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「バカの壁」をどう壊すか 後編

この記事の続きになっています。

あらすじ

数学に長けた友人は幅広い知識への欲をも持ち合わせており、私がそれまで妥当なソースと感じていなかった媒体からも知識を得ていた・・・

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数学者でありながら、あるいは学者でありながら財を成した人の例はあまり多くはない。

これは僕だけの主張じゃありません。永く一万円札の人として親しまれ、慶応義塾大学を創立した福沢諭吉先生が「学問のすゝめ」の中で説いていることでもあります。

数学ができれば他の勉強もできる訳ではありません。学問を甘くみてはいけないのです。処世術とて、学ばなくてはいけないのです。

中学・高校時代に僕の周りにも数学は凄まじくできる一方、文系科目が壊滅的な人もいました。

全ての科目がオールマイティにできる人もいましたが、知識を「制圧して」いるように見えました。ダメとは言ってません。

ただ、楽しそうには見えないですよね。悲壮感が漂っていて、「もう少し肩の力抜いていいのに」と思いながら見ていました。

こういうタイプは各学校に一人二人は紛れ込んでいるものです。知らんけど、

このnoteを読んでいるあなたが「いたなーこんな奴」と思った時点で僕の仮説を補完してくれているのです。

どうもありがとう。時を進めましょう

どこか楽しそうなのに、数学のみならず様々な科目に対応できる人は少ないです。知識を得ることそのものに楽しさを見出していないとできない事だからです。

知識を得るのに貪欲な人は何を見ても、たとえ他人が何かを得られないものだと判断しても何かを得ています。例えば、他の人から見たらテレビを見ているだけのように見えても情報を得ている事があります。

数学に長けた友人が学校帰りに電車の中でテレビから幅広い情報を得ていることを教えてくれたことを未だに覚えています。

本田圭佑こと本田△、ケイスケホンダも「上手くなるヒントはなんぼでもその辺に転がっている」と述べています。

僕自身も無意識のうちに、娯楽としか捉えていなかった時間や、誰もが「いやそういう吸収の仕方しちゃう?」ってなる方法で多くの情報を吸収していたと知りました。後者は社会の教科書や音楽の歌集などの雑学コーナーなどです。前者は、例えば「相棒」や「古畑任三郎」です。私が「妙なとこ鋭い」「めざとい」と言われることがたまーにあります。たまーにね。

理由を説明するには、杉下右京と古畑任三郎の存在は欠かせないでしょう。また、「胡散臭い」と言われることが多い私にとって、古畑任三郎はとても親近感のある人物でした。BSフジとか昼下がりの再放送を録画し、近所のTSUTAYAで「古畑任三郎」を借りられるだけ借りて、徹底的に古畑任三郎を研究しました。「小さな違和感を大事にする」「幅広く知識を持つ」「よく観察する」ことを真似し続けて今に至ります。

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しかしですね、こういう振る舞いを「刑事ドラマのまねごと」と捉えてはくれない人が少なからずいます。そうじゃないと理解してもらうのは私の努力次第ですが。たいがい女性が多いです。

中高一貫校の男子校という(僕にとっては)芸人養成機関でイジラれ芸のスパルタ教育を受けていました。しかし、初対面の女性とコミュニケーションを取る訓練が欠落したまま、そして幼なじみの女の子たちが豪傑気質だったことから「ふええ・・・女の子こわいよお」状態で世の中にリリースされました。

今も仕事関係なかったり、共通の知人がいない女性と接するのはなるべく遠慮して生きています。

やや「女性恐怖症」な私に「こうすればいいぜ」と教えてくれたのも昨日、今日にかけて取り上げた友人でした。

明日の予告

「ふええおんなのここわいよお」→「かのじょできたよお」→「やっぱりこわいよお」→「それはフォレの捉え方次第だ、時を進めよう(今ここ)」となるに至った経緯をお話します。

頂いたお金は本代にありがたく使わせていただきます。