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【見たら眠くなる】2001年宇宙の旅 2001:A Space Odyssey【考察】

まず断っておくが、この作品は“映画”呼ぶにはふさわしくない。芸術作品である。

人類の進化と宇宙の旅

“鬼才”と呼ぶに相応しいスタンリー・キューブリックが宇宙を舞台に解き放つ、狂気じみた世界を、1回目は真剣に見ない方が良い。真剣に見たとしても分からないからである。

宇宙の眠気を誘う演出、冒頭、始まったのか否か判別のつかない真っ黒な画面の演出、眠ってしまっても、テレビを叩いてもいい。

なぜなら、全体を通した神秘的で美しく、そして恐ろしさを感じさせる雰囲気と壮大過ぎる物語に人類の野性、開拓心をくすぐられ、“宇宙の旅”をもう一度体験したくなるはずだからだ。

※以下、ネタバレはないですが、具体的なシーンを考察しています。



全体的な私の感想を抽象的に申し上げたが、具体的なシーンを考察も含めて述べていく。


“黒い板”(モノリス)

ある日、類人猿が寝ている前に突如として現れ、はじめは強い警戒心を示すが、徐々に触るなどして警戒心を解いていく、そして、度々なされる演出であるが、黒い板の上から神々しい太陽が現れる映像が流れる。

人類に対する皮肉

その瞬間、“彼ら”に何らかの変化が起こったのである。
その後、骨を叩いて動物や敵を“殺す”ことを知る。
まぁ、なんと皮肉なこと!

それと、数百万年後の宇宙船の人々は対称的であるが、実はその “猿” と同一である。

謎の黒い板の影響で進化への針を進めたということだが、“進化” への過程でまず手にした知恵、能力が “殺す” ことだったと描いているのである。

生きるために骨を持ち殺すことを覚えたことと、宇宙船を造り宇宙を旅することは進化という意味では同義である。

類人猿は人類に進化するわけだが、我々人類に対するキューブリックの皮肉だと感じた。

先に

もう一度体験したくなる

と言ったが、1度みたら自分からは進んでみようとは思わない。

偉そうなことをダラダラ書いたが、この難解さ、感じたことは見た人にしか分からないので、気になった方は是非見て欲しい。

ご精読ありがとうございました。