているのですが、

こうして自炊に楽しみを見出し励んでいると、レシピ本を眺めたり台所に立つ時間が増えるわけで、つまり、一人でじっくり一つのことに向き合う時間が増えます。

作ったごはんの写真をわざわざ撮ってSNSに上げたりなどもほとんどしないので(そんなクオリティでもない)、私にとって食に向き合う時間は全体を通してひとり、です。 ひとりがもう、楽しくて。

上手に作れた時とか、好きな味付けを発見した時とか、誰かに話したくもなりますが、それは別にすぐじゃなくても、どこかで思い出したときに何気なく話すような感じでいいと思うのです。

そういう風に考えるようになったことも含めての、食生活の変化です。


②お風呂生活の変化

お風呂生活って何だよ。 そもそも私の住んでいる物件にはシャワーしかないのでお風呂というのは正確な表現ではないのですが。

結論を言うと、市販のシャンプーやリンス、化粧水を使わなくなりました。

代わりに、石鹸とクエン酸(水に溶かして薄めます)、なんか良い香りのするシュッてするやつ(アロマスプレー?)を使っています。

こうなった発端はゼロ・ウェイストに刺激を受けたからで、厭世的とかではないと思うのですが、分かりやすい生活の変化だったので書いておきます。

でもシャンプーが切れたのがちょうど2か月くらい前で、そのあたりから生活がじわじわと変わっていったという気がしているので、

その時に市販のシャンプーを買い足すのではなく、何となくやめてしまった、それに合わせてリンスや化粧水もやめた、というのが何だか不思議なきっかけとしてあるのだと思います。

このお風呂生活がどうかというと、別段すごく良いとか悪いとかはなくて、「今まで使っていたシャンプーとか化粧水とかは無くても大丈夫だった」ということが分かって安心したというくらいです。

あくまで私にとっての話で、いろんな人にいろんなお風呂生活(つまり美容法…?)があると思います。 今ではもうゼロ・ウェイストをすごく意識しているというわけでもなく、ただシンプルで楽なのが気に入って続けているというところです。


③寝落ち・寝坊・遅刻が減った

これすごいな。 すごすぎる。 中学・高校で遅刻癖がついて、大学に入ってからも遅刻欠席のオンパレードだった私が、大学4年目にしてようやくふつうに起きて授業に行けるようになった。

今までがひどすぎたと言えばそれまでなのですが、ちゃんと寝ようと意識すればちゃんと寝られるのだとようやく気づいて、つまりそれだけ生活の質というものに目が向くようになったということです。

これは①で言ったような食生活の変化にもかなり関わっていて、よく寝てよく食べるという、小さい子どものするようなことを大真面目に取り組んでいるのが今の私(21歳)ということですね。

ちゃんと起きて授業に行っているのだから厭世的とは逆じゃないかという気もしますが、私にとっては「バイトや飲み会で帰りが遅くなって翌日の授業を切って、大学に行っても部室でだらだらする」しょうもない生活を送っていたときの方がいわゆる”大学生”で、常に何かと関わっていたので、

今みたいに、さっと起きてさっと授業に行って、特に誰とも会わず空いた時間は図書館で本を読んだりして、授業のあとはさっと帰る、もしくはバイトに向かうという生活の方が、最低限だけするという感じで厭世的かなと思っています。


④サークルやめた

といっても2つの内の1つですけど。

飲み会が多くてそのあたり活発なサークルだったので、まあ何かと疲弊して4年目でやめました。

ここまで来たらやめないで4年生という立場を楽しもうと思っていたのですが、ちょっといろいろあって、やめるというところまでいきました。

そのいろいろ、はまたいつか書けたらいいなと思います。(つまらん恋愛の話です。) 

いろいろあったにせよ、それまでかなり入り浸って所属に固執していたとも言えるサークルをやめた、というのは、私にとって厭世的な感じが強いのです。

サークルなんて行っても行かなくてもよくて、実際に幽霊部員もけっこう存在していて、行かないならお金はかからないし好きな時に行って楽しめばいいじゃんと思っていますが、

それでも所属しているという意識がある限りは何かと引っ張られてしまうのが私で、どうも「好きな時に」というのが出来なった。

いっそやめてしまえば、と何度も思っては、好きな時だけ行けばいいんだと自分に言い聞かせてやり過ごして、それで結局ひとりで疲れてしまって、4年生になったばかりの変なタイミングでやめたのです。

結果、とても良かった。 これが一番の生活の変化かもしれない。

やはり企画や飲みのお知らせが来なくなったのがうれしい。 単にうるさくないだけでなく、「誘いがあるのに行かない自分」というのが無くなったのがうれしい。

サークルだけで何となく繋がっていた人たちと会わなくてもいいようになったのも楽でした。 こう言ってしまうと薄情な人間のように聞こえるかもしれませんが、私はどちらかというと八方美人で、どんな相手とでもそれなりに楽しく過ごそうと頑張ってしまうので、人が多くいればいるほど疲れる。 

八方美人でいようとしているわけでは全くなくて、良くも悪くもほぼ自動的に八方美人モードになってしまうのです。 それで平和な人間関係が築けてコミュニティを安全な場所にできるのならいいと、いつの間にか思っていたからこうなったのでしょうね。

そんな自分が良いとか悪いとか、あまり考えていませんが、もうちょっと正直さがほしいなと最近は思っています。


こんなところでしょうか。 

思いつくままに書いてみたら一貫性がなくて、厭世的という話は結局なんだという感じですが、こんな生活の変化がそういう気分を起こさせているということでいいことにします。

まあ人と会う数が減って、所属しているコミュニティも減って、ひとりの時間が増えて、生活の質が向上した、というだけですね。 何だそれだけじゃん、と書いていて思ってしまいましたが、本当にそれだけの話をよくこんなにだらだら書けたなと思います。

あまりにも最近人と喋らないので、文で語ろうとしてしまうのでしょうか…

こんなぼーっとした惰性の文にお付き合いくださった方、ありがとうございます。


最後に、最近読んでいる本についてすこし。

保坂和志さんの『プレーンソング』がすごく好きで、特にこの夏に向かう季節に読むのが良くて、何周もしているのですが、

もうずーっとだらだらしている小説なんです。 

毎日はちゃんと過ぎていくのに、本に出てくる彼らはそれに置いて行かれているわけではないのに、一定のリズムで生きながらもやっぱりだらだらしていて、どこにも向かっていかないように見えるんです。

その雰囲気がなんとも幸せで、あたたかい陽ざしの下でうたた寝しているような、ゆったりとしたぼーっとした気分になって、自分も一緒になってだらだらできるんです。

その本ばかり読んでいるからなのか、今日のこの文もだらだらしていて、世の中の動きとか気にはなりつつも自分の生活を守っていられるのかもしれません。


まあ初夏だし、いいんじゃないでしょうか。

多分これから先も季節の変わり目の気分を季節のせいにしていくんだろうな。

おやすみなさい。

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うれしいです、ありがとうございます。
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東京一人暮らし。大学を出て春から社会人になる予定。日記をつけてみたいと思ってnoteを始めました。 自然と珈琲が好きです。