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髙木の自己紹介 ~専門学校期①

農家になりたい!
でも、東京育ちだから何も分からない。
そうだ、農業の学校に行って学ぼう!

そんなこんなで、実家を離れ
茨城県の水戸にある鯉淵学園農業専門学校(以下学園)に入学することになった青年髙木(18歳)

初めて学園へ向かった時は、
"どんな場所でも、必ず駅から徒歩圏内で行ける"
という都内の生活で培った謎の偏った常識により、駅から1時間半以上歩くことになったり…。笑
出ばなを早々にくじかれスタートした生活はとにかく初めてのことがたくさん。
さらには実家を離れて過ごす初めての田舎暮らしや寮生活、
初めて尽くしの慣れない新生活のなかで、本格的に農業について勉強する日々が始まりました。

2年間の学園生活を振り返って
今の髙木に大きな影響を与えた出来事は4つ

① 縦社会の厳しい寮生活での付き合い
② 生徒のトップとしてまとめる立場になって感じたこと
③ 外からみる農業と中からみる農業のギャップ
④ 師匠完一さんとの出会い

本記事では①と②について詳しく書いていきたいと思います(*^^*)

縦社会の厳しい寮生活での付き合い


体育会系の部活動をしなかった(卓球部に所属していたけれども)
髙木にとって、先輩後輩という年齢や立場によって成り立つ関係性は初めての体験で、いわゆる"縦社会"を初めて経験した2年間でした。
社会的にみてこの"縦社会"については賛否両論あると思いますが、
髙木にとって人間関係で今までの人生にはなかった新たな価値観が生まれました。

これまで「気の合う人と楽しく過ごすため」の友人関係しか築いてこなかった髙木にとって「人に可愛がってもらう」「人を可愛がる」という
愛情が前提にある関係性は初めてでした。
縦社会といってもこういった関係でないこともあるかと思いますが
愛情の上で成り立つ関係の素晴らしさを学べたことは今の財産になってています。

一方で厳しいと感じたこともたくさんありました。
先輩の名誉のため一部のみ抜粋すると.....

・ 挨拶の徹底
・一発ギャグや無茶ぶりは日常茶飯事
・ 一人称を俺や僕で話した時は無視
・ 休日の急な呼び出し
(朝、寝ている顔に水かけられて起こされたことも…笑)
・ ハンバーガーを十数個も重ねたバーガー「ハッピーバーガー」を半強制的に食べる
・お肉がまるでガムだと思うレベルの量「ハッピー焼き肉」を半強制的に食べる
・お風呂に先輩が浸かってたら、先輩がお風呂を出るまで湯船から出ることができない
・お風呂場でひたすら冷たいシャワーを受ける
(冷水は直接浴びせられるよりも足元にぴちぴち当たるのが一番冷たい笑)
・深夜3時に「心臓を捧げよゲーム」という先輩の謎の思い付きにより、よくわからないままひたすら敬礼させられる

東京では「これってパワハラじゃん......」と言われても言い訳できないことをたくさん経験させて頂きました。。。

それでも、縦社会が素敵な側面もあるんだと感じることができたのは、
それらの言動全てに愛情があり、
愛情を持って接してくれた先輩たちに恵まれたからでした。

毎週のように、温泉に連れて行ってもらったり、ご飯食べにいったり、
その全てを当たり前のようにご馳走してくれました。

毎月万単位で、髙木に奢ってくれてて、なんだかその事実は今振り返ると
とても当たり前ではなかったんだなと改めて強く感じます。
もちろんお金のことだけではなくて、
貴重な農業談、生きていく上での大切な哲学や、その場がドッと盛り上がる面白いお話などなど、学んだことはそれはとてもとてもありました。

そんな数あるお世話になった日々の中で、とても印象的だった日があります。
その日、いきなり先輩が「俺に感謝してるか?」と聞いてくるものだから
珍しいなあと思いながら「もちろんです」と答えたところ

「そうか。」
「なら、次に入ってくる後輩たちの中で、髙木が可愛がりたいと思えるような一年生がいたなら、俺への感謝を俺に返さずに後輩にそのまま送ってくれ」

その言葉、その時の先輩の表情は今でも鮮明に覚えていて、
今の髙木に大きく影響を与えてくれています。

“してもらった恩”を忘れずに、その分の恩を次に送る。
その上で、自分が“してあげた恩”は一切忘れる。


先輩のおかげで髙木が大切にしたい考え方が見つかりました。

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生徒のトップとしてまとめる立場になって感じたこと

学園では、自治会という組織制度があり、
15人前後のメンバーで
学園の年間行事を執り仕切ったり、毎週定例で行われる全生徒会議を主導したり、学生主導のイベント企画やサークル活動の設立許可、生徒からの提案の受付など
ある時は学生をまとめる立場として、ある時は先生とのパイプラインを担う組織でした。

髙木は1年生の後期に前自治会長からのお願いにより、自治会長を引き継ぐことになりました。
特別なりたかったわけでもないのですが、
前自治会長から期待を抱かれるのは、悪い気はしなくて、
それに断る理由を探すくらいなら、とりあえずやってみるか、とアッサリ決断しました。

でも実際になってみると、こりゃ大変。


最初は早くチームの結束が固くなるように自治会組織内での会議で、みんなが楽しめるよう工夫したり、色々試行錯誤していたのに

とにかく自治会で行うことの範囲がとてもとても多岐にわたることに実感し、
日を追うごとに、様々なことを同時併行しなければいけなく、
試行錯誤なんかしてる暇もなく余裕でボロボロでした。笑

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日々徹夜で作業、その中には毎週行う全生徒会議の資料作成や学園Tシャツの発注作業など、
そしてそんなギリギリのなかで、ミスも出てきて
園Tシャツの発注ミスで、授業をサボり朝4時から12時間運転するハメになったことはいい思い出です。

たくさんのことを抱え込み、その一つ一つをしっかりやりきろうとした結果、仕事の質的にもボロが出てきてしまい、悪循環になってました。

そんなとき、自治会の周りのみんなが助けてくれました。

気づけば自分の代わりに全生徒会議の資料作成や髙木が慣れない会計業務なんかをめちゃくちゃカバーしてくれたり、
自分が出席できない会議や学校行事には高木に代わって代弁をしてくれたり、
あまりのみんなの仕事っぷりに、「もうこれ髙木いらないんじゃね?」
そう思うほど自治会メンバーから手厚いサポートを受けました。


そんな数あるサポートの中でとっても嬉しかった、安心できた出来事は
ある日、自治会の一人がそっと優しく手紙を渡してくれました。
「髙木がんばりすぎだから、もう休みなさい。あとは私たちに任せて」
中を見ると、そのような文章が書いてありました。

自分ひとりでは必ず迎える限界。
周りに支えてもらうありがたさ。
チームとしてのあるべき姿。
生徒代表としての立ち振る舞い。

カンペキな答えを見つけられずとも、たくさんのことを考えさせられる良い機会でした。



次回後半は③④になります!
学生時の髙木が感じた農業を中心に書いて行けたらと思います!


髙木

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