見出し画像

植物は正直者 手抜きは結果に表れる

農作業は同じことを繰り返すことが多い。苗や種を植える。枝を剪定する。マルチを張る。芋を掘る。草を刈る。などなど。作業中、ふと、目線を上げると、「まだ半分かあ」と気力が萎えることもしばしば。黙々と作業をするのも、しんどい。なので、何かしら考えながら作業することで気を紛らわせるのだが…。

小さいジャガイモ、「なんで?」

ジャガイモを掘っていた。きたあかり。数は多いが、とにかく小さい。前日に掘ったメークインは大きく育っていたのに。

「なんで?」

降雨量や気温、肥料の条件は同じ。掘るのが早かったか、品種の違いか…。いろいろと考えながら手は動かす。


数は多いが、小さなジャガイモばかり

「あっ」

心当たりが降ってきた。芽欠きの途中で日が暮れ、この一列だけサボってしまったのだ。その影響か、と仮説を立て、芽欠きをした隣の列を掘る。数は少ないが、商品として売れる程度に育っている。

「やっぱり」

やはり、芽欠きしたところは大きさが違う

手を抜けば、しっぺ返しが

「すべき作業は必ずすること。後悔するよ」と、農業指導センターの先生に忠告されたのを思い出した。

柑橘類の摘果について学んだ時のこと。中晩柑は葉100枚に1果を残して摘果する。この作業をしなければ、小さな実ばかりに。当然、品質も価格も下がる。木は疲労する。そして、収穫作業が大変になる。いいことは何もない。植物は正直だ。手を抜けば、そのしっぺ返しが結果に表れる。

「きたあかり」の轍は踏まない!

主枝が伸びたズッキーニに支柱を立てていた。25本植えたうち、15本は前日、作業が終わっていた。残り10本。小粒となった「きたあかり」の轍を踏まないよう、出勤前に残作業をしていた。

主枝の横に2本の支柱を立て、それぞれ葉2本で挟んで、紐で止める。こうすることで、ズッキーニが宙に浮いた状態となり、傷がつきにくくなる。脇芽は欠き、根本部分をすっきりとさせ、風通しを良くする。

「ながら作業」はやっぱりダメかあー

ズッキーニはちょうど道端に植えている。毎朝、犬の散歩をしている80過ぎのじいさんが声をかけてきた。子どものころからよく知っている。昔から、会話の中にチラッと「嫌味」を挟み込んでくるじいさんだ。この日も、隣の畑で栽培しているトマトを見て、「この辺りでは、トマトは栽培できない」と言う。

「いやいやできてるし。収穫も始まったし。おいしいし」

収穫間近の桃太郎

心の中で愚痴りながらも、「そうなんですかあ」と受け流す。

梅雨に入ったのに雨が降らないとか、今日も暑くなるとか、たわいもない話が続く。手を止めていたら会社に間に合わない。

ハサミで根元付近の脇芽を切ったつもりだった。手ごたえが違った。これから大きくなろうとするズッキーニをつけたまま、主枝がごっそりと。

「あーーー」

心の中で悲鳴を上げる。叫びが聞こえたのか、じいさんはスタスタと去っていった。うーん、やはり、「ながら作業」はダメだなあー、と思ったという話。

(あぐりげんき)


この記事が参加している募集

よろしければサポートをお願いします。いただいたサポートは、おいしい野菜・かんきつ栽培と、その情報発信に役立たせていただきます。